あらすじ
国民の「知る権利」を軽んじ、秘密が横行する権力は必ず暴走する――。第二次世界大戦敗戦直後の軍部による戦争責任資料の焼却指令から福島第一原発事故にいたるまで変わらない、情報を隠し続けて責任を曖昧にする国家の論理。この「無責任の体系」を可能にするものは何か? 本書はその原因が情報公開と公文書の管理体制の不備にあることをわかりやすく説明する。そして、世界の情報公開の流れに完全に逆行した形で、二〇一三年末に可決された特定秘密保護法の問題点と今後を展望する。行政の責任を明確にし、歴史の真相を明らかにするための一冊。【目次】序章 もともと秘密だらけの公文書―情報公開の後進国日本 久保 亨/第一章 捨てられる公文書―日本の公文書管理の歴史 瀬畑 源/第二章 情報公開法と公文書管理法の制定 瀬畑 源/第三章 現代日本の公文書管理の実態と問題点 瀬畑 源/第四章 公文書館の国際比較 久保 亨/第五章 特定秘密保護法と公文書管理 瀬畑 源/おわりに 公文書と共に消されていく行政の責任と歴史の真相 久保 亨・瀬畑 源/付録1 特定秘密の保護に関する法律/付録2 公文書等の管理に関する法律/付録3 行政機関の保有する情報の公開に関する法律
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Posted by ブクログ
本書は二名の歴史学者によって書かれたものである。「特定秘密保護法」の制定過程をきっかけとして啓蒙をその目的として書かれたものと想定するが、それ以前の日本における公文書管理の不備の方に目が行くものになっている。特定秘密保護法がどうのという前に、情報公開と公文書保護は、両輪として働かないといけないものだが、そこを整備していかないといけないのだなと理解。今後は、コスト面も含めて電子化がキーになるはずだ。公文書館の各国のスペースが比較されている表があったが、これまでの文書管理では意味があったが、今後は過去の文書保存の意味を除いて公文書館の広さは意味がないものになるだろう。
本書では、第一章で戦争直後に公文書を廃棄する日本の組織の傾向性が問題にされ、続く第二章で情報公開法と公文書管理法に触れられる。第三章では、その問題点を指摘し、第四章でそれを踏まえた上での公文書管理の国際比較が行われ、日本の後進性が示される。その上で、最後の第五章で特定秘密保護法について言及される、という構成になっている。
例えば30年後、自分が生きているうちにその内容が公開されるかもしれない、という前提で仕事をするというのはきっとその人にとってもよいことなんだろう。もちろん、そのために文書作成に手心を加えるというようなことがあってはならないのだけれども。