【感想・ネタバレ】難しくない物理学のレビュー

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Posted by ブクログ

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野本麻紀(のもと・まき)
1983年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程修了。主に半導体物性、結晶工学を学ぶ。富士フイルム株式会社にて研究開発に従事。そのうち3年間は共同研究先の産業技術総合研究所にて過ごす。その後、本社に異動し、技術戦略、新規事業企画に携わる。2018年に退職し、株式会社ビンロージ設立。YouTubeチャンネル「のもと物理愛」にて、物理学が教えてくれる「世界は美しい」をテーマに発信している。「世界の美しさに触れたとき、人の心は豊かになる」を理念とし、Tシャツ等のグッズ製作販売も行っている

「私、宇宙に恋してます!」  東京大学で行われた物理学者の講演の質疑応答の時間。メガネをかけたショートカットの50代くらいと思しき素敵な女性が、質問と合わせてそう発言されました。もう3年くらい前のことで、彼女の質問の内容は覚えていないのですが、この発言はとても印象に残っています。宇宙のはじまりや素粒子の話に惹かれて、知りたくてしょうがないのだとか。それを「恋してます」って素敵な表現だなぁと。

 レイチェル・カーソンが残した「センス・オブ・ワンダー」という言葉は、日本語では「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と訳されていますが、 この神秘さや不思議さへの憧れが物理学の根底に横たわっている と私は感じています。

 すでにこの問いの背後に世界に対する秀逸な洞察があります。目に見える事象の裏側に「本質的な、根源的な原理が存在するはずだ」 という前提です。自然現象の多様性は、なんらかの単純な事象に還元できるという考え方。これがまさに科学の出発点ですね。この問いに対しさまざまな答えが考え出されました。

シンプルで美しい、とか、よく言われますよね。  Appleとか無印良品とか、身近に使用しているモノでシンプルなデザインは人気です。私もシンプルなモノを見るとかっこいい~と思います。どうして人はシンプルなモノに美しさを感じるのでしょう。

サン・テグジュペリが残した言葉に「完璧とは、他に足すべきものがない状態ではなく、他に引くべきものがない状態である」 というのがあります。他に引くべきものがないって、究極のシンプルではないでしょうか。

余計な要素がないということに、何かスッキリとした「完璧さ」を感じてうっとりしてしまいます。無駄が削ぎ落されて残った“最少のモノ”は、おのずと必然性を備えています。それがなければ絶対に表現できない、なくてはならないモノたちです。そしてその最小限の要素に絞られることによって生まれた余白が、多様さを表すのに重要になります。

例えば俳句は、選び抜かれた17文字で構成されていて、ものすごくシンプルです。優れた俳句はたった17文字で、豊かな情感を余すところなく伝えてくれます。それは削ぎ落されて生じた行間に、想像する余地があるからではないでしょうか。ガッチガチに固めてすべてを説明してしまうより、余白の自由度が大きい分、そこにたくさんの情景が描かれると言ったらよいでしょうか。シンプルであるがゆえに、表現する世界の大きさが広がっている感じ。逆説的ですが、多くのことを表現しようとするならば、要素は少ない方がよかったりします。

極めて少ないモノから、極めて多くのモノが溢れ出す。逆に言うと、極めて多くのモノで溢れている、通常私たちが五感で知覚する世界は複雑きわまりないように見えるけれど、その根本をたどっていくと、実は極めて少ないモノから成り立っていることになります。この根本の、極めて少ないモノにたどり着こうとするのが、物理学の営みの一面だと言えます。森羅万象のすべては、実はたったひとつの理論で記述できるのではないか? そんな想いから「万物の理論」の研究がなされています。

万有引力の発見で名高いニュートンは、ある手紙に「私がより遠くを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです」 と書いています。とくに力学の分野で尋常ではない業績を残したニュートンですが、それはコペルニクスの地動説、ケプラーやガリレイの研究などが先にあったからこそ成し遂げられたのだ、との思いが感じられます。そしてニュートン力学も、後世の数学者、物理学者によってさらに洗練され今に至っています。 ニュートンの肩の上に立つことで、その後の多くの発展がもたらされました。

 昨今のインターネット社会もすごいですよね。私はその過渡期を見ていますが、子どもたちにとっては、世界中と瞬時につながることは生まれたときから「当たり前」です。デジタルネイティブの彼らはきっと、ここから思いもよらない発想で何か新しいものを作り出していくのだろうなと楽しみです。

こんなことを考えるとき、私はいつも江戸の町人たちの美意識「粋」を思い出します。九鬼周造『いきの構造』(角川ソフィア文庫 2011年)によると、粋は媚態、意気地、諦観の3つの要素を含んでいます。そのうちの諦観は「思うこと 叶わねばこそ 浮世とは」という言葉に表されるように、執着を断ち、思い通りにならない現実をそのまま受け入れ、晴れ晴れとした境地に達することを指します。叶わないからこそ楽しいのだという心意気です。士農工商という身分制度の中で贅沢が禁じられた町人たちは、制度に抗うのではなく、制度の中で自分たちのコントロールできることに集中し、最高の自由を謳歌していた節があります。

「神即自然(神すなわち自然)」という思想を残した17世紀オランダの哲学者スピノザは、「必然性に従うことが自由だ」と言っています。自由とは、制限が全くないことではなく、課された制限の中で最高のパフォーマンスを発揮することであるとのことです。私はこの考え方が好きです。  自然法則という絶対に逆らえないルールの中でこそ、私たちは工夫を生み出し、楽しみを味わうことができるのではないかと思います。

先ほどサッカーを例に出しましたが、身体を使うスポーツやダンスなども、重力や運動法則にもっとも「上手に」従ったときに、もっとも素晴らしいパフォーマンスとなるのではないでしょうか。鳥のように舞うバレリーナを見ていると、美しい放物線を描くジャンプは重力を味方につけている感じがします。自然法則に「上手に」従うことは、自然界への調和であるように感じます。

テクノロジーはその典型です。自然法則を理解することによって、その法則を味方にするようなかたちでものごとを成し遂げていきます。飛行機で空を飛ぶこともできるし、ロケットを宇宙に飛ばすこともできます。

 ルールが理解できると、その先に実現したい世界をつくり出す可能性が生まれます。そして本当に実現できたら、ものすごい達成感とか充実感とか、幸せな気持ちが湧いてきます。ルールに基づいて試行錯誤を繰り返す、この営みが楽しいのだろうと思います。

 どんな仮説も、実験・観測によって確認されなければ真理とはなりません。その仮説がどれだけ本当っぽくて、どれだけ理論的な美しさを備えていたとしても、自然界を正しく表していなかったら、それは棄却しなければなりません。真理と言っていいかどうかは、実験・観測によってのみ決定されます。自然を前に人間は謙虚にならざるを得ないという、これもまた素敵だなぁと思います。

 アインシュタインの相対性理論、といえば誰でも一度は聞いたことがあるかと思います。アインシュタインは言わずもがな天才物理学者ですし、相対性理論とは言葉の響きからしてかっこいいです。  相対性理論は2つあります。特殊相対性理論と、その後に発表された一般相対性理論です。ここでは特殊相対性理論の話をします。

かつてガリレイは「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」 という言葉を残したといいますが、本当に、自然界の法則を表すにはなぜか数学が必要なのです。紀元前6世紀にはピタゴラスが「宇宙は数学的な真理に貫かれている」と考えていたそうです。

 一方、物理学は数学がなくては成り立ちません。物理の表現手段は数学なのです。何か新しい現象に出会ったとき、それを表現するのに適した数学がなければ立ち行かなくなります。それで新しい数学を生み出したりするのですが、それは数学者がずっと前につくっていた、なんてことがけっこうあります。量子力学の方程式としてつくられた行列力学などはその例です。

数学者が物理現象とは無関係に作り出したものが、自然を表現するのに実は大いに有効であったということがしばしばあるのです。逆に、物理学の方で最初に生み出された数学が、後に数学者によって発展させられるケースもあります。

17世紀にニュートン力学が登場し、それが数学的にもブラッシュアップされた19世紀には、物理学はだいだい完成したと考えられていた時期がありました。身の回りの現象も天体の現象もきちんと説明できたからです。ところが20世紀に入って、まだまだ私たちの知らない深遠な世界があることがわかりました。

物理を学んでいると、「人間ってすごいな」と感じることがよくあります。半径400億光年を越えて広がるこの広大な宇宙の、たかだか半径6,000kmにすぎない小さな惑星のうえで、半径10cmにも満たないほんの小さな脳の中に、宇宙全体を描こうとする感じ。宇宙に生み出された人間が宇宙を理解しようとすること、素粒子でできた脳によって素粒子を理解しようとすること。人間にそなわった五感を超えて宇宙を理解しようと試みる、知に対する果てしない欲求、そしてそれを結実させていくこと。人間というのはとんでもない生物です。

 というわけでケプラーの話からはじめたいと思います。 ケプラーは優れた数学の才能をもった天文学者で、占星術師でもありました。 当時の天文学は占星術と深く結びついていたのです。天体の動きによって気候だけでなく、人間や社会の運命も予測できるのではないかと多くの人々が信じていました。とくに16世紀のヨーロッパは不安定な政治情勢下にあり、何か重大な判断をするのに占いが重宝され、多くの貴族にお抱えの占星術師がいたと言われています。神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世も熱心な占星術愛好者で、宮廷の近くに大研究所をつくり、多くの占星術師に研究を行わせました。ケプラーはそのうちの1人でした。そこにはティコ・ブラーエという天文学者もいて、 ケプラーは観測データを元に惑星の軌道を研究しました。ティコ・ブラーエの観測データは、望遠鏡を使わずに得られるデータとしては最高の精度であると言われています。

 ガリレイはケプラーと同時代を生きた人で、ケプラーが地動説についての著作を発表した際に、ケプラーへの手紙で自分もコペルニクス派であると告白しています。そんなガリレイは、 人類史上はじめて夜空を望遠鏡で覗いた人間 であり、天文学に革命を起こしまし

そしてガリレイにはもうひとつ大きな飛躍があります。 ガリレイは人類史上はじめて実験を行った人間 でもあるのです。科学における実験とは、自然法則を発見または検証するために行うものです。ガリレイの行った実験の中で最も有名で、ニュートンに対する超絶ナイストスとなったのは 落体運動に関する実験 です。

いよいよキングのお出ましです。ニュートンといえば、物理学の代名詞といっても過言ではありません。その人柄についてはさまざまなことが言われています。すごく偏屈だったとか、女性を近よらせなかったとか、ライバルを執拗に落としめたとか、そんな話を読むとニュートンとは友達になれなそうだな、なんて思いますが、それはおいておきましょう。ニュートンのおかげで私たちの自然観はどれだけ変化したでしょう。物理学がこんなにも優雅で美しいイメージをまとっているのはニュートンのおかげと言ってもよいでしょう。

アインシュタインは大学卒業後、大学の研究職につくことが叶わず、スイスの特許庁に就職しました。研究者としては珍しい進路ですが、そのおかげでアインシュタインは思索の時間をたっぷりとることができたといいます。そして25歳のとき、3本の論文を発表します。どれもノーベル賞級の研究で、この論文が発表された1905年は奇跡の年と呼ばれます。そのうちのひとつは第1章でお話しした「特殊相対性理論」、もうひとつは「光量子仮説」 で、第4章でお話しします。そして残りのひとつが「ブラウン運動」 で、これは原子が存在することを明らかにしたものです。

ボーアは量子力学の黎明期を引っ張るリーダーでした。量子力学以前の物理学を古典力学(ニュートン力学やマクスウェル電磁気学、相対性理論を含みます)と呼ぶのですが、新たに誕生した量子の世界と古典的な世界を橋渡しするような役割をした偉大な物理学者です。

パウリはたくさんの重要な仕事をしていますが、ノーベル物理学賞の対象となったのは25歳のときの「排他原理」の発見です。「2個以上の電子は同一の量子状態をとることができない」 という原理です。電子が椅子取りゲームをしているようなイメージです。ひとつの椅子に電子が座ったら、他の電子はその椅子には座れません。人間と同じです。これが光だったら違います。光子は同じ椅子に何人でも座ることができます。実体がなくて透き通る感じ。幽霊だったら何人でも座れるという感じでしょうか。

1949年の日本人初のノーベル物理学賞のニュースは、敗戦ムードの残る日本に明るさをもたらしたといいます。湯川は1965年に日本人2人目のノーベル物理学賞を受賞した 朝永振一郎 とは中学校からの同期で、2人とも京都大学で 仁科芳雄 から量子力学を学んでいます。仁科芳雄は1923年から1928年までコペンハーゲンのボーアの元で学び、パウリやハイゼンベルクらとともに量子力学の黎明に立ち会っていました。こうして日本も欧米の最先端の研究レベルに達していくという、学問を分かち合えるのは本当に素敵なことだと思います。

もうひとつは、 自分が物理を楽しんでいたのは、物理で「遊んで」いたからだ ということです。何のためにやるのか、何の役に立つかなんてことを考えずに、ただ自分で楽しむためにやっていたのだと思い出したのです。  ここからのエピソードがドラマチックなのですが、物理で遊ぶことにしようと決めてから、カフェテリアでふざけて皿を投げ上げる男に遭遇します。その皿の動きがおもしろく、ファインマンは皿の運動を猛烈に計算しはじめました。その計算がなんの役に立つのかと問われ、「別に何の役にも立たないよ。おもしろいからやってるだけさ」 と答えます。しかし皿の運動からインスピレーションを受けたファインマンは、電子の軌道の動きを計算しはじめ、ノーベル賞をもたらすファインマン・ダイアグラムも何もかも、ここから派生したのだといいます。

ホーキングは「車椅子の天才科学者」としてとても有名な物理学者です。21歳でALSを発症し余命5年と宣告されながら76歳まで生き、宇宙論の分野で数々の業績を残しました。短命かもしれないと知り、生きることには価値があり、自分には成し遂げたいことがたくさんあると悟ったといいます。病気の進行にともない会話が困難となり、頬の筋肉の動きによって発語するコンピュータを用いてコミュニケーションをしていました。『ホーキング、宇宙を語る』をはじめ数々のベストセラーを出しています。私もホーキングの本が大好きです。そこには、この宇宙について知ろうとすることがどれだけ楽しいか、そして実際にこの宇宙がどれだけおもしろいかということがユーモアたっぷりに語られています。

ホーキングはこうも言います。 「私はこれまでの人生を、宇宙の果てまで─頭の中で─旅をすることに費やしてきた。(中略)銀河系の果てまで行ったこともあるし、ブラックホールの内部に入ったことも、時間の始まりにまで遡ったことともある」  物理学者はなんてロマンチストなのだろうと思いませんか。

 私は珈琲が大好きで、なかでも朝の一杯は至福のときだと思っているのですが、珈琲には絶妙な飲み頃があるというのが持論です。朝一か食後かみたいな話ではなく、熱い珈琲を淹れてから、どのくらいの温度になったときが一番美味しいかという、温度のタイミングです。私は猫舌なので美味しいと感じる温度は低めだと思いますが、冷めた珈琲ほど切ないものはないと思っています。熱い場合は待てばいいのですが、冷めてしまった場合は勝手に温かくなることはないですよね。 日常でよく経験するこの現象は、熱力学の第二法則です。熱は高温から低温に移動するのであって、その逆はないという。一体熱って何なのでしょ

 熱力学の第二法則、「熱は温度の高い方から低い方に移動し、その逆はない」を言い換えると、「エントロピーは必ず増大する」 となります。  どうやら放っておくと世界は乱雑な方へ向かうらしいのです。なぜか部屋が散らかっていく、なぜか机の上がぐちゃぐちゃになっていく、という現象は皆さまご経験があるのではないでしょうか。エントロピーの増大は日常のいたるところに顔を出します。エントロピーに深遠さを感じるのは、ここになんらか「時間」の本質が見出されるからです。なぜ時間は常に過去から現在、未来へと一方通行の流れになっているのか。なぜこぼれた水は元に戻らず、冷めた珈琲は熱くならないのか。 増えたエントロピーが自然と低くなることはなく、エントロピーはいつも増大しており、エントロピーが増大する方向は私たちが感じる時間の方向と一致しているのです。……これ以上掘り下げると私の力量では完全に迷宮入りしてしまうので、この先は専門書にゆだねることにします。

 水に浮いた氷を見ていると、その結晶構造の他にもうひとつ思い出すことがあります。浮力を発見したアルキメデスの話です。紀元前3世紀のギリシャに生きたアルキメデスは、数学と物理の分野で多くの功績を残しており、古代世界最高の科学者と称されることが多いです。近代科学の成立は16~17世紀と言われますが、アルキメデスの知性は書物を通じて脈々と受け継がれてきたと見る向きもあるようです。

  浮力の原理は「液体の中にある物体は、その物体によってどかされた液体の質量が及ぼす重力と同じ大きさの力を上向きに受ける」 というものです。文字で書くとわかりづらいですね。アルキメデスの原理と呼ばれています。これはケプラーの惑星運動の法則より遥か前に発見されているわけで、人類が発見した最古の自然法則と言われることもあります。

 月を地球のまわりに留めていたり、海の潮汐を引き起こしたり、重力はすごい力だなと思います。何よりも、私たちはいつも地球の重力に拘束されているわけで、空高くジャンプすることは叶わず、重い荷物を運ぶのは大変で、重力ってなんて巨大なんだと感じます。筋トレで重いダンベルを上げるときなど、本当に重力が恨めしくなります。でも実は、重力は他の力と比べると非常に弱い力なのです。

 例えば私たちがよく知っている力として磁石の力があります。机の上に置いたクリップに上から磁石を近づけるとクリップが浮いて磁石にくっつきます。地球がクリップを引きつける重力よりも、磁石がクリップを引きつける磁力の方が強いことがわかります。クリップどころか、 1トンを超えるような重量物も磁石の力で持ち上げることが可能です。 リフティングマグネットって聞いたことありますでしょうか。鉄鋼のように磁力が働くものがリフトの対象であり、重いものを運ぶには磁石の方も重厚なものになってきますが、鉄鋼品を運搬する現場で重宝されています。これはなかなかマニアックな世界だと思いますが、明らかに重そうな鉄鋼板がピタッと磁力でくっついて持ち上げられる様は、ちょっと感動的です。

地球上で私たちはさまざまな美しいものを目にしていると思います。私が一番に思い浮かぶのは空です。あの色彩は本当に素晴らしいですね。言うまでもないですが、海や山の景色も綺麗ですね。動物や植物も、挙げればきりがありません。私は虫が苦手な方ですが、それでもルリボシカミキリやモルフォ蝶の青色とその造形など本当に美しいと思います。一方で、どうした!? と思うようなグロテスクなやつもいますが、それも自然界の多様さを感じさせてくれるもの

20世紀に人類が遭遇した未知の世界の代表として、ミクロな世界を挙げたいと思います。  量子力学はミクロな世界の物理学です。量子とは、読んで字のごとく“量”の塊といった意味合いですが、2つの意味で使われます。 ①エネルギーなどの物理量の最小単位のこと ②その最小単位の物理量をやりとりする電子や原子などミクロなもののこと  ②の量子は、粒子と波の性質を併せ持っています。 この量子に関する力学が量子力学というわけです。

 量子は粒子と波の性質を併せ持つ、ということに話を移します。これを最初に言ったのはアインシュタインです。まずは粒子と波の性質をそれぞれ見ていくことにします。

このときの電子の波動関数を見てみると( こちら の図参照)、障壁を越えたところにも波動関数がしみ出しています。波動関数の値がゼロでないということは、そこに存在する確率がゼロではないということです。そして実際に電子は絶縁体を越えるのです。シュレディンガーの方程式は、ミクロな世界を正しく表しているのです。トンネル効果はとても不可思議な現象ですけれど、それが方程式の解としてきちんと得られるということに、物理学のかっこよさを感じます。

トンネル効果はいたるところで活用されています。よくお世話になっているものとしてはフラッシュメモリが代表的です。 USBメモリやSDカードに使われています。絶縁体によって区切った領域のどちらに電子がいるかで0と1を表すのですが、書き換えるときには電子をトンネル効果によって移動させます。絶縁破壊するほど大きな電圧をかけなくてもトンネル効果によって電子が移動できるというのがポイントです。

一般になじみは薄いですが、 トンネルダイオードという半導体デバイス があります。日本人では3番目となるノーベル物理学賞を1973年に受賞した江崎玲於奈が発明したもので、エサキダイオードとも呼ばれます。江崎の勤務先であったソニーが特許を取得しました。私もかつてメーカーに勤めていたので、民間企業の研究所からノーベル賞級の成果が出るというのはなんだか嬉しくなります。エサキダイオードは通常のダイオードとは違ってトンネル効果によって流れる電流を活用しており、応答速度が非常に速いことから高周波…

半導体テクノロジーというのは量子力学の発展によって生み出されました。 半導体なくして現代の文明はありえないわけですが、それを理論…

 量子力学はミクロな世界の出来事を記述する理論ですが、その適用範囲は非常に広範です。というのは、世界はミクロなものが積みあがって構成されているからです。素粒子が原子をつくり、原子が分子をつくり、分子が遺伝子やら細胞やらをつくり……という中で、分子構造や化学反応は量子力学にしたがって決定されるのです。

ボーアはミクロな世界を理解するためには、それまでの常識を疑ってかかることを躊躇しませんでした。そして量子が「見られる」ことによって状態を決めることから、 世界というのは観測者とともにある、という考えを貫いていました。

アインシュタインが嫌ったのは、不確定性もさることながら、 観測者がいなければ世界は存在しないのか? という実在に関わる問題です。 アインシュタインは人間が存在しなくても自然界というのはそこにあるのだと、客観的実在を信じていたのです。それは「月は君が見上げているときだけ存在していると、本当に信じるのか?」 という言葉に表れています。月ほどのマクロな存在についてはなんとも言えませんが、 量子が「見たときだけそこにある」というのは実験的事実です。

 ボーア-アインシュタイン論争でどちらが正しかったのかは現時点では決められません。量子の振る舞いについてはボーアの主張が正しいと実験で確かめられているものがほとんどですが、最後まで論争の主軸となっていた「実在とは何か?」という問題は今もなお、はっきりとした答えを持っているとは言えません。

私たちの知っている物質(原子など)はわずか5%に満たず、およそ25%は暗黒物質、およそ70%は暗黒エネルギーが占めていることがわかりました。つまり宇宙の95%は未知なるものだということがわかったのです。

私はこれを知ったときものすごく感動しました。人類の叡智は素晴らしく、とくにここ数百年の科学の発展には目をみはります。それでも、未知なものの方が多いのです。「未知なものがこれだけある」ということを明らかにできるのも素晴らしいことだと思います。探究に呼応するように、宇宙はまだまだ謎を用意してくれているというか、人間を飽きさせない遥かなる魅力をそなえているというか、この壮大なスケールに楽しみを感じます。

事実は小説より奇なりと言いますが、この宇宙はそれを地で行っているように思います。

科学は自然現象に合理的な説明を与えようとする学問ですが、一方でそれは自然を愛でる行為です。理解したいと思う心、好奇心は自然に対する興味関心からきているわけで、それは愛情に非常によく似ています。

私は特定の信仰を持っていませんが、教会音楽を聴くのが好きです。あの旋律は不思議と世界を祝福しているように感じます。あんなふうに訴えてくる表現に対する心の動きは、感動としか呼べないのですが、方程式の意味するところが腑に落ちたときと似ています。芸術と科学は非なるもののようで、どちらも世界を愛でる最高の方法という点でよく似ています。  優れた芸術に触れたときの感動と同種のものが、物理学にも眠っています。

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2024年01月05日

Posted by ブクログ

野本さんの物理のYoutubeを見まくってましたが、本を出しておられることを知り、早速読みました。野本さんの物理に対する熱い思い、愛がとても感じられ、「こういう本に学生のうちに出会いたかったなー」と思っています。数学も科学も、まして物理などまったくわからん50を過ぎた私ですが、野本さんのお蔭でこれからもすこしずつ物理を学んでいこうと思っています。

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2023年01月21日

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