あらすじ
できないことは、しなくていい。
世界から注目を集める知的障がい者施設「しょうぶ学園」の考え方とは。
しょうぶ学園。そこは心が自分でいられる場所。
生きるということが誰にとっても意味があり素晴らしいと気づかされる場所。
そこに居る人も、訪ねる人もみんなそう思える場所。
――皆川明(デザイナー/ミナペルホネン)
鹿児島県にある「しょうぶ学園」は1973年に誕生した、知的障がいや
精神障がいのある方が集まり、暮らしている複合型の福祉施設。
どのような歩みを経て、クラフトやアート作品、音楽活動が国内外で
高く評価される現在の姿に至ったのか。
人が真に能力を発揮し、のびのびと過ごすために必要なこととは?
改めて「本来の生きる姿」とは何かを問い直す。
その人にとって楽しいことなら、ずっとできる。
ここにいると、当たり前が逆転するんです。
僕は僕でしかないのに何を変われというのだろう。
【目次】
第1章:心ここにあらざれば見て見えず
木くずになるまで彫る
しょうぶ学園で働きはじめた理由
できないことができるようになるとは?
固く縫い上げられた布
傷跡が装飾に見え始める
「五〇歳を過ぎれば誰も相手にしない」(他)
第2章:できないことはしなくていい
雨の日のふたつの出来事
選べることと迷うこと
相手に寄せず引かず自分を保つ
できることからの発想――教えないということ
私が私を愛する――I LOVE ME.(他)
第3章:「今・ここ」でかなう自己実現と自己満足
健常者の知恵の特徴を自覚する
彼らのしきたりを尊重する
音パフォーマンスotto&orabuの誕生
共鳴する不揃いな音があった
自分をさらけ出す試み(他)
第4章:人が生まれ、生きているということ
時の流れと見えない世界
コミュニティーの中に共存する+特別な居場所をつくる
間違えたら進路を変える
自分そのものとして生きる姿を知らせる
たった今の充足
世の中に合わせるということ(他)
おわりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
障害とは、支援とは何なのか、実に考えさせられる。彼らは自分のことを障害者だと思っていないのに、健常者と比べてできないことを「劣っている」として自分たちの枠に招き入れようとする「支援」は正しいのか。答えは出ないがヒントがたくさん。
p112
アートにまつわる要望の背景には、障がいのある人に「生き生きとしてほしい」とか「アートの商品化で成功したら就労につながる」という考えがあるのだろう。いずれにしてもアートを活用すれば、精神的にも経済的にも自立につながるという期待がありそうだ。
そのような時流があるからこそ、自立の取り扱いには十分に注意したほうがいいのは間違いない。とかく障がいの自立に関して議論されても、「彼らはもともと自立している」ことが見おとされている。彼らの中には自分はこれでいいと最初から思っている人が多いからだ。
むしろ、自立できていないのは「自分はまともだ」と思っている私たちの方だ。自分に何かしら不満を持っていて自信がない。その中身はと言えば、過剰な情報によってすぐに他人から影響を受け、感化されてしまい、たやすくぶれる。
p147
死を理解しない。字が読めない。意思表明が困難な人々。世の中を生きていく上では不自由なことが多いはずでありながら、彼らはどうしてあんなにも豊かな表情を見せ、自信ありげな顔をしているのか。
私たちは色んなことをすぐに調べられ、情報を手に入れられる。知恵を働かせ、より多くを望み、いろいろなことを達成できる。なのになぜか自身が持てないし、全然自由ではない。むしろ生きづらさを抱えている人は増えている。自由になればなろうとするほど、自由のもたらす弊害を抱えるようになっている。それが私たちの姿なのだとすれば、いったいどちらが障がいを持っているのだろうか。
p178
社会は結局は人の集まりだから、お互いの多様性を認め、理解し、自由な発想と思考が尊重されなければならない。「こうならねばならぬ」という個人の価値や概念、考えは自分自身には向けても他人へは向けてはならないと思う。
p190
病んでいる人は病んでいるだけのこと。障がいを持っている人は、障がいを持っているだけだ。そこに人間としての優劣はない。ケアされる人は、「必要なケアを受ける権利」があるのだ。与えるのではなく隔たりを設けない。こうした感性が養われると、ケアは「その人が感じている障がい」に対してのみ行うのであって、決してその人間をケアによってコントロールするのではないことが理解できる。
Posted by ブクログ
正しさを求めてしまう自分を見つめ直しながら読んだ。障がい者の違いを認めケアをするというと素晴らしいことに聞こえるが、「健常者」のエゴな気もしてしまう。はたして「ケア」で良いのか。障がいに限らず、人との違いに、どのように向き合えば良いのかと考えさせられた。
この施設は成功例の様に見えるが、常に同じ方法で正解というわけにはいかないだろう。自分の生き方について答えは出ないが、新しい考え方で面白かった。
Posted by ブクログ
ノーマルに近づくことが、障害のある人にとって本当に良いことなのか?
ふと、糸賀一雄氏の「この子らを世の光に」という言葉を想起した。彼らの行為には偽りがなく、その一途で純粋な無心さは、我々が理想を求めすぎて見失いつつあるものなのだと思う。
Posted by ブクログ
鹿児島県にある福祉施設「しょうぶ学園」がどのように入所者たちと向き合っているのか。彼らの暮らしぶりを通して「普通」の人間の生き方についても問いを投げかける。
Posted by ブクログ
小さい頃から、何かをつくることが好きでした。絵を描いて物語にしたり、布で服やバックを作ったり…手を動かして何かを生み出すことだけに集中する時間は生きていることを実感できる、かけがえのない時間だったように思います。
だけど、働くようになって、自由な時間が希少なものとなった現在は、ただものをつくることに意味を求める様になっていたと気がつきました。
この本では、しょうぶ学園の方の創作に向き合う姿勢や作品が紹介されています。
自己の衝動のまま手を動かし、生きているこの瞬間を結晶化したものたちはただそれだけで尊いと感じました。
「こうあるべき」と障がいを持つ方の幸せを定義してしまう思考の狭さ、危うさに気付かされ、違う角度からものごとを見る視点をもらった様な、貴重な読書体験ができました。
Posted by ブクログ
しょうぶ園は、鹿児島県にある知的障がい者支援施設で、アート制作事業に取り組まれている。
木を彫ってもらったら、すべて木屑になっていて途方に暮れた。
でも、木屑になるまで、途方もない時間をかけて削り続けられるのだ。
それをアートに見立てるのは健常者の仕事。
大好きなエピソード。
私たちは色んなことをすぐに手に入れられる。なのになぜか自信が持てないし、全然自由ではない。むしろ生きづらさを抱えている人は増えている。
"それが私たちの姿なのだとすれば、いったいどちらが障がいを持っているのだろうか。"
Posted by ブクログ
自分の価値基準を押し付けない、
相手がどんなことを考えているのか言葉や行動から、そしてこれまでの経験と傾向から考え、より良い環境を作り上げていった福森さんの「しょうぶ学園」。
いつか必ず訪れてみたい。
Posted by ブクログ
"私たちは数えきれないほどの情報を知らないと自由な選択は行えないし、幸福につながらないと思っている。そこで、これでもかこれでもかと新しいことや新しいものを生み出していくのだが、彼らは、自分がすでに持ち合わせている情報だけを頼りに生きている。メニューに迷わずサッと適当に指差すというプリミティブな感覚でいられる姿を見ると、人が生きていく上で必要なものはそれくらいでいいのではないかと思わされる。"(p.97)
Posted by ブクログ
自分や社会の価値観ではなく、相手の求めていることに合わせて支援すること。
当たり前だけど、環境や慣れによって簡単にブレてしまえることなので、気をつけないといけないと改めて思う。
選択肢を広げることが必ずしも本人にとっていいことなのか?と考えるのも、自分の価値観で動いていないか見極めるためのひとつの指標になるように感じた。私は「選択肢は多ければ多い方がよい」と考えがち。
Posted by ブクログ
これは、生き方、在り方、価値観を揺さぶられる一冊だ。
「あるがままがあるところ」を読み始めて、
新年早々、自分自身の他人に対する態度を振り返り、何を基準にして生きているかを見直すことになった。
子育てをしている方、教育に携わっている方、指導や支援に携わっている方、
組織の中で管理職をされている方には、ぜひ、読んでほしい。
大人が子どもに対して、
職員が障害のある利用者に対して、
社会の中で生きていくために、「必要なこと」を身につけさせようとする。
それは、相手の「幸せ」を願ってのことだ。
しかし、その「幸せ」は、本当にそうか?
その「必要なこと」について、本当にそうか?
と、著者の福森伸さんは問いを投げかける。
障害のない人が、組織の中で、居心地の悪さを感じたり、息苦しさを感じるのはなぜか。
不安に駆られて、何かを求めて、行動するのはなぜか。
重度の知的障害者の生き方、在り方を見て、問い直してみると、見えてくるものがある。
#しょうぶ学園
#鹿児島