【感想・ネタバレ】森田療法のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2023年06月02日

強迫神経症と言われる自分のことが理解できた。

こうありたいという目標が高い。やりたい事が多い。やりたいレベルが高い。

しかし、現実の自分の姿はそうできない。神経症的な欠点がある。

全然出来ないから逃げ出したいという気持ちがある。

そういう人が、自分の欠点を認め出来ないままの自分で、それでもや...続きを読むはり自分のやりたい事、なりたい自分を目指して生きていく

始めは神経症の原理などが説明されているけれど、最終的には、そういう自分がどう生きていったら良いのか、著者が自分の経験を元に私を励ましてくれた。

人生の指南書になったかもしれない。

1

Posted by ブクログ 2022年03月14日

あとがきにもあるように、著者の岩井は末期ガンに体を蝕まれながらも、口述筆記により本書を書いた。
いわばこれは魂の書である。

森田療法のエッセンスを踏襲しながらも、独自の考え方を加えながら説明している。
特に発達論などは森田の説を批判し、環境要因の大切さを述べている。まさに岩井式森田療法だ。
そのた...続きを読むめ、基礎的な内容は触れているが、教科書ではないため、単に森田療法の基本を知りたいという方には適さないだろう。
しかし、この本に書かれている、精神交互作用のカラクリ、あるがままに生きることの大切さ等は、より良い人生を歩むために知っておきたい事柄だ。豊富な事例を通して、それらがわかりやすく語られている。
是非、全ての人に読んでもらいたい。

0

Posted by ブクログ 2022年03月10日

私は、臆病な人間で、不安で石橋をいつまでも叩き続けて渡れない。
けれど、人生は、選択しなければ前に進めないし、選択せずに逃避してしまったら、不安を避けることはできるが、目的は達成できずにタイムオーバーだ。
怖いけれど前に進む選択をすること。そうすることが大切なんだと教えてもらった。
これからも悩んだ...続きを読むりしたときに読みたい。


0

Posted by ブクログ 2020年05月11日

興味があったから買ったのに、途中興味を失ったりするフェーズがあってなかなか進まなかった。この本の内容が悪いのではなく、私が読書に集中できない期間があったっていうことです。
自分の大炎上した心を落ち着けるには、とても有効でした。適度な諦めと、心理的距離をとるのは、ずっと前から私が一番苦手にしていること...続きを読むなので、、、、

0

Posted by ブクログ 2019年08月19日

病床で視力も聴力も失った精神科医師の、口述筆記による著作。森田療法は神経症の治療のみならず、健康な人の人間的成長や創造的生き方を促進する。苦悩は苦悩としてあるがまま受入れ、逃避せずに目的本意の行動を取ることが、心の健康と人としての自己確立につながるという。自分の弱点を認めつつ、一歩ずつ成長していきた...続きを読むい。

0

Posted by ブクログ 2016年04月25日

これはすごい本だ。自分が長年抱えてきた生きにくさ、違和感みたいなものがズバズバ解き明かされた。
自己啓発本をいくら読んでも核心に迫ってないから、全部何となく的外れな感じになるのは当たり前だと思った。
神経質症は精神病と違い病気ではないこと。逃げるのではなくその特徴をうまく生かしながら生きていかなけれ...続きを読むばならないこと等がよく理解できた。

これを死の間際に口述筆記で書いた著者はホントにすごい人だと思う。

0

Posted by ブクログ 2015年05月04日

良書。森田療法について書かれてある本を初めて読んだが、これは分かりやすい。というか、難しく文で書かれているとこもあるのだけれども、それがまた真理をついており、グッと心に響く。付箋を用意するか、メモ用紙を用意して読むことをお勧めする。

0

Posted by ブクログ 2014年10月12日

とあるブログで紹介されていた
世界との関わり方が変わる10冊のうちの1冊。

神経症をありのままを受け入れることにより、
治療しようとする森田療法の入門書。
「ありのまま」は「したいようにする」のでは無く、
「葛藤や苦悩を受け入れて認めること」だとしている。

坐禅をしていて「足が痛いこれじゃいけな...続きを読むい」
と思っていた時は、足が痛くて仕方がなかったが、
「足が痛くても仕方がない」と思ったら、
足の痛みが気にならなくなったのを思い出し、
仏陀の「諸行無常」「諸法非我」「一切皆苦」は
「どうせ何をやっても苦しいから諦めようよ」
というまったく救いのない話では無く、
「苦しみを受け入れれば、救われる」
ということだったのかなと思った。

全身を癌に侵され、視力まで奪われても、
自身を救った思想を伝えようとした著者の生き方が、
その考えを体現しており、凄まじい説得力を感じる。
神経症では無くても、生きる苦しみそのものに
応用が可能な思想を紹介しており、
「嫌われる勇気」の次に読むべき本。

0

Posted by ブクログ 2014年06月10日

本自体は古いのだけど、今の時代にも充分通用すると思います。

メンタルヘルスの患者はもちろん、神経質な性格に悩むひとにもすすめられる内容です。

0

Posted by ブクログ 2013年11月27日

この分野に興味があり手に取った。発行は1986年、著者はこれを病床にて口頭でまとめたとのことだが、解説が分かりやすく大変丁寧。文章からは著者の人柄と生への情熱がひしひしと伝わってくる。素晴らしい一冊だった。

0

Posted by ブクログ 2012年05月20日

岩井寛医師による森田療法解説書。
しかし、療法の単純な解説ではなく、森田療法の解説を通して人の生き方について深く考えさせられる内容だった。

再三語られている「あるがままの自分」、それを受け入れるというのが森田療法の考え方らしいが、実例を含めて分かりやすく解説されていた。
また著書ご自身の体験を通し...続きを読むての解説も非常に心に響いた。

著者は癌におかされ、最後の力を振り絞り口述筆記し本書が出来上がっている。「おわりに」に、こう記されている・・・『しかし筆者は、自分が可能な限り、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、身体が動かなくても、”人間としての自由”を守り通してゆきたいのである。』と・・・この本を書き上げることはまさにその実践だったのだろうだと思う。病魔は実際に著書の視力・聴力・身体の自由を奪っている。

著者の最期のメッセージとしての本書「森田療法」
ここからぼくらが受け取ることができるものは多いと思う。

0

Posted by ブクログ 2023年04月01日

神経質(症)な人に与える、「あるがまま」という考え方。
苦悩(とらわれ)を取り除くことに神経を使うのでなく、それを認めた上で、自己実現に神経を使う。
・・・神経質的になった時に欲しくなる言葉が満載。オススメ。

0

Posted by ブクログ 2022年06月01日

「あるがまま」とは
自己の「とらわれ」の内容を理解し認め、
「生の欲望」を実現すべく目的本意の行動をとり、自己陶冶、自己確立をはかり、創造的な生き方を試みることである。

あとがきには、筆者の特殊な事情が記され「生きる意味」が貫かれていた。

0

Posted by ブクログ 2021年12月19日

不安や葛藤は無理に消そうとせずそのままにして行動に移しましょう、当たり前のようなことだけれど専門家が書いた文章として改めて読むと納得感がある
実践するのはなかなか難しいけどもね、、

0

Posted by ブクログ 2021年08月23日

この世のなかは不条理と不公平で出来ていて自分もその一部。
だから不安定を恥じることなく自分のいきる道を決めて突き進むしかない。
精神は肉体に勝るかも
車に例えると体はボディで精神はエンジン。
子育てにも人間関係にも役に立つ

0

Posted by ブクログ 2018年12月30日

自分の自己肯定感の低さや、あがり症について、なんとか乗り越える糸口はないものかとあれこれ探している中で、以前に「森田療法」という言葉を聞いたことを思い出しました。

森田療法での「あるがまま」という概念の真髄が解かれており、思いのほか勇気付けられました。

自分にはやはり、何もしないうちからあれこれ...続きを読むと考え、恐れる傾向があるのですが、最終的には「怖いけど、やってみる」、やらないうちの恐怖は妄想、というシンプルなことに行き着くのだなあと思いました。

「逃避的な考えを認めたうえで、それを「あるがまま」にし、さまざまな葛藤をもったうえで、とにかく新しい行動に自分を賭けてみようと「目的本位の行動」をとるのである。この場合、結果は良い目が出るか悪い目が出るかわからない。しかし大切なのは自分がよいと思ったことに自分自身を投げ出し、行動をしてみることなのである。」

この言葉に尽きます。

0

Posted by ブクログ 2016年08月08日

あるがままを受け入れる大切さと生の欲望の考えがわかった。非常に私にとって参考となる本であるとともに、筆者は辛くも厳しい過去の経験をあるがままに乗り越えた森田療法の体現者であったのだと尊敬の念を抱いた。

0

Posted by ブクログ 2016年05月10日

難しそうに見えたけどとても読みやすかった。
何かにとらわれてしまった時の日常へのアプローチの仕方がわかりやすい。
何はともあれこの著者が素敵。

0

Posted by ブクログ 2015年01月01日

現状がクリアに整理されました。良書だと思います。

●以下引用

森田は、神経質(症)者は「生の欲望」が非常に強いという。

★神経質者の性格の特徴を考えてみると、一言でいってしまえば、“かくあるべし”という考えが非常に強い性格である。ひとつの教条主義。

→とにかく何にせよ、総合的にお金が集まった...続きを読むのだから、良いのではないだろうか。しかも「別に良いんじゃないですかね」とも言われた。「なんとも思わないとも言われた」。たぶん、ぼくはそういうのが許される人間なんだと思う。

★「人前であがらずに話せるべきである」という命題を自分に下すならば、人前で話すときにどもったり、ドキドキしたり、顔が赤くなる自分はだめな人間であるということになる。その結果、人が自分をおかしく見ているであろうというように、人に自分に苦痛の責任を転嫁するか、自分の内に劣等感を肥大させることになる

→今か考えたら、映画上映会の最後のプレゼンは確かに緊張していたし、完全に支離滅裂であったけれども、それでも約3万円くらいの支持をえた。緊張していようが、説明が下手であろうが、3万円を出してもよいと思われるくらいに、人の心に何かが届いた。このことは自信をもっていいし、またここにこそ自分が「実現」していく方向があると思う。あそこで緊張するからと言って、やめてたら何も生まれない。届くかもしれなかった人も見つからない。お金を出してもらえそうな人にも、聞き書きの魅力も。自分の恥よりも、とにかく訴えたいことがあるなら、したいく人間なのだと思う。

神経質における対人恐怖症者は、「生の欲望」が強く、自己表現あるいは自己実現を人一倍強く望んでいる。思ったように朗々と喋れなかったり、人を威圧し注視しながら喋れなかったり、気軽く豊かに表所を浮べながら人と対応できなかったり、彼らは“かくあるべし”と思う願いと現実とが一致しないのである

→たぶん僕は自己の教条(かくあるべし)として、他愛のない会話とか、どうでも良い会話とか、日常の社会的なやりとりとか、そういうものを「こなさなければいけない」と思っている。それはそれで置いておいて、では自分は何を欲望しているかと問えば、それはコミュニケーションにおいて、「人を開眼させる」ことであったり、自分が大切にしているものを「共有」することであったり、そういうある種の動機付けみたいなところがしたい。というか、そういう交わりが会話で成立するような時空に持っていって会話をしたい。それが僕の欲望であって、それを作りだせないのは、明らかに自分の自我の弱さだろうと思う。変に合わせる、空気を読むのではなくて、自己を抑制するのではなくて、多少空気読まないであろうが、突飛であろうが、とにかくそこまで運ぶこと。たぶんどうでもいい会話を探っていても、そういうところにひっかかるようなとこってあるんだと思う、そこでいかに自分の場に寄せてこれるか。僕は自分の時空、自分を中心とした場じゃないと真価を発揮できない。そこまで持ってくること。

今度はうまくやろうと、今度は震えないでやろうと思えば思うほど、努力をすればするほど、逆に震えてしまうんです。

取り除こうとしているところに注意が集中し、心臓がどきどきしたりする

★私はこういう状態は私以外の誰にでもやってくるものなのだと考え、あえてその状態をなくしようと努力をしないようになりました。そしてその一方、話の内容をよりよくしようとか、相手にどうしたらそれが明瞭に伝えられるだろうかとか、自分と他者の間の具体的な効果を挙げうることについて一生懸命に考え、努力しました

→自分ではなくて、自分に意識を向けるのではなく、相手との間に、相手との間に生まれうるものに注力すること。

彼は普段の有能さを捨て、自己中心的に自分の症状を気にかけ、少女をなきものにしようとすることに、日常生活の全力を投じてしまう

★自分の手や声が震えるというハンディキャップをもちながらも、一線の記者に選ばれたのだということを重視するようになり、次第に症状と共存したまま、与えられた目的を果たすようになっていった

→僕も雑談できないとか、政治が出来ない、空気読めない、大勢苦手、声が震える、強くない、距離も遠い、それでもなんとかお金も集まって、人も集まって、やっているじゃないか、それで十分じゃないか。人に応援してもらえているじゃないか。コミュニケーション出来ているじゃないか。目的はちゃんと進んでいるじゃないか、それで十分なんじゃないか。

自分が不安、葛藤を感じ、そこから逃れたいと願望するところにかえって惹きつけられてしまい、離れられなくなり、振り回されて、自由を奪われてしまうのである。

とらわれから脱却して治癒に至る為には、どのようなことが必要であろうか。懸命の努力をすること。他者や治療者の声に深く耳を傾けること。

★他人の言葉を素直に受け入れたなら、たとえその言葉に疑いをさしはさんでも、自分の判断の方がどこか誤っているに違いないと思い直し、助言に従ってみることが必要

→これだなぁ、作品を見てもらう時もそうだ。寄付の後の反応もそう。人の言葉を受け取るというのは、人をそのまま無条件に信頼するということ。そこにしかおそらく本当の、現時点での「自己」はいない。人に判断を委ねすぎるのはいけないけれど、自分がとらわれていることを自覚した上で、ひとつの見方としてそれを取り入れることは重要だと思う。「見せ方」に関する話を指摘されたのは全くその通り。あれが自分の本性なのだろう。
僕にとってのコミュニケーションはあそこにある。大切なものが伝えるとか、共振するとか、僕の大切にしているものを、落とさないように一緒にかかえてもらえるとか。それが僕にとってのコミュニケーション。本質的にすぎて、あまりに日常からかけ離れている、ある種の内部空間みたいなところへの働きかけを公で引き起こすにはたぶん相当ハードルがいるけれど、それをしたいし、しないとおかしくなる自分がいる。


黒子のことが気になっても、友人と芝居に観に行けたことが楽しかった

→これはまさしく映画上映会の後の感じに似ている。うまく喋れなかったけど、支援がきて嬉しかった。

★とらわれから、解放されるためには、他者の言葉を正しく受け容れる努力が必要である、それと同時に、受け入れた事柄を行動で示すことが必要

→他者の言葉を受け容れるのはほんとにしんどい。そこには紛れもない「自己」がいるから。裂け目を前提でしかどういうコミュニケーションは出来ない。また、おそらくこの間、「自分を裂く」ような言葉を言ってくれたのは、それを言った本人たちも「割かれた」からなのだろうと思う。そういう裂くー裂かれるコミュニケーションを前提にしたい。裂くっていうのは、自分のとらわれている自己を手放して、拡大、前進していくこと、その人の視線や言葉を避けるのは、そういうとらわれに自分をひきこもらせることと同じ。

神経症から解放されるためには、現実社会の不条理を受け容れ、とらわれから逆らうような方向に向かって行動を進めていかなくてはならない

★自分の目的を一生懸命に果たしていくうちに、いつの間にか強迫観念が薄らぎ、人間関係が正常に保てるようになり、積極的に社会参加もできるようになった

→これはまさに今僕がリアルタイムでやっていることだなぁ。その意味ではちゃんと自己実現のところにはいる

あるがまま、は本来もっている人間固有の姿、つまり人間性をそのままのかたちで素直に認めること

対人恐怖の症状を持つ人は、自分の赤面や、人に見られる時の違和感や、顔の醜さ、その他にこだわりをもち、できることなら人を避けて合わないでいたいと描投げるであろう。その一方で、彼には「生の欲望」がある、人と交わってより豊かなに生活をし、自己実現いsていきたいという欲望も存在する

→自分の欲望を守るのは自分しかいない。相手に侮蔑されるなら、相手をひっくり返すくらいの気魄を持たないといけないし、相手になめられて、自分が何も言えない状況にあるのなら、自分でその状況はくつがえすしかない、自我を弱めて、相手に自分を抑圧して、自分の欲望やとりたいコミュニケーションを避けるのなんてまっぴらごめんだ、自我を強めよう。恥や恐怖をそのままにしてなお、自我を強めていこう

★当初、銀行をやめるというのが自分の本心ではなく、それまでと同じように銀行で活躍したいという欲望をもちながら、そのことが実現できないために本来の欲望を放棄して、もう一方の逃避的な欲望に従おうとしていた

→これを自分に置き換えると、人と本質的な、裂けあうような、共振するようなコミュニケーションをしたいという欲望をもちながら、人にどう思われるか、変に思われないか、場の空気を壊さないかばかりを神経症的に気にすることによって、自分を抑圧し、逃避的な欲望に逃げ込んでいるという現状があるのだと思う、僕が、本質的な、祭祀的なコミュニケーションをとりたいのなら、そういう場に居座ることを耐えつつ、あるタイミングをみて、しっかりと、ある程度空気を壊しながらも、そっちに持ってくる自我の強さが必要。そして安易に他愛のない会話にのらないこと

★もし彼が自分の本来の欲望を生かそうとするならば、症状が存在しても会議に出席し、声が震えながらも発言し、手が震えながらも字を書かなければならない。この苦しさから逃げて、小さな企業の経理を一人でやったならば苦しさに苛まれる機会はなくなるだろう。しかしそれで満足できるであろうか。

身体が震えることを自覚しながら会議に出席し、字を書く手が震えながら字を書く

あるがままー症状をあるがままにしながらよりよく目的を果たすことに努力し、実現に注力すること

★→あるがまま。自分に意識を向ける、自分の姿を気にするんでなくて、自分の欲望の遂行にのめりこむこと。

私は不安や怖れをあるがままにして、息子や夫のために、お祝いの食事を作ることができた

→考えれば、僕が伝えたいと思って、本当に伝えたいと思って書いたことには人はしっかり反応してくれている。それが自分のコミュニケーションだからだろう。そういう所を僕は人から求められていると思う

★不安があっても友達と一緒に芝居を観て楽しみたいのが本心なのか、それとも不安を感じないために家に閉じこもっていたいのが本心なのか、自分自身に訪ねてごらんなさい

→とにかく僕はコミュニケーションがしたい。それだけ。人と深い所で共鳴するようなコミュニケーションがしたいだけ、存在と存在のやりとりがしたい、それだけ。それ以外は拒否するし、それでどう思われようが別にいい。社会的に終わってようが別にいい。それくらいの強さをもつこと、そういう欲望を持つ自分自身を絶対的に肯定すること

君はなぜここに入院しているのだろうか。君は対人恐怖症で、人前で緊張したり、声が震えたり、赤くなったりすることが苦しくて、中学の初めからそのことについて悩んできた。君はそういう自分が嫌で、よりよく人と接したい、より豊かに自分を表現したい、よりよく人を愛し愛されたい、ということを望んで悩んできた。

→僕の悩みは、「自分の大切にしていることを人に伝えきれている感じがしない」ことだろうか。

★緊張するから人を避けて部屋にいたいという欲望をあるがままにしたのでは、入院する前とまったく同じ行動をとっているにすぎない

→例えば、社交的な場で僕が引き出したいようなコミュってのは、おそらく出来ないのだと思う。そういうとこでは、そういう仮面をかぶるくらいの気概でいいのかもしれない。その一方で仕事でちゃんとそういう場を作っていければ


森田療法でのるがままは、人間性に向かっての無法をもったあるがまま

目的本位に伴う悩み、葛藤、不安、苦痛、症状を、あるがまっまにしながら、自分自身の人間としての目標に向かってあるがままを実現していくこと

★人中に入ってスポーツをやったり、作業をしたりすることへの不安や苦痛を、あるがままにしながら、現実においてては人と交わり対話する、それまで拒否していた場面から逃げないことで自己実現していくこと。目的本位の行動をとること

→それで言ったら、たぶん僕は出来てはいるんだろうと思う。それに加えて、「祭祀」的な対話がしたいと望んでいる。あとは、ちゃんと雑談とかもできるようにはしたいが。それも後付かなぁ。「まぁこんなもんかなぁ」っていうのは社会の上では必要なのかもしれない。

新景初は人間の弱さから発している。自我の脆弱さに起因

目的本位の行動をとることは、それまでの自己存在とは異なった存在の仕方をすること

自分の苦悩が「とらわれ」に陥っていないかどうかを検証する。「とらわれ」の内容を整理し、あるがままに認める。

→「現在のとらわれ」
・メンバーとの距離感が神山塾並でなくてはならない。
・友達のようになんでもさらけ出さなくてはいけない
・雑談をしなくては関係が保てない
・コミュニケーション=雑談である
・僕がやっているのはわがままである
・僕は何もできていない、出来ないことばかりだ
・雑談の先に、深いコミュニケーションがあるのだ
・人の言うことは信頼してはならない
・僕はコミュニケーションがとれていない
・僕はコミュニケーションが下手だ
・祭祀的なコミュ以外はコミュではない
・祭祀的なコミュ以外はおもしろくない

0

Posted by ブクログ 2014年12月07日

神経症について平易に書かれているので理解しやすい。具体的な治療過程についてもっと知りたくなった。筆者自身の個人的なエピソードも良い。

0

Posted by ブクログ 2013年10月04日

素晴らしい神経質症を克服する実践的な話だった。神経質症だけにかぎらず、ありとあらゆる形の、普通の人の中にも存在する真面目に生きよう、しっかりとしようというような、ごく当たり前の欲求と行動の全てに関する本で、恐れや不安などを取り除こうとせず、あるがままにして、恐れたまま不安なままで生きていくという大事...続きを読むな生き方のメソッドだと感じた。

0

Posted by ブクログ 2013年10月01日

森田療法の本、二冊目。これで、だいぶ森田療法のことがよく分かった気がします。
著者はこの本をガンを患い、失明した状態で、口述で書き上げたそうです。ご自分の体験も織り交ぜながら、分かりやすく書かれていて、著者を身近に感じました。森田療法といえば「あるがまま」ですが、「かくあるべし」という思いが強くて苦...続きを読むしい方に向けて、何を「あるがまま」にするのか、目的本位に行動するとはどういうことなのか、イメージしやすく書かれていると思います。
「おわりに」では、自身の闘病体験についても詳しく書かれ、生き方、社会の在り方にまで言及するようなことが、優しさのにじむ言葉で書かれていました。

0

Posted by ブクログ 2013年06月25日

人間と、動物との相違は精神活動にある。
森田療法では、人間に固有の個的な精神活動と、生物の持つ種の保存機能の2つを合わせて「生の欲求」と位置づけ(=欲求の二面性)、これら二つの側面を以て分析対象を捉える。

どちらの欲求も人間に持って生まれた機能であり、これらの欲求の内の都合の悪い(=環境に適応しき...続きを読むれない)欲求を無理に抑圧することで神経症の発症原因となる。

森田療法の要諦は、精神活動としての欲求と種の保存的欲求を基底とした考えを「あるがまま」に受け入れ、「目的本位」に従うことが必要であるということである。

0

Posted by ブクログ 2012年08月17日

若者向けのフリーペーパー「R25」の中の「R25的ブックレビュー」で紹介されていた一冊。
今週のテーマというのが「生きていくだけなのに なぜ難しく感じるの?」となっていて、その中で一番大きく紹介されていたのがこの本。
そのコピーは、”生きづらい現代を生き抜くための超一級の人生哲学書”とあった。
新書...続きを読むの帯には、”不安や葛藤を「あるがまま」に受け入れ、すこやかな自己実現を目指す - 誰もが実践できるメンタル・ヘルスのヒント!”とかなり軽めのキャッチコピー。確かに書名がかなり堅いから売る側の工夫というものなのかもしれないけど、内容は著者の熱意あふれる文体に引き込まれます。
手話通訳者統一試験をめざすような人たちにもちょっとお薦めかも。
「森田療法」というのは、神経症の治療法のことで、この本はその入門書というか広く一般の人たちに「森田療法」を知ってもらおうと書かれた本だと思うのだが、試験を前に緊張してしまくって普段の自分の力を出し切れないような人にとっても参考になる記述がいっぱいある。
すなわち「試験のビデオカメラを前にしてメチャメチャ上がってしまっている自分を「あるがまま」に受け止めつつも、手話通訳者を目指してこれまで頑張ってきた自分の想いというものを最大限に大事にして行動する(試験問題に臨む)」という考え方です。
books73

0

Posted by ブクログ 2024年03月09日

生きることの自由とは意味の実現にかけることなんです。

森田療法とは

自己否定的な考え(逃避欲求/より楽な方に逃避したい)を そっくりそのまま受け容れて放置し(あるがまま)
自己実現欲求(真の欲望)に集中すること
(目的本位)

誰しも不安があるのは常。
ないことにしようすれば却ってそれに気がとら...続きを読むわれる。

神経症者はマイナスの感情を消そうと無駄な努力をしている。




対人恐怖症は本当に人が怖いのではなく、
他人にどう思われるかが怖い。

つまりどこかで人に期待してしまっている。
今好かれてるから嫌われたくない
面白いと思われたいとかいう人のところエゴ。



ドストエフスキー

彼自身が神経症に悩んでいたがそれを芸術に昇華させた
書き続けた


不安だから準備する
準備するから成功する
つまり不安がなければ成功しない。

0

Posted by ブクログ 2023年05月30日

本書は末期ガンによる副作用で失明した筆者が、担当編集者への口述筆記で完成させたものですが、ガンの痛みや身体の不自由さを抱えながら、なぜそこまでして書き上げたかったのか。そこに、筆者自身が「森田療法」具現者としての生き証人足らんとした事実を知ることになります。筆者による「あとがき」で明らかにされる事実...続きを読むはまるで、重厚なミステリーの種明かしを聞かされる様な衝撃と感動が味わえます。
森田療法とは、神経療法の理論全体を指す言葉です。キーワードは「あるがままを生きる」。ここでの「あるがまま」とは、症例として現れる不安や苦痛をあるがままに受け入れながら、こうありたい自分像に向って(目的本位)行動し、自己実現を目指すことを目的とします。
対人恐怖症だった銀行員の話など具体的なケースが理解を助けます。
結局、神経症自体、当事者にとっては苦痛以外の何ものでもないが、実は苦悩や葛藤を通じて、「とらわれ」からの解放を経験することでより自由で豊かな人間形成を可能とする面にも注目するのが森田療法です。

0

Posted by ブクログ 2020年04月05日

少々難しい所もあったので、飛ばし読み。

自分を当てはめながら読んでいたのだが、『生の欲望』が実は自分の中にもあるのかもしれない、と気付かされた。

例えば、逃避したくなるなどの『あるがまま』の自分を受け入れながら、本当に望んでいる事のために行動を起こす。
行動を起こす、ことが今の私にはできているだ...続きを読むろうか?
そもそも、本当に望んでいることはなに?

あるがままを受け入れることに苦しみながらも、行動していくことでいつか行きづらさから解放されるなら、それは希望。

0

Posted by ブクログ 2018年02月17日

ロングセラーらしいですが、症例紹介と「あるがまま」を受け入れるほかない、という仏教的な治療法(?)です。これを読んでも当然「あるがまま」にはなれません。「あるがまま」になろうとすること自体がすでにあるがままではないのではないかとの素朴な疑問もあります。

0

Posted by ブクログ 2014年03月07日

吃音の治療に使われている認知療法について知りたくて読んでみた。古い本だけど、丁寧に平易な言葉で説明してあって、基本的な考え方がよくわかる。

0

Posted by ブクログ 2012年03月26日

岩井先生が最期の力を振り絞って書かれた力作だと思います。
事例等交えて分かり易く書かれていたように思います。

私自身がまだまだ勉強不足なので…。

0

「学術・語学」ランキング