あらすじ
入院や愛猫の死を経験した養老孟司が、四人の識者と語り合い、改めて「老い」と死を見つめる。新たなタイプのアンチエイジング薬の開発、人気エッセイストによる認知症の介護の実体験、生活保護費から見えてくる老後の生活の真実、自己を開くことが死の「練習」になる……。幸福な老後を過ごすための、大切な知恵が詰まった一冊。 ●「自己を開くことを繰り返していけば、自ずと死を迎えるための練習にもなるのではないかなという気がするんですね」(南直哉) ●「DNAの修復能力は『寿命の壁』を突破する一つのカギだと考えています」(小林武彦) ●「都会の高齢者ほど、老後の生活に必要なのは『お金』だけだと思い込んでいます。『自然資本』や『人的資本』に目が行かないのですね」(藻谷浩介) ●「(母の)認知症がだいぶ進んでからは、母が頭のなかで思い描く世界に一緒に乗ることにしました。そのほうが介護する側も、される側もおもしろいし、イライラしないし」(阿川佐和子) ●「自分のことなんか、人に理解されなくて当たり前と思ってりゃいい」(養老孟司)
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Posted by ブクログ
南直哉さんとの仏教、仏教的な生き方、死に方の第一章が面白かった。
その中で養老孟司が「生きづらいのは社会を受け入れない自分であって社会のせいではなかったと気づいたのは80過ぎてからだった」と書かれていて本当に驚いた。
Posted by ブクログ
歳をとって死んでいくことについて、ふだん漠然と感じ始めたことを、話しているくだりに出会った。
養老氏と南直哉師というお坊さんの対談のところ。
「
南 「死ぬ」ということを考えるとき、いま、一番ボピュラーで人気があるのあ、こちらの世界からあちらの世界に行くという考え方でしょうね。しかしそれは、ただの「移動」ですから、基本的には、誰も死なないことだとも言えます。天国だろうが地獄だろうが、ともかく「同じ自分」が行くことになっている。 (中略) つまり、みんな「自己」というものがずっと続くと思っている。
(中略)
―養老先生はどう思われますか
(中略)
養老 はい。一つ防護策がありますね。自我というか、自分の中に限定するものを、できるだけ広げてしまうという手がありますね。
」
今、実家に帰るとそろそろ80になる父は、いつもソファに座ってテレビをみている。もともとブルドーザーみたいにパワフルな人だったが、すっかりおじいちゃんになって、話しかけると基本的に上機嫌だ。なんというか、自分から働きかけるよりも、まわりを自分の中に映し出して観察しているだけという感じを受けるんだよね。
幸田露伴や鶴見俊輔といった文学者、哲学者は晩年、自分の言葉を発するのをやめ、ただひたすら本を読んでいたという。
それって同じことで、外に対して自分を開いていっているのかもしれないな、とも思うのだ。
自我、という視点に立つと、生まれる前、俺の自我は存在しなかった。生まれ、成長し、いろいろ経験する中で自我が固まっていき、歳をとりながら、その自我がまた開いていく。
生まれて、生きて、死んでいくとは、そういうことなのかもしれない。
そのうち、またどこかにとけこんでいくのだ。
それは、とけてなくなるということではない。
いつまで自分の命が続くかはわからないけれど、そろそろ折り返しは超えているだろう。
師について、50そこそこの俺がまだ語る次元でもないんだけど、そんなことを考えた。
本書は南直哉(お坊さん)、小林武彦(生命科学の先生)、藻谷浩介(里山資本主義の人)、阿川佐和子(聞く力が有名なタレントさん)と言った方々との話。
どのかたの話も、面白かった。南直哉さんとの対談で感銘を受けたところは、先日書いたところ。
老いる、という現象について、人口減の今の時代だからこそこれまでの見方をかえるべきだ、というやりとりも面白かった。
藻谷氏の資本主義とは本来、里山資本主義というのもなかなか刺激的な話でさ。本来、投資して利子を得るという活動は再生可能であってこそ成立する。
現在、多く観られる弱肉強食的な資本主義は、本来の資本主義ではない。なぜなら、強者が総どりしていたら、持続はしていけないから。
投資と利子の関係とは、本来さまざまな里の木や環境を手入れして、そこから得られる収穫を受けてとるものなのだという考え方は感心した。
それって、最近いわれるコモンを再生しようという考え方に通じるねぇ。
最後の阿川佐和子氏との対談も、お父上やお母上の晩年の介護の実体験から、さまざまな話が聞けて興味深かった。
Posted by ブクログ
以前読んだゼロからの資本論にも繋がる第3章が面白かった。老後も都会近郊で暮らすかどうか真剣に考えてみようと思う。
日本の高齢社会、少子問題の話から私的現実的な介護の話と章によって別物ではあるが養老先生の世の中との距離感で纏っているのか。すらすら読みやすかった。