あらすじ
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
ベトナム戦争の凄惨な戦場に身を投じ、死と背中合わせで撮影を敢行した、ピュリッツアー賞カメラマン・沢田教一。「日本のロバート・キャパ」とも称されたサワダの、写真とその生涯を集大成した、既刊写真集の新装版。34歳の若さで戦場に散ったサワダの写真が、今も我々に語りかけているものは何か? ――沢田サタ「私が現在知っている彼の撮った写真の多くは、写真集や展覧会ではじめて見たものです。つまり、沢田の死後も、私は彼と会っているのです。」※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ピュリッツアー賞を受賞した沢田教一の写真集。表紙にもなっている「安全への逃避」はあまりにも有名だが、彼がその後家族達を¥のもとを訪れていたことは知らなかった。しかし、衝撃を受けたのは、表題にもなっている「泥まみれの死」という題のつけられた画像だ。戦争というもののすべてが一枚に凝縮されているように感じた。
Posted by ブクログ
ピュリッツァー賞受賞カメラマン沢田教一氏のベトナム戦争に関する写真を妻であるサタ氏がまとめた写真集。一頁一頁に戦場の緊迫感が伝わって来ます。特に激戦地となったグエン王朝の王都フエの破壊の凄まじさは、今の平和の状況を知っているだけに、隔世の感があります。欲を言えば、一ノ瀬泰造さんのように、ご本人の手紙等で直接見聞き感じたことが伺われればよかった。
Posted by ブクログ
沢田教一という写真家がいた。ベトナム戦争当時,凄惨な戦地に行き,あの川を渡って逃げる家族の写真「安全への逃避」を撮影した人だ。
本書には,他にも沢田の撮影したたくさんの写真が収められている。一方で,沢田の顔が写っている写真もある。これは逆にとってもらった写真だ。そのなかには,例の「安全への逃避」に写っていた家族を探し出して,その家族と一緒に撮影した記念写真もある。沢田は,1年分の生活費と一緒に,写真を手渡したそうだ。
教一の妻である沢田サタのあとがきなどが,味わい深い。
ただ,文庫本の写真集というのはやはり物足りない。大きな写真を見て,いろいろと想いを馳せたいものだと思った。
Posted by ブクログ
有名過ぎるくらい有名で、あえて僕がここで書く必要もないくらいの戦場カメラマン・沢田教一の写真集です。写っている写真の一つ一つがこれまた衝撃的なものばかりで、見る者の魂を揺さぶらずにはいられません。
彼のことを知ったのは偶然見たNHK教育の彼の生涯を追ったドキュメンタリー番組で、これを確か、札幌でみていた気がするんですが、これにいたく僕は感銘を受けましてね。北海道大学周辺のとある古本屋のいっぱい並んでいる界隈で名前を失念してしまったが芸術性や、本当に価値のある写真集を扱っている一軒の店にこの本の初版が置かれていて、確か、一冊50.000円くらいだったので、喰うにも事欠く有様だった当時の僕は泣く泣く諦めたのが思い出です。
後に、東京で働いていたときにとある本屋に立ち寄ったときに偶然この本の新装文庫版があったときには心の中で小躍りしたことを覚えています。その後、ここにはかけないけれど、なんだかんだあって東京を去らざるを得なくなったドサクサに、泣く泣くこの本を手放さざるを得なくなったときには、物のたとえではなく、本当に断腸の重いでした。
内容については、歴史の教科書か何かでベトナム戦争のくだりには、必ずと言っていいほど扱われているので
「あ、これとった人なんだ」って
わかるはずです。万が一この写真を見て心を動かされない人間は、極端なことを言えば寺に入って何年か心の修行をされることを強くオススメします。
Posted by ブクログ
一ノ瀬泰造とは、全く違ったタイプの人間だったのかな、と初めて沢田教一についての本を読み、思った。
ユエの戦闘の写真は圧巻。兵士の叫び声と銃声が頭に響いてきた。
ベトナム戦争ってどんだけ悲しい出来事だったんだよ。
Posted by ブクログ
そこには凄惨な前線の様子が写されていて
戦争がどういうものであるかを
言葉以上に雄弁に物語っていた。
鬼気迫る兵士たちの表情、ただただ絶望を感じながら逃げる現地人、
大量に横たわる躯、硝煙と爆炎、
ものすごく悲しい目をした人がたくさんでてくる。
こういった痛みを僕たちはこうした写真からもっと学ぶべきだ。
すでに沢田教一は世界中から忘れられた存在になっているらしい。
しかし、再び世界が混沌としてきた今こそ
沢田教一や彼と同じように戦争の痛みを捉えつづけてきた人々を
再び見出す時がきているのではないだろうか。
彼らは善悪の区別でなく
そこにある惨劇のみを撮り続けた。
そう、そこにあるのは惨劇のみなのだ。