あらすじ
「薄明の窓辺に置かれた言葉のジュエリー。エミリーの詩は読むたびに新しく誕生する。」――谷川俊太郎(帯のことば)
英文の構造が変則的で、それゆえ訳すことが難しいといわれるエミリー・ディキンスンの1775編の詩のなかから、73編を選んで、7つのジャンルに分けて構成した。ディキンスンを愛してやまない詩人で翻訳家の内藤里永子氏が、「ディキンスンの詩に親しみをもってもらえるように」との願いを込めた渾身の訳。内藤氏は『まぶしい庭へ』(ディキンスンの詩にターシャ・テューダーがイラストをつけた絵本)を訳し、好評を博した。7つのジャンル分けは以下のとおり。
1、わたしは名前がない。あなたはだれ? (日々の暮らしを宇宙のものとともに)
2、ほんとうに目が見えなくなってしまう前に (心の目で見て、心の耳で聴く)
3、魂には逃亡を企てる時がある (舞い踊る衝動、噴火を秘めたエネルギー)
4、自分自身を信じるの! 神秘を信じるの! (詩人の姿のあらわれ)
5、朝がドアを叩いた、別れのとき。どちらももう強くはなかった (いのちの真紅の多量のしたたり)
6、あのような方も死ぬ、ということが わたしの死を穏やかにする (死の眠りと別れ)
7、「希望」は背中に翼をつけている (癒しのことば)
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Posted by ブクログ
Emily Elizabeth Dickinson
I’m Nobody! Who are you?
エミリー・ディキンスン詩集 内藤里永子編・訳
「わたしには名前がない。あなたはだれ?」
装幀・装画 伊勢功治
世に知られずひっそりと生きて、55歳で亡くなったEmily Dickinson の詩集です。原文を知りませんが詩の一つ一つにはタイトルはありません。日記のように心の赴くままに綴られた詩からは、混沌とした時代を、その人生を生きた彼女の想いが伝わってきます。
*巻末の【Emily Dickinson 年譜】から引用*
1830年12月10日アメリカ、マサチューセッツ州アマーストの名家に生まれる。
1848年(18歳)マウント・ホリョーク大学を退学。信仰復興運動が激しさを増す中、告白を固辞して孤立したことも要因か。
1861年(31歳)南北戦争勃発。
1862年(33歳)エミリーが敬愛、思慕する二人の人物ワーズワス牧師と新聞先週者サミュエル・ボウルズ氏がアマーストを離れていく。このころ、トマス・W・ヒギンスンに当て手紙を出す。一番の危機の時にも、手紙ですがっている。
1864年(34歳)目の治療、失明の恐怖を味わう。
1865年(35歳)南北戦争終戦。
1878年(48歳)ボウルズ氏死去。この頃から妻に先立たれたロード判事と恋の手紙を交わす。
1880年(50最近)ワーズワス牧師と再会。
二年後ワーズワス牧師、死去。母、死去。
1883年(53歳)甥のギルバート(8歳)が、突然の病死。心が挫けるほどの衝撃を受ける。
1884年(54歳)ロード判事、死去。
1886年5月15日 エミリー永眠。享年55歳。
33歳から敷地の外へ歩み出ることのなかったひっそりとした生活の中で、彼女が遺した1775編の詩稿と手紙から73編が収められています。
彼女の人生を振り返ることだけで、長くなってしまいましたので、短めの詩を少しだけご紹介させてください。
“ 小さき勇者たちー
花ひとつ 本一冊が
ほほえみの種を植えています
闇の中に 咲きます ”
“ 言葉が死ぬ
口にされると
と、人はいう
でも あの日
言葉が生き始めたの
と、わたし ”
“ 「希望」は背中に翼をつけている
人の心の中に止まっている
言葉のないメロディーをうたっている
歌いやむことはない
疾風の中で聞いたとき ああ ほんとうに
優しかった。荒れ狂う嵐が凄まじくても
たくさんの心を温めた「希望」という
小鳥を打ち砕けるだろうか
極寒の地で わたしは「希望」の歌を聞いた
まよい出た海の上でも聞こえた
「希望」は しかも困窮したときにも わたしに
パンくずひとつ ねだりはしなかった “
他にも柔らかな感性を感じる作品なども多くあります。彼女の死後に発見され、本となった遺稿、時代に埋もれてしまわず、遺されたことに感謝です。
他の出版物も読んでみたくなりました。
(ひだまりトマトさんの本棚でこちらの本を知りました。伊勢功治の装画も好みで購入したお気に入りです。(*´︶`*)ひだまりトマトさん、いつもありがとうございます。エミリーを知るきっかけになりました〜(*´꒳`*))
Posted by ブクログ
エミリー・ディキンスンさんの詩集ですね。
エミリー・ディキンスンさん(1980ー1886)は、アメリカ、マサチューセッツ州生まれ、詩人。
訳は、内藤里永子さん、詩人、翻訳家。
エミリー・ディキンスンさんは三十歳半ばから家の敷地から外に出ることなくなくなりました。作品は死後に発見されて、アメリカ文学史上の奇跡と言われたそうです。
この詩集は、内藤さんが谷川俊太郎さんとポエムドラマ「女 そして 男」で共演した折りに、谷川俊太郎さんから『エミリーの訳詩集を出しなさい』と勧められて世に出ました。
精緻に溢れた自然と唱和した詩の響きが感じられます。
詩人の内なる宇宙と大自然の宇宙が共鳴したような美しさがあります。端的で清楚な言葉に深い意識が籠められています。
心地好い言葉の響きが良いですね。訳も良いおかげですね。