あらすじ
聖徳太子は、偉人だったのか、ただの皇子だったのか。古代史研究の第一人者が、史料をもとに、丁寧にその実像に迫ります。手がかりは、法隆寺の釈迦三尊像に刻まれた銘文や、太子の自筆とされるお経の注釈書など。著者独自の視点で史料を読み解き、見えてきた姿とは? 教科書の丸暗記ではない、歴史学のおもしろさを味わおう。
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Posted by ブクログ
聖徳太子
ほんとうの姿を求めて
著:東野 治之
出版社:岩波書店
岩波ジュニア新書 850
ジュニアだけに、分かりやすく、読みやすかったです。
でも聖徳太子とはやっぱりどんな人なのか、微妙にわからないというかしっくりこない人だなあ、との後味でした。
印象にのこったのは、聖徳太子に対する、光明皇后の厚い信仰、ご本人だけでなく、母や、周辺の皇族、貴族の女性たちに感化を与えたことである
聖徳太子伝説とは、中国の高僧、慧思の生まれ代わりであり、観音菩薩、とくに、救世観音の化身であるというものです。
勝鬘経や、法華経に通じていること、法華経の薬王菩薩本地品にある、女性は男性になることで分け隔てなく成仏できるということをいっています。
仏教の恩恵にあずかれるのは、当時、男性だけとおもわれていたが、このことから、女性であっても、仏教にすがれば救われるということを説いた、聖徳太子を、光明皇后は信仰し、菩提寺たる法隆寺に多額の寄進を行ったというものです
子孫もなく、後ろ盾となっていた、一族の蘇我氏が滅んだあとも、長く、聖徳太子の信仰は続き、かつ広がっていったのは、なるほどこういった一面があったからなのだと納得しました。
当時の仏教とは、国家を守るためのものではあったが、同時に、個人をも守る一面もあった。女性にとってもわかりやすいものだったのが、厩戸皇子を、聖徳太子たらしめているのではないでしょうか。
■聖徳太子の文献
日本書紀
法隆寺金堂薬師如来像銘文
法隆寺釈迦三尊像光背銘文
法隆寺聖徳太子絵伝(1069)国宝
異本上宮太子伝(別名:七代記)
上宮皇太子菩薩伝(延暦僧録の一部)
上宮聖徳太子伝補闕記
聖徳太子伝暦(いわゆる、伝暦)
聖徳太子二王子像(唐本御影)
上宮聖徳法王帝説
法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳(奈良時代の法隆寺財産目録)
古今目録抄(鎌倉時代法隆寺僧顕真)……
これだけの文献があるのであるから、モデルになった人をふくめて、誰がしは、存在したのでは
■人となり
本名:厩戸
尊称:聖徳太子、上宮厩戸豊聡耳命
用明天皇と穴穂部間人皇女との長男
574年~622没 享年49歳
弟殖栗皇子、子山背大兄王
飛鳥は、いまでいう首都、厩とは、駅舎。
皇族である、穴穂部間人皇女が産気づき、立ち寄った近くの都内の駅でうまれたのが聖徳太子。
聡明で頭がよく、成人してからは、訴訟で何人の声を聴き政治に生かした。すくなくとも生存中は、蘇我氏という親戚に庇護されていた。
仏教を広め、憲法をつくった。死後も女性の人気が高く、聖徳太子を祀った法隆寺は興隆した。
こうならべてみると、やはり、エリート中のエリートであったが、大衆のために、仏教や憲法をつくって民衆を救おうとした人というイメージです。
維摩経、法華経という、漢学、かつ、音写した、梵字を含めた膨大の仏典を読み解けるほどの才能の持ち主であることはかわらない
・仏教の興隆
・十七条憲法の作成
・仏典の講義と注釈
・天皇記、国記の編纂
・推古天皇の摂政だった
・一度に十人の訴えを聞き分けた
・死人のよみがえらせた
・中国の高僧、慧思の生まれ代わり
・観音菩薩、とくに、救世観音の化身
聖徳太子が説いた仏教
・大乗仏教である
・在家のまま信仰できる、出家しなくてもよい
斑鳩には、太子の関係者がたくさんいて、また、法隆寺の地所は、斑鳩だけでなく、上野(群馬)、備後(広島)、伊予(愛媛)までひろがっていた。
目次
はじめに
系 図
序 章 ほんとうの聖徳太子を求めて
一 聖徳太子と厩戸皇子
二 太子をめぐるさまざまな史料
第一章 釈迦三尊像の銘文にみる太子
一 銘文のなぞ
二 銘文を読んでみよう
三 銘文からわかること
第二章 太子はどんな政治をしたのか
一 太子の立場
二 十七条憲法と冠位十二階
三 外交における役割
第三章 聖徳太子の仏教理解
一 仏教の伝来と広がり
二 天寿国繡帳を読み解く
三 太子が注釈した経典
第四章 斑鳩宮と法隆寺
一 飛鳥と斑鳩
二 斑鳩という土地
三 発掘された斑鳩宮
四 宮に併設された法隆寺
終 章 聖徳太子の変貌
一 初期の太子崇拝と法隆寺の再建
二 女性たちの信仰
三 近代から現代へ
あとがき
聖徳太子年表
図版引用元一覧
索 引
ISBN:9784005008506
出版社:岩波書店
判型:新書
ページ数:240ページ
定価:960円(本体)
2017年04月20日第1刷発行
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東野治之 とうの-はるゆき
1946- 昭和後期-平成時代の日本史学者。
昭和21年12月20日生まれ。45年奈良国立文化財研究所にはいる。奈良大助教授をへて平成6年阪大教授。11年奈良大教授。古代文化の中央アジア,中国からの受容過程の解明にとりくむ。昭和63年第1回浜田青陵賞。平成20年「遣唐使」で毎日出版文化賞。22年紫綬褒章。同年学士院会員。兵庫県出身。大阪市立大卒。著作に「木簡が語る日本の古代」「書の古代史」など。
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緻密で説得力ある内容。ジュニア新書と言いながら、本格的。聖徳太子の実像に迫るには一体、どんな史料があるのか? そうした史料にもとづいてどんなことが言えるのか? 様々な説があるなかで、著者はどのような結論にいたったのか? 実証的研究の成果をわかりやすく示してくれている。
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聖徳太子の実像について、残された史料の性格とそれを踏まえて読み取れること、法隆寺関連の考古学調査から得られた成果を、新書にしては細かく述べてあり、聖徳太子研究の入門書的な雰囲気。
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東大国史出身の研究者が「不在」説を唱えるほど、21世紀の現在もとかく新説・異説・珍説の多い聖徳太子だが、本書は現在では最も伝統的・守旧的な立場からの聖徳太子小伝と言えよう。後世の偽作説の強い十七条憲法や、やはり後世の追刻説の強い法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘を全面肯定、舶来説のある法華義疏も太子真筆説を採っている。さすがに「摂政」「皇太子」や蘇我馬子との共治説をそのままでは採らないが、馬子のアドバイザー・ブレーンという位置づけで事実上旧説を引き継いでいる。それだけに新鮮さは全くないが、いわゆる教科書的な通説がどのような研究史を経て形成されたか簡便に知る上では有用で、聖徳太子や太子信仰を学習する上での「出発点」としての価値はあろう。