【感想・ネタバレ】吉本隆明と柄谷行人のレビュー

あらすじ

戦後日本の思想界をリードし、いまなお多大な影響を与えつづけている吉本隆明(一九二四~)と柄谷行人(一九四一~)の思想を読み解く。二人は互いに真っ向から批判を応酬していたが、思索の領域は驚くほど通底し、重なり合っていたのではないか。個とは何か、意味とは何か、システムとは何か――吉本の三大著作『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』を読み解き、『隠喩としての建築』『探究I・II』『トランスクリティーク』などから柄谷行人の試みを丹念に追う。いまなお仰ぎ見られる現代思想の可能性、限界に迫る。

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Posted by ブクログ

『吉本隆明と柄谷行人』というタイトルだけで購入。
特に柄谷行人は、学生のときにこれを理解できないとダメなんだ、とほとんど強迫観念を持って読んでいた。吉本隆明も『共同幻想論』や『言語にとって美とは何か』の代表作は読んだが、時代的にも明らかに柄谷行人派であった。吉本が海外に依拠することをある種拒んだことに対して、柄谷が積極的に海外に出ていたことも影響していた。かなり柄谷の主観が入ったものであったが、彼の視点が自分にとっての海外思想取り込みのガイドラインにもなっていた。
今でも新刊が出れば買うのだが、情熱を持ってもう読むことはできない。ある種の懐かしさを持って読んだ。

著者は「個体」、「意味」、「システム」、「倫理」というテーマに即して二人の先行者の仕事を関連付け、比較して読み解きながら解らしきものを提示しようとする。これらのテーマは柄谷の著作では実に親しみのあるテーマだ。
いずれにせよ二人の課題設定自体は未だ有効だ。その当時から二人が対立しているとは思ってなかったが、改めて違いよりもその類似の方に目が行く。
ただ現在においては、主体の問題を扱うにあたっては神経生理学の知見を反映したものでないと議論に耐えられないと感じる。そこが20年前とは異なる点であるように思う。

また揚げ足取りのように思うが、数学者の遠山啓について吉本隆明との関係だけを殊更に大きく取上げているが、柄谷行人も遠山啓についてその影響を受けていることを隠していない。
具体的には『言葉と悲劇』において、「安易な構造主義入門などを読むよりも、遠山啓の数学入門書を読む方が構造主義の考え方がよくわかるはずです」(P.156)と言及している。また、『批評とポストモダン』においても「遠山啓の入門書は、私に現代数学の考え方を教えてくれたし、数学が数量や図形からはなれて存在することを啓蒙してくれた」と繰り返している。これを読んで当時『無限と連続』を手に取ったのでよく覚えている。
比較的重要なポイントであるように思うので指摘しておく。

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もはや何らかの解を求めて読んで考えるというよりも、純粋に考えるということについて楽しむために読んでいる。この機会にパラパラと『隠喩としての建築』や『内省と遡行』などを見返したが、難しいものを読んでたねえと思う。

改めて懐かしかった。

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2011年10月10日

Posted by ブクログ

個と意味について関係性に対する各人の考え方について書かれてある。もう少し文章が分かりやすいと読みやすい。

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2023年01月11日

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