【感想・ネタバレ】時代の一面 東郷茂徳 大戦外交の手記のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

ネタバレ

●開戦前の日米交渉におけるハル国務長官はじめ米側の態度の硬化は、欧州戦における戦局の変化(独劣勢)、蒋介石政権による働きかけ、日本軍部のインドシナ侵攻によるものか。
●真珠湾攻撃は、当時米側の主張した自衛のための戦争なら宣戦不要、批判は不当。
●戦争を開始した後でも、支那やソ連と早期に結んで英米の本格的な武力行使を封じる方法はなかったか。
●東郷の連絡会議出席によりポツダム宣言無視の記者会見が回避されていたら、原爆は落とされずに済んだのかもしれない。しかしその場合、降伏にかかる軍部の態度はなお尊大なものになったはず。最後まで勝機のない戦いを続けようとした陸海軍には呆れる。
●日ソ中立条約は破棄の宣告後なお1年間有効なはずであり、満州侵攻と北方諸島の占有は正当化され得ない。

0
2021年12月12日

Posted by ブクログ

1989年に登場した文庫について、読み易さに配意して本文の一部の標記を改め、新たに解説を付した「改版」ということで、極最近に登場した一冊である。
著者の東郷茂徳(1882-1950)は大正時代から昭和の始めの時期に外交官であった人物だ。そして戦前には幾つも例が在るが、職業外交官が外務大臣に抜擢されることも在った。そういう型で外務大臣を二度務めている。務めた時期は、一度目が太平洋戦争に突入していく時期である東条英機内閣で、二度目は終戦へ向かって行く鈴木貫太郎内閣である。あの大戦の幕開けと幕引きという要所で外交を担っていたのだ。
あの大戦の幕開けと幕引きという要所で外交を担っていた東郷茂徳だが、終戦の時に大臣を退いた後、体調を崩して療養するような場面も在ったのだが「戦犯容疑者」ということになってしまっている。そうした中で、回顧録を綴り、開戦時の状況等を説く参考資料にしようという意図が在ったようである。そうして綴られたのが本書ということになる。
本書では、東郷茂徳が外交官として仕事をすることになった当初に奉天の領事館が最初の在外国勤務であったというような辺りから話しが起こり、第一次大戦や対中国情勢、海軍軍縮会議、ノモンハン事件等々、在外公館での勤務や国内での勤務の中で大使や局長を歴任しながら色々な事案と取組んだ経過が綴られる。本書の半ばから終盤、二回の外務大臣としての仕事に関連すること、“開戦”や“終戦”に関しては「重大な決定の現場に在った当事者」としてかなり詳細に回想した内容が綴られている。
本文の中では、「その頃の動向」という感じで鹿児島県在住の両親を訪ねるというような事柄に軽く触れられている。御本人の略歴的なことに言及らしい言及は無い。が、巻末の解説に少しそういう内容が在る。東郷茂徳は島津家の庇護下で陶工を代々務めた一族の出で、彼の父が士族の名跡を受継いで東郷姓を名乗るようになったのだという。「東郷」という姓は鹿児島県では比較的多く見受けられるようだ。そして東郷茂徳は鹿児島の七高(旧制高校の一つで、鹿児島城の敷地にその歴史を伝える記念碑―当時の学生達をイメージした銅像―が据えられていた…)に学んだ後に東京大学に進み、ドイツ文学を学んだそうだ。欧州の文物や外国語を学んだ彼は、そういう知識を活かした仕事として外交官を志し、その道を歩むのである。
本文を読むと「明治・大正時代の小説か何か?」を想起させる部分と、可能な範囲の資料を引いて綴られる「ドキュメンタリーやノンフィクションという感?」という部分とが混在している。が、総じて記憶、記録を可能な限り引き出し、それを「交渉相手に説明する時の要領」に近いような感じで淡々と綴り続けたのだと感じた。中には「酷い憤り…」を覚えたことが察せられるような事案も在るのだが、それらが多少抑制的で淡々とした筆致で実に強く伝わる。無意味に過ぎる仮定だが「この方は外交官にならなかったら、小説家として名を成した??」というようなことを思いながら読んだ一面も在る。
本書を読む限り、東郷茂徳は軍事力を一定程度備えてそれを行使せざるを得ない場合が在るものであるとは思いながら、それは飽くまでも他に手段が無い場合の最終手段で、人々の命や財産が損なわれる場合も生じる戦争のようなものは極力避けるべきで、そういうことに知恵を絞って力を尽くすのが御自身を含めた外交官なのだと、「信念」を持っていたことが滲む。何処か「妙な精神論」というようなモノも幅を利かせたかのような「時代の空気?」という中で、飽くまでも論理的に諸事案の様相を観て、そして深く考えて「次の一手?」を導き出し、その導き出した「一手」を「打ってみませんか?」と粘り強く説くような、そういう仕事ぶりが本書の叙述から強く伝わる。
“終戦”を巡る叙述は、読んでいて些かの驚きも禁じ得なかった。強硬論と講和論との果てしないような論争が在った訳だ。連合軍側による「本土上陸」が予想される中、強硬論を唱える人達は「一度迎え撃って撃退出来る。講和はその後に」とする。が東郷茂徳や同調する人達は「一度迎え撃って撃退しても、2回目の攻撃を受けでもしたら、もう戦えないではないか?」と反駁する。色々と混乱のようなモノも生じていて、東郷茂徳の自宅には警備の警察官が平素よりも増員で派遣されるという事態まで在ったという。そういう中、何となく思う以上に昭和天皇が存在感を示していることを本書で詳しく知ることになった。「最早、民は苦しみに耐えられなくなっている。戦争を終わりにしなければならない」という意を何度も示しているというのだ。
こういうような、殊更に詳しい叙述の部分は本当に生々しい。が、全般には「明治・大正時代の小説か何か?」を想起させるような、典雅な雰囲気に溢れた、美しいと同時に力強い筆致で綴られた手記である。何か「信念と、信念を支える強い矜持、矜持を紡いだ高い教養」というようなモノを裡に秘めた「気骨の人」というような、筆者の人物像を強く感じる。
少し古い文庫が「改版」で改めて登場したということ自体、本書の「価値の高さ」を物語って余りあるような気がする。そして「日本の“あの頃”の当事者たる要人」が綴った回顧録として国外からも注目される本書は、色々と外国語にも翻訳されているようだ。佳い本と出逢ったと思う。

0
2021年09月14日

「社会・政治」ランキング