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Posted by ブクログ 2023年08月20日
歳をとって死んでいくことについて、ふだん漠然と感じ始めたことを、話しているくだりに出会った。
養老氏と南直哉師というお坊さんの対談のところ。
「
南 「死ぬ」ということを考えるとき、いま、一番ボピュラーで人気があるのあ、こちらの世界からあちらの世界に行くという考え方でしょうね。しかしそれは、ただの...続きを読む「移動」ですから、基本的には、誰も死なないことだとも言えます。天国だろうが地獄だろうが、ともかく「同じ自分」が行くことになっている。 (中略) つまり、みんな「自己」というものがずっと続くと思っている。
(中略)
―養老先生はどう思われますか
(中略)
養老 はい。一つ防護策がありますね。自我というか、自分の中に限定するものを、できるだけ広げてしまうという手がありますね。
」
今、実家に帰るとそろそろ80になる父は、いつもソファに座ってテレビをみている。もともとブルドーザーみたいにパワフルな人だったが、すっかりおじいちゃんになって、話しかけると基本的に上機嫌だ。なんというか、自分から働きかけるよりも、まわりを自分の中に映し出して観察しているだけという感じを受けるんだよね。
幸田露伴や鶴見俊輔といった文学者、哲学者は晩年、自分の言葉を発するのをやめ、ただひたすら本を読んでいたという。
それって同じことで、外に対して自分を開いていっているのかもしれないな、とも思うのだ。
自我、という視点に立つと、生まれる前、俺の自我は存在しなかった。生まれ、成長し、いろいろ経験する中で自我が固まっていき、歳をとりながら、その自我がまた開いていく。
生まれて、生きて、死んでいくとは、そういうことなのかもしれない。
そのうち、またどこかにとけこんでいくのだ。
それは、とけてなくなるということではない。
いつまで自分の命が続くかはわからないけれど、そろそろ折り返しは超えているだろう。
師について、50そこそこの俺がまだ語る次元でもないんだけど、そんなことを考えた。
本書は南直哉(お坊さん)、小林武彦(生命科学の先生)、藻谷浩介(里山資本主義の人)、阿川佐和子(聞く力が有名なタレントさん)と言った方々との話。
どのかたの話も、面白かった。南直哉さんとの対談で感銘を受けたところは、先日書いたところ。
老いる、という現象について、人口減の今の時代だからこそこれまでの見方をかえるべきだ、というやりとりも面白かった。
藻谷氏の資本主義とは本来、里山資本主義というのもなかなか刺激的な話でさ。本来、投資して利子を得るという活動は再生可能であってこそ成立する。
現在、多く観られる弱肉強食的な資本主義は、本来の資本主義ではない。なぜなら、強者が総どりしていたら、持続はしていけないから。
投資と利子の関係とは、本来さまざまな里の木や環境を手入れして、そこから得られる収穫を受けてとるものなのだという考え方は感心した。
それって、最近いわれるコモンを再生しようという考え方に通じるねぇ。
最後の阿川佐和子氏との対談も、お父上やお母上の晩年の介護の実体験から、さまざまな話が聞けて興味深かった。