【感想・ネタバレ】学校では教えてくれない!1ヶ月で洋書が読めるタニケイ式英語リーディングのレビュー

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Posted by ブクログ

外国語の本を開いてほしい。

わからない、単語や語句、表現はどれくらいあるだろうか?「1つもない」という人は少ないではないだろうか?

外国語の本を読む過程で、

①「外国語の本を読むのが好きになる」

②「外国語の本を読むのが、習慣になる」

以上を身体レベルで感じるまでに、

一番経験することは
数多の「わからない」という経験です。

「単語の意味がわからない」

「語句の意味がわからない」

「文の意味がわからない」

「全体的に書いてあることがわからない」

日本語の本を読む時には、あまり感じたことがない「わからない」という経験を、
外国語の本では嫌というほどします。
「この嫌な感じ」が、いつしか、「やめた」につながります。

日本語の本では、本を読むことが、娯楽なのに、外国語の本では、
苦痛になる。これは、なぜだろうか?
この問いに答えるのは、外国語学習をする上で、
非常に大切になる。

答えを言えば、それは、「わからない」ことが多いからです。

それを克服するには、単純化すれば、

「わからない」→「調べる」→「考える」→「わかるようになる」

これは、多読を開始した頃は、
エンドレスで行わないといけない。

ただ、語学の天才とか才能があるという人が、学習者の中には一定数いて、
それは、サッカーや、野球をやる人に天才的に上達がうまい人がいるのと同じで、「わからない」のに、すぐにわかってしまう人がいる。

また、学習の初めから、その「わからない」ことが少ない人もいる。しかし、そんな人は、学習者の中のせいぜい1%ぐらいです。

ちなみに、この本の著者も、おそらくは、その1%に入ると思います。
推測ですが、中学校上がる前には、かなり外国語の本を読むトレーニングや、
知らぬうちに読んでいたの部類だと思います。

自分の実力にあった語彙レベルの本が身近にあればいいのですが、
実際は、面白くない場合が多い。
面白い本と思われる本は、どれも、自分の語彙レベルを、遥かに超えている。

ただ、語彙レベルを抑えれば、確かに1か月で外国語の本を読めるようになると思うが、
大事なことは、半永久的に、習慣として、外国語を読む習慣を獲得することで、
数ヶ月や、資格を取得したから、やめるでは、あまり意味がない。

多くの語学学習者は、「わからない」をひたすら経験して、
「わからない」→「調べない」→「わからなくなる」→「やめる」→「諦める」

という事態に陥り、いつの間にか、外国語の本から、遠ざかり、「日本語の世界」の住人に戻る。

だって、日本語の世界の方が、「わかる」から。

多くの人は、「わからない」ことが怖い。
できたら、「わかる世界」にいたいと思う。

しかし、経験から言うと、
あまりに「わかる」世界にいると、個人の成長はない。
「わからない」世界にいた方が、個人的な成長につながる場合が多い。

外国語の学習は、この「わからない」ことを簡単に経験できる価値ある行為
だと思いますが、なんせ、あまりに「わからない」ことを多く経験するために、
多くの人が挫折する。

ただ、厄介なのは、「わかる」世界にいながら、
自分は、外国語をできますとか、外国語の必要性を声高に説く、人が、日本にはたくさんいるということです。

仮に留学しようが、資格試験で、高い点数をとったとしても、外国語を使わない環境にいると、培った外国語の能力は「すぐに落ちます」。

つまり、わからない世界を抜け出して、わかる世界にいると、能力をすぐに落ちます。

それは、経験者なら、誰もが知っています。
外国語は技術であり、その技術を使わないでいると、さびれると。

野球も、サッカーも、水泳も、練習や試合をしなかったら、勘がにぶったり、技術が落ちるのと似ています。
なんで、こういうことを、もっと喧伝しないのでしょうか?

外国語を使いたいのたなら、わからない世界で、ずっと暮らさなければいけません。

実は、それが、どれほど、豊かな世界を自分自身で、築けることができるのかを、知らないといけません。

外国語の能力をさびさせないためには、使うことが一番肝心で、使うのに、一番適した、トレーニング方法の一つが、多読だということも、語学の上手い人は、経験的に理解しているはずです。

つまり、語学は一種の技術なので、
それを向上維持するためには、日ごろのトレーニングが大切ということです。いきなりランニングすると疲れるけど、ランニングを習慣にして、マラソン大会に備えたり、良いタイムを出すために日々研鑽するのと同じです。

よって、語学学習における幾多の「わからない」という経験は、語学技術を向上させる上で、もっとも大切なことだということです。

この経験なくして、つまり、自分に負荷がかかる状況(わからないという経験)なくして、
技術の向上はあり得ません。

よって、「わからない」単語や語句、表現、内容に遭遇すればするほど、語学学習者は、テンションが上がらなくてはいけません。

「やった!、全然、わからない、でも、これを理解すれば、覚えれば、また、
技術があがるぞ」と思わないといけません。
大事なことは、語学学習を、単なる勉強だと思うと、かならず嫌になります。

語学学習は、語学技術を向上するためのものであり、
もっと大事なことは、自分の人生を豊かにするための手段の一つです。

テストのため、留学のため、仕事のため、昇進のためでは、続けることは難しいでしょう。それは、語学の性質上、勉強ではなく、技術で、その技術を向上させるか、させないかが、大事です。

技術を向上させたいなら、積極的にわからないことを経験する。こういう態度を半永久的に続ければ、その過程で、多読が、語学技術を向上させる上で、欠かすことができない、優れた手段かわかるはずです。

問題集をひたすらやるよりも、
よほど、語学技術が向上できます。

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2018年11月01日

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