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Posted by ブクログ
吉祥寺の駅前商店街の中にある和菓子屋「小ざさ」の社長稲垣篤子さんの「私の履歴書」的エッセイであり、ビジネス訓集だ。彼女の生き様、羊羹作りにかける姿勢は勿論すばらしいが、初代の社長で実父の伊神照男氏による薫陶が光る。
「事を始めるときに大方の人は、『資金や設備がないからできない』と言う。潤沢に揃えてからする事業なら、誰でもできる。なければ頭を使えばいい」
「一家を背負え、背負えば背負うだけ力が出てくるんだから、背負え」
戦火をかいくぐってきた男の凄まじい気概がにじみ出ている。
1971年11月に駅前に伊勢丹吉祥寺店がオープンした時も、
「もし、お客様が向こうに行ったとしても、コーヒースタンドで生き延びろ」と娘にアドバイスする。いくら人気の羊羹屋だからといって、事業にしがみつくことの愚かさを言っているのだろう。先に読んだ「ハモニカ横丁の作り方」で手塚一郎が言ってた「事業は継続しなければならないという前提なんて幻想です」とも通じる考えだろうか。
いや、そんなビジネスモデル的なことより、生きていくこと、一家を養うこと、なにが事業の柱かをブレることなく全うした人間の生きながらに体得した教訓なのだろう。
そんな厳格な父親との30年にわたる羊羹一筋の暮しが淡々と綴られていく。そして、とある年の大晦日に、”儀式”と呼ぶその日の羊羹の味見の席で
「ようやったの。じゃあもう、これからよかごつやらんの」
と、初めて娘の作品を誉める言葉を口にする。 そして翌元旦の日に静かに息を引き取る場面は、涙なくして読めないところだ。
その後、今の人気を誇る名店となるに至る年月が綴られた一冊ではあるが、事業として成功させる秘策のようなものは何もなく、ただただまっとうに羊羹に向き合ってきた「小ざさ」という店の営みがあるだけ。ただただまっとうに正直に、、、秘策といえば究極の秘策なんだろうな。
一方で、往時の武蔵野の暮しぶりが垣間見れる記述も味わい深いところ(昔の武蔵野は雪も多く、井の頭公園でスキーをしたそうだ・驚)。
また、彼女が若いころ本当はカメラマンになりたかったというのも面白いエピソード。土門拳と張り合って撮影ポジションを確保した話とか(@砂川闘争)、「羊羹を練るときは、五感を研ぎ澄まし、手に伝わる感触や少しずつ変化していく色や質感で判断します。この感覚が写真の現像に似ているのです。」と楽しそうに語る場面が面白い。
さぁ、あとは実際に小ざさの羊羹を食べてみないと!(もなかはこれまでに何度が食べたことがある)
本書を上梓した時点で稲場社長は78歳。いまや85歳になられている。125歳まで生きることを目標にお元気に過ごされているとしても、そうそう現場には出てらっしゃらないのではと想像する。ご存命のうちに小ざさの羊羹を是非賞味させていただかなくては!と心が逸る。