あらすじ
「いつか洋書を読んでみたいけど、量が多くて大変そう」
「洋書を買ってみたものの、知らない単語が多くて読めなかった」
「何度も洋書に挑戦しているけど、途中で挫折してしまう」
など、英語を勉強していて洋書に憧れる方は多いと思いますが、洋書はなかなかハードルが高くて1冊読み切るのは難しいのではないでしょうか。本書は、1日30分×1ヶ月の速読トレーニング、記憶の仕組みを利用して楽しく効率よく単語が覚えられるブレイン・ボキャビル、単語を調べながらでもスムーズに洋書が読める電子書籍の活用の3つにより、「洋書を1冊読み切れる力」を身に付けることができる本です。洋書に限らず、英語の雑誌記事やウェブサイトのニュース記事など、量の多い英文がすらすら読めるようになります。TOEICやTOEFLで出題される英文であれば、「こんなに短かったっけ? すぐに読めてしまった!」と感じることができるでしょう。
リーディングのトレーニングと聞くと、「成果が出るまでに時間がかかりそう」「地道な勉強を黙々と続けるのはつまらなさそう」というイメージを持っている方も多いかもしれません。しかし、実はその考えこそがリーディング力アップの邪魔をしているのです。本書では、無理なく・楽しく・効果抜群なトレーニング方法を紹介しているので、忙しい人でも毎日続けることができます。
「今日から使える1ヶ月分の速読トレーニング教材」と、「洋書を読むためにまず覚えるべき厳選1000単語リスト」が付いているので、本書を使ってすぐに速読トレーニングとボキャビルを開始することができます。ぜひ、本書を活用して、洋書を気軽に楽しめるようになりましょう!
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Posted by ブクログ
外国語の本を開いてほしい。
わからない、単語や語句、表現はどれくらいあるだろうか?「1つもない」という人は少ないではないだろうか?
外国語の本を読む過程で、
①「外国語の本を読むのが好きになる」
②「外国語の本を読むのが、習慣になる」
以上を身体レベルで感じるまでに、
一番経験することは、
数多の「わからない」という経験です。
「単語の意味がわからない」
「語句の意味がわからない」
「文の意味がわからない」
「全体的に書いてあることがわからない」
日本語の本を読む時には、あまり感じたことがない「わからない」という経験を、
外国語の本では嫌というほどします。
「この嫌な感じ」が、いつしか、「やめた」につながります。
日本語の本では、本を読むことが、娯楽なのに、外国語の本では、
苦痛になる。これは、なぜだろうか?
この問いに答えるのは、外国語学習をする上で、
非常に大切になる。
答えを言えば、それは、「わからない」ことが多いからです。
それを克服するには、単純化すれば、
「わからない」→「調べる」→「考える」→「わかるようになる」
これは、多読を開始した頃は、
エンドレスで行わないといけない。
ただ、語学の天才とか才能があるという人が、学習者の中には一定数いて、
それは、サッカーや、野球をやる人に天才的に上達がうまい人がいるのと同じで、「わからない」のに、すぐにわかってしまう人がいる。
また、学習の初めから、その「わからない」ことが少ない人もいる。しかし、そんな人は、学習者の中のせいぜい1%ぐらいです。
ちなみに、この本の著者も、おそらくは、その1%に入ると思います。
推測ですが、中学校上がる前には、かなり外国語の本を読むトレーニングや、
知らぬうちに読んでいたの部類だと思います。
自分の実力にあった語彙レベルの本が身近にあればいいのですが、
実際は、面白くない場合が多い。
面白い本と思われる本は、どれも、自分の語彙レベルを、遥かに超えている。
ただ、語彙レベルを抑えれば、確かに1か月で外国語の本を読めるようになると思うが、
大事なことは、半永久的に、習慣として、外国語を読む習慣を獲得することで、
数ヶ月や、資格を取得したから、やめるでは、あまり意味がない。
多くの語学学習者は、「わからない」をひたすら経験して、
「わからない」→「調べない」→「わからなくなる」→「やめる」→「諦める」
という事態に陥り、いつの間にか、外国語の本から、遠ざかり、「日本語の世界」の住人に戻る。
だって、日本語の世界の方が、「わかる」から。
多くの人は、「わからない」ことが怖い。
できたら、「わかる世界」にいたいと思う。
しかし、経験から言うと、
あまりに「わかる」世界にいると、個人の成長はない。
「わからない」世界にいた方が、個人的な成長につながる場合が多い。
外国語の学習は、この「わからない」ことを簡単に経験できる価値ある行為
だと思いますが、なんせ、あまりに「わからない」ことを多く経験するために、
多くの人が挫折する。
ただ、厄介なのは、「わかる」世界にいながら、
自分は、外国語をできますとか、外国語の必要性を声高に説く、人が、日本にはたくさんいるということです。
仮に留学しようが、資格試験で、高い点数をとったとしても、外国語を使わない環境にいると、培った外国語の能力は「すぐに落ちます」。
つまり、わからない世界を抜け出して、わかる世界にいると、能力をすぐに落ちます。
それは、経験者なら、誰もが知っています。
外国語は技術であり、その技術を使わないでいると、さびれると。
野球も、サッカーも、水泳も、練習や試合をしなかったら、勘がにぶったり、技術が落ちるのと似ています。
なんで、こういうことを、もっと喧伝しないのでしょうか?
外国語を使いたいのたなら、わからない世界で、ずっと暮らさなければいけません。
実は、それが、どれほど、豊かな世界を自分自身で、築けることができるのかを、知らないといけません。
外国語の能力をさびさせないためには、使うことが一番肝心で、使うのに、一番適した、トレーニング方法の一つが、多読だということも、語学の上手い人は、経験的に理解しているはずです。
つまり、語学は一種の技術なので、
それを向上維持するためには、日ごろのトレーニングが大切ということです。いきなりランニングすると疲れるけど、ランニングを習慣にして、マラソン大会に備えたり、良いタイムを出すために日々研鑽するのと同じです。
よって、語学学習における幾多の「わからない」という経験は、語学技術を向上させる上で、もっとも大切なことだということです。
この経験なくして、つまり、自分に負荷がかかる状況(わからないという経験)なくして、
技術の向上はあり得ません。
よって、「わからない」単語や語句、表現、内容に遭遇すればするほど、語学学習者は、テンションが上がらなくてはいけません。
「やった!、全然、わからない、でも、これを理解すれば、覚えれば、また、
技術があがるぞ」と思わないといけません。
大事なことは、語学学習を、単なる勉強だと思うと、かならず嫌になります。
語学学習は、語学技術を向上するためのものであり、
もっと大事なことは、自分の人生を豊かにするための手段の一つです。
テストのため、留学のため、仕事のため、昇進のためでは、続けることは難しいでしょう。それは、語学の性質上、勉強ではなく、技術で、その技術を向上させるか、させないかが、大事です。
技術を向上させたいなら、積極的にわからないことを経験する。こういう態度を半永久的に続ければ、その過程で、多読が、語学技術を向上させる上で、欠かすことができない、優れた手段かわかるはずです。
問題集をひたすらやるよりも、
よほど、語学技術が向上できます。