【感想・ネタバレ】トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代までのレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

トルコ現代史

オスマン帝国の滅亡から、トルコ共和国ができ現代までの歴史の変遷を丁寧に説明している。
2002年に公正発展党が政権を握ってから、経済的に安定成長を続け、国際的にも存在感を強めつつある。
最近はトルコ国内で多くの事件が起こり、隣国のシリアやイラクの混乱への対応、難民問題をめぐるEUとの関係などもあり、また公正発展党出身のエルドアン大統領と安倍首相との良好な関係、2014年末から15年初めに上映された日本とトルコの合作映画『海難1890』もあり日本でもトルコへの関心が高まっている。

第一世界大戦で敗北したオスマン帝国は、条約によって解体されようとしていた。
しかし建国の父、ムスタファ・ケマルの尽力もあり、ローザンヌ条約によってトルコの独立を認めさせ、初代の大統領となった。
トルコにいるクルド人は、「トルコ人」への同質化を迫られた。(抵抗はあった。)
その後の第二次世界大戦では、第一次世界大戦の教訓から、トルコは「現状維持」を第一に、1939年から42年まで、イギリス・フランス・ドイツ・ソ連との間に全方位外交を展開した。トルコは注意深く中立を保ち、大戦末期に連合国に加わった。

 外交では、第2次大戦後、トルコは西側陣営への傾斜を強め、朝鮮戦争へは4500人を派兵。その貢献もあって1952年にNATOへ加盟する。
 しかし、1964年のトルコのキプロス派兵によるアメリカとの関係は悪化。さらに1974年の第2次キプロス紛争が起こると、アメリカのフォード政権はトルコへの軍事援助と軍備品の売却を停止し、対米関係は悪化した。
第二次世界大戦当時、ソ連の脅威からアメリカを始めとした西側に傾いていたが、ソ連の国力が衰え、キプロス紛争などが起こると逆にソ連との距離を近づけていった。
そしてまた1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、トルコの重要性が高まり、再度アメリカなどはトルコに近づいていくことになる。

 1980年9月12日、治安の悪化などを理由に軍がクーデタを起こし、そして新しく1982年憲法がつくられた。この新しい制度のもとで政権を担当することになったのが祖国党のトゥルグット・オザルです。
 オザルは新自由主義的な経済政策を推し進めるとともに、「トルコ-イスラーム統合論」によって政教分離に抵触しない範囲でイスラームを正当化しました。
 また、外交面では親米政策を取り、大統領として迎えた1989年の湾岸危機では、ほぼ独断で多国籍軍のトルコの基地使用を認めた。
しかし、そのオザルが1993年に急逝するとトルコの政治は再び不安定化。首相にはデミレルの後継者である正道党(公正党の後身)の党首で経済学者でもあった女性のチルレルが就任したが、また、クルド人問題についても解決の道筋は見えず、オジャラン率いるPKKが海外で戦闘員を育成し、テロ活動を繰り返した

 そうした中で、親イスラームの福祉党が1994年の地方選挙や95年の総選挙で躍進。
 ところが、この台頭は軍部の警戒感を招き、98年に福祉党は解党。99年からはエジェヴィトが首相となり、02年まで政権を担うが、00年と01年には経済危機が起こり、ハイパーインフレが発生。

 この危機を受けた02年の総選挙で大勝したのが現在の大統領エルドアン率いる親イスラームの公正発展党。
 経済的にも安定したトルコはG20のメンバーとなり、その存在感を増加。
現在は世界18位の経済力を誇る。
 外交も、ダーヴトオールの提唱した「中心国」の概念のもと、地域の「大国」として中東地域を安定させようとしている。
 
 特にシリア内戦において、トルコは当初アサド政権の退陣を求めたものの、アメリカの不介入の方針もあって、ISの台頭、ISに対抗するために存在感を増したクルド人の武装組織、さらにはロシアの介入と、トルコにとって厄介な事態を次々と引き起こしている。
 また、シリアからの難民は2016年12月の時点で約279万人がトルコに流入しており、このシリア難民の統合はトルコの民族主義にとって大きな問題となるだろう。
 また、PKKとの和平交渉も現在は頓挫しており、現在68歳のオジャランが存命中に和平を達成できるかがひとつの鍵となる。

クルド人問題は現在も解決されていない。
国を持たない民族であり、自分達で独立することを目指している。
だからつねにクーデターなどが起きる環境にあるのだろう。

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2017年06月28日

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