あらすじ
いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。新自由主義は政治と市場の区別を取り払っただけでなく、あらゆる人間活動を経済の言葉に置き換えた。主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに。だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。その矛盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生を人的資本とし、知識を市場価値で評価し、格付けに駆り立てられるとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。民主主義は黙っていても維持できるものではない。民主主義を支える理念、民主主義を保障する制度、民主主義を育む文化はいかにして失われていくのか。新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そのものを解体していく過程を明らかにする。
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Posted by ブクログ
簡単にいうと本のタイトルに要約される。新自由主義が見えないうちに私たちの生活に入り込んで、民主主義を破壊しているかという本。
それだけだと他にも同様の主張をする本は多そうだけど、この本は、アメリカの現状を具体的に説明するだけではなく、哲学思想のレベルでどうしてそうなっているのかということをフーコーの「生政治の誕生」を基軸におきながら、解読していくところが面白いところ。
といっても、フーコーの議論は、70年代後半で、サッチャーやレーガンが政権をとる直前の話し。そこからすでに40年くらい経っているわけで、その後の変化を踏まえつつ、フーコーの議論の不十分な部分を補いつつ、現実を踏まえながら、理論的にも乗り越えていくところに著者の哲学者としての力量を感じる。
哲学的な本なので、読みやすいわけではなく、一応、「生政治の誕生」をはじめフーコーの講義録を何冊か読んだわたしもときどき迷路にはいっていく。
が、結論部分は、ほんとそうだよなと納得するものであった。
新自由主義は、もともとファシズム、全体主義に対抗するため、全体に対抗する個人を守るための思想であったのだが、経済だけでなく、政治、家庭、個人の人生が資本主義に飲み込まれて、結果的に個人が「人的資本」としてしか存在しないものになってしまう。そして、そこに皮肉なことに、違う形での全体主義を生み出す土壌ができてしまう。ということなんですね。
Posted by ブクログ
国民が自らを統治する民主主義が、いかにして新自由主義に蚕食されているかを描いている。
リベラルの大統領であったオバマの演説ですら、経済的な利益になるからリベラルの主張は正しいという論調になっているという分析や、高等教育の新自由主義化が、公的な社会と民主主義の危機に至る描写は唸るものがあった。
訳者の解説によれば、本書の筆者はフーコーの講義や主張を分析によく用いるようだが、呆れるほどフーコーの引用や大学講義の言葉が繰り返され、よほど西洋哲学が好きな人間でなければこの辺りの理解は難しいだろう。
なお、本書は、左翼のみが今の絶望的な民主主義の状況を何とかできる存在であるという、半ば祈りのような結びで終わる。筆者も訳者も左翼の人間であるからだが、日本のいわゆるデモとアジテーションに明け暮れるような左翼とはまったく異なることは、本書を読み進めるうちに分かるだろう。