【感想・ネタバレ】「自閉症」の時代のレビュー

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Posted by ブクログ

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多くの著名人を横軸で繋げてくれた本で面白かった。(exジョブズ、新海誠、コンビニ人間、若冲、グレン・グールド、チューリグ、ヴィトゲンシュタイン、メルヴィル、ジョン・ケージ、村上春樹、涼宮ハルヒの憂鬱)

竹中均(たけなか ひとし)
1958年生まれ。早稲田大学第一文学部社会学科卒業、大阪大学大学院人間科学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得満期退学。阪大博士(人間科学)。現在、早稲田大学文学部教授。 専攻は理論社会学、比較社会学。著書として、『柳宗悦・民藝・社会理論 カルチュラル・スタディーズの試み』(明石書店)『精神分析と社会学 二項対立と無限の理論』(明石ライブラリー )『自閉症の社会学 もう一つのコミュニケーション論』(世界思想社 )『精神分析と自閉症 フロイトからヴィトゲンシュタインへ』(講談社選書メチエ)『自閉症とラノベの社会学』(晃洋書房)がある。

著者の子どもの一人も自閉症である。そして私自身、診断は受けていないが、自閉症的な傾向が強いと自認している。複数の自閉症当事者からそのように指摘されたこともある。そのような私の場合、同じような意味において居酒屋での飲み会が苦手であ る。理由の一つは、同席している人たちの会話が聞き取れないか らである。静かな居酒屋というのはあまりないので、当然、他の席の客の話し声、店員の声、厨房の音など、雑多な音が渦巻く空間になっている。それらの音に紛れて会話が聞き取れないのである。ところが不思議なことに、他の人たちは、お互いの会話が分かっているらしい。

カナダ出身のピアニスト、グレン・グールド(一九三二〜一九八二)はコンサートを捨てた(竹中二〇-六b、一〇-頁)。グールドの時代、クラシックの人気演奏家がコンサートをしないという決断は理解しがたいものだった。なぜなら音楽の真骨頂は、聴衆を日の前にした生演奏にこそあるというのが当時の常識だったからである。しかしながら、グールドのこの決断は別の面から見るこ ともできる。彼は不特定な他者たちと共在するコンサートホール ではなく、自分一人だけの閉鎖空間である録音スタジオを選んだ のだ、と。

コナン・ドイルについては近年、自閉症的傾向があったのでは ないかと考えられている(フィッツジェラルド二〇〇九、一七 頁)。ドイルは若くして、シャーロック・ホームズ・シリーズで成 功を収めたのだが、後年、いわゆる妖精写真を見てすっかり信じ 込んでしまい、妖精や心霊の実在を人々に説くことに生涯を費やすことになった。その妖精写真はドイルの死後、子どものいたずらと分かったのだが、生前のドイルは最後までその真実性を疑わなかった(河村・九九・、七二頁。スタシャワー二〇-〇、四四三頁も参照)。

定型発達者にとっては、二人の人間が同じ部屋に同居していれば、普通は両者は親密な関係にあると思うだろう。しかし、村田沙耶香の小説『コンビニ人問』の主人公古倉恵子はそうではない。 恵子は、小説の中ではいっさい言及も示唆もされていないが、自閉症的な特徴をかなり持つキャラクターであるように思われる。彼女は、コンビニエンスストアという空間に実に良く馴染み、非正規社員として働く日々を重ねてきた。彼女にとって、 コンビニでさまざまな業務を複合的にこなす必要のある正社員ではなく、明確に限定された業務に専念する非正規社員として働くことは、自らが「世界の歯車」になれたという喜びを伴っていた(村田二〇一八、二七頁)。

ウォーホルは生前、白ら「機械になりた い」と述べていた(フィッツジェラルド二〇〇九、二九八頁)。エリックサティの曲は、そのような希望を持つ人たちにふさわしい音楽かも知れない。

反復のもっとも典型的なイメージはこの職人仕事だろう。そして現在、自閉症的傾向を持つ人が実力を発揮できる可能性があるのではないかと期待されているのが職人 仕事である。もちろん仕事である以上、人と人の間の関係がゼロではないのは当然である。だがホワイトカラーに比べれば、人と人との関係の比重は小さい。物への働きかけによって物を変えるという相互作用を根気よく繰り返すことが、仕事の中心だからである。 皮肉なことに、反復が得意な近代的機械の登場によって、職人は活躍の場を奪われ、社会の片隅へと追いやられた。だが、それでもなお、近代社会における職人仕事やなぎむねよし の重要性を主張したのが、民藝運動の創始者の一人として知られる柳宗悦であった (竹中一九九九)。民藝運動自体は、柳の生きた二〇世紀日本の地方で職人たちによって細々と営まれていた工芸を、その主要舞台としていた。だが柳は、民藝という新しいコンセプトをまだ作り出す以前の若い頃には西洋中世の職人たちが作り出した物、 例えば教会建築に強く惹きつけられていたのである。彼にはそれが近代のとば口に立つルネサンスの巨人たちの作よりも劣っているとはとうてい思えなかった。

自閉症者は、人との関係よりも物との関係を良好に保つほうが得意な場合があると言われる。もちろん職人仕事にも対人的な側面はある。しかし、ホワイトカラーに比べれば、物との関係の比重は大きい。一般には、人との関係が良好でないことが否定的に見られてしまうのはやむを得ない。だがそのような価値観は、近代において強調されすぎたのかも知れない。制約が多く、人よりも物と深く関わろうとするような職人仕事の喜びは、二〇世紀の間にはあまり理解されなかったのである。

自閉症者に図鑑好きは結構多いと言われている。小説よりも図鑑のほうが好まれやすいと言うのである。そのような人ならばもしかすると、ベラスケスの絵よりもアルチンボルドの絵のほうを好むのではないだろうか。

現代作曲家ジョン・ケージは先駆者としてのサティの偉大さを称賛したが、ケージによれば、サティの曲が前衛でありえたのは、「整然とした数的な構造」のおかげで あった。そしてその数的構造は、調和を重んじる和声的なものでなく、すでに古くさ いと思われていた旋法的なものであった。

西洋音楽史上最大の天才である大バッハ(一六八五〜一七五〇)もまた、同時代の人々からは古くさい手法にこだわっていると思われて、時代の流れに敏感に対応し華やかに活躍した息子たちに比べれば地味な存在として長らく忘れ去られてきた。大バッハも数的な構造を白らに課したが、その背景は宗教的信仰によるものだと一般的には理解されている。

それはちょうど、数学的証明は一切の例外が認められないがゆえに価値がある、ということと似ている。 グールドはこの数学的なバッハの曲を好んだ。数学的とは、不可逆的な時間よりも可逆的な空間に親和性が高いということである。幾何学がその典型である。数学的な音楽であるバッハの曲は、楽器の音色に依存しない。したがって、楽器の種類が変 わってもその魅力は失われない。また、演奏の速度にも影響されにくい。結果的に、 電子音楽にもごく自然に馴染んでいった。三角形は、何色であっても、大きさがどうであっても、三角形としての本質を失うことはないのと同様に。

バッハの曲は、他の作曲家の曲に先駆けて、数学的原理を駆使するコンピュータプログラミング音楽へと導入されるようになった。そこにはロマン派的な遠近法、はるかな時の流れや未踏の地へと向けられた癒やしがたい憧れなどは見出されない。その代わりに君臨するのが構造的な空間の美である。古いように見えてじつは本質的に新しいバッハとサティは今日、サイバースペースにおいて、時と場所を超えて出会っている。

数学における証明とは、他者とのコミュニケーションである。懐疑的な他者を納得させられなければ証明にならない。ラマヌジャンの場合、イギリスにおいてその手助けをしたのが、ケンブリッジのハーディやリトルウッドたちだった。その関係は、 シャーロック・ホームズと、その事跡を物語として記録した(とされる)ワトソンの関 係とも似ている。ホームズを名探偵たらしめたのは、ワトソンと「ワトソンの代理 人」としてのコナン・ドイルなのである。

二〇世紀哲学に大きな足跡を残したウィーン生まれの哲学者ルートヴィヒ・ウィト ゲンシュタイン(一八八九〜一九五一)は奇人変人として知られていたが、近年、自閉症的だったのではないかと考える向きがある(福本一九九六、一六二頁)。彼は小さい頃から言語的能力の点で困難を抱えていたようだが、他方、視覚的・空間的な感覚に優れていて、ある時期には建築に特異な才能を発揮した。そのような彼が最初の言語の論理の本質に迫ることによって哲学の問題を一拳に解決しようとしたことは印象的である。それは、根本的に時間的なものを強引なまでに空間的に扱おうとした果敢な試みだったようにも思われる。

ウィトゲンシュタインは「生涯を通じて、機械に異常な興味をいだいていた」 (フォン・ライト一九九八、一六二頁)。彼は、オーストリアやドイツ、そしてイギリスの工業都市マンチェスターで機械工学を学ぶうちに、工学の基礎をなしている数学そのもの、さらには論理そのものへ関心を抱くようになった。その後、ドイツの数学者・論理学者フレーゲの紹介により、イギリスのケンブリッジ大学にいたバートランド ・ラッセルの知遇を得てイギリスに住むようになる。その後、一所不住のような紆余曲折を経ながらも、ケンブリッジで生涯を閉じた。

現代のアメリカ文化と深いつながりを感じさせる日本の作家に村上春樹がいる。それでは村上作品はアメリカ的なのかと言えば、必ずしもそうではない。むしろ、国や社会を越えて、今という同時代の人々に例外的なまでの共感を引き起こしている国際的な作家という印象である。と共に、孤独こそがそのメインテーマであるように思え る。孤独というもっとも広がりのないテーマによって、これほど広範な人々の心を欄 んでいるという点で、村上春樹作品はユニークである。 そのようなことから、村上作品が自閉症スペクトラム者の世界を描いているのでは ないかという主張がなされている。もっとも、村上作品の すべてに自閉症的な特質が通底しているかと言えば、筆者はそうは思わない。しかしながら、初期のいくつかの小説に関してはそのような特質を垣間見ることは不可能で はないと思われる。例えば『1973年のピンボール』がそうである。

既述のグレン・グールドは、そのバッハ演奏は誰からも絶賛されたが、モーツァルトの演奏は多くの批判を浴びた。非常に独特な、人によってはふざけていると思わせるような演奏だったためである。グールドは作曲にも意欲を持っていたが、世間からあまり評価されることはなかった。そこで、「作曲家としては実現できなかった『実験音楽』をよりによってモーツァルトを使って試みた」のだと青柳いづみこは指摘している。子供じみた面もあるその実験は、真面日な聴衆の顰蹙を買った。

例えば、実験よろしく、ネット空間に一つの極端な意見を投げ込んでみる。ネットではなく対面的な空間でならば極論に共感する人はほとんどいないはずである。ところが広大なインターネットにおいては、空間や時間の制約を越えて、地球のどこかにいる賛同者を簡単に見つけることができる。それは全人口からすればごく少数にすぎ ず、本来日立だないはずなのだが、IT機能を駆使すれば簡単に一覧として視覚化可能になる。自分が実験的に投げかけた極論が、一種の連鎖反応を起こし、幾何級数的に賛同を獲得していくありさまをリアルタイムで視認することができるかも知れないのだ。それはまるで、理科実験において化学薬品を投入した瞬間、試験管の中の色が一変するかのようであり、そのことに強い喜びを感じる人がいたとしても不思議ではな い。そして、そのような実験が繰り返される内に、意図せざる結果として、極論が広 く受け入れられているかのような見かけを形成してゆく。これは、ネットユーザー人の意思うんぬんではなく、「共鳴箱」と呼ばれるネットの構造的特質による帰結と見るべきだろう。この「共鳴箱」の中では、適切なパーティションは設けられておら ず、波及は速やかであり際限がない。

(おおかみこどもの雨と雪について)
定住性のゆるやかさ、すなわち移動を肯定する考え方は、「縄文の思想」の一環でもある。私はこの映画を、発達障害児とその家族の物語と見立てて鑑賞した。 物語の終わりに、二人の「おおかみこども」はそれぞれ、人間とおおかみという二つの「モード」の内のどちらか一つを選択して生きることを決意する。雨と雪は見かけは異なるが、ともに水の一つの姿なのだ。つまり、一人の子が山の世界へと帰っていくのを母は見送ることになる。それが可能だったのは、山と地続きの田舎に住んでいたからこそである。父の「おおかみおとこ」は、都会の路上で交通事故で亡くなっていた。

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2023年10月26日

Posted by ブクログ

 自閉症については今までインターネットの記事やテレビ番組の特集などで知ることができたが、それらは自閉症の人と家族がどう苦労して大変な生活を送っているかというものを視聴者に伝える、社会問題提起のような側面があった。
 しかし、この本では自閉症者が持っている特徴的な症状から過去の自閉症が疑われる有名人の実例など詳しく書かれていて、自閉症とはということを詳しく知ることができた。
 今まで自閉症は障害であり、「普通の人」よりも劣っているという感覚を持っていたが、この本を読むことで自閉症者は時間的に未発達な人間なのではなく、空間的に別の枠組みで共存してる少数派の人間であるだけなのだと考えるようになった。さらに、自閉症スペクトラムとあるように自閉症は境界が曖昧で誰でも自閉症的な側面を持っているので、発達未発達ではなく、空間的にその人の特徴であるという風な考え方がいいと思った。

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2020年09月23日

Posted by ブクログ

スティーブジョブズ、新海誠、グレン・グールド、アランチューリングから涼宮ハルヒまで著者が多種多様な人物や物語を引用し「自閉症」の時代を考察した一冊。
情報量の多さに圧倒されてしまった。
ここまで様々な情報を統合できる視野の広さが欲しいなと羨ましく思った。

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2020年08月31日

Posted by ブクログ

昔読んだ伝記には、学校で変人扱いされていたとか、全く勉強できなくてとか書いてあって、そういう人がいかに一つのことにのめり込んで成功していったか、の物語が多かった。こどもながら、普通に学校行ってる?自分は、普通のものにしかなれないと悟ったものだった。
のめり込んで何ごとかなした人を集めて論じる気楽さを、今は共有できない気分で、だから評価3、とりあえず。

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2020年08月12日

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