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Posted by ブクログ
日本人みんな必読教科書じゃなかろうか。
福島在住の著者が東日本大震災での実例を皮切りに、デマによる風評被害と被害があるなら加害者がいる=デマを広める者は加害者になっている自覚を促す。
・何故デマが広がるか
論証の確かさをいちいちチェックせずに拡散し、間違いがあったかどうかを拡散した一人ひとりが確認しない
・何故デマを広める者がいるのか
デマによって偽の権威を得るため(デマを主張してその発言に力を持たせる事で自分の売り込みたい文脈を売るため)ものによってはそのまま商売になる。
・真実であれば何もしなくてもデマに勝てるか
残念ながら真実だけでは勝てない。
デマを徹底的に否定して拡散を防ぐ、抗議することをしなければ真実は簡単に負ける。
例えばワクチン
・東日本大震災のとき美味しんぼで鼻血表現をして、それに乗っかり自分も鼻血がというデマが拡散したが、鼻血が出るほどの被曝量なら数時間で死に至る。
・マスコミはデマを拡散しても修正しない。何ならデマを積極的に拡散して、根拠のない不安を煽る。不安を煽るデマで彼らは稼げるから。
・人の不安や恐怖を煽って、【真実はこうだ】と自分だけが知っている優越感などを刺激する。デマによって真実や本当の権威をおとしめ、【自分が言説で力を得たい】がためのデマ。デマはそれを語るものに偽の力を与える。盲目的に信奉させればパワーが集まる。
Posted by ブクログ
「まがいものの正義」がどこから来るのか、誰から来るのか、私たちはもう知っているはずなのに、どうして対策がとれないのだろう?
「情報」というあまりにも危険な代物を扱うには、それなりの訓練を受け、資格を持った者に限るべきなのではないのか?と思うが、言論の自由とぶつかるからダメなんだろうか?
「風評加害者」を効果的に取り締まらないと、いつか民主主義が成立しなくなるのではないかと危惧してしまう。
Posted by ブクログ
2023年の処理水のタイミングであらためてベストセラーに返り咲いた、震災後福島の情報災害の記録。印象的な津田大介氏のTwitterの引用から始まる。
SNSをみていて情報の分断はもう避けられないのかと思っていたが、考えさせられた。
Posted by ブクログ
渾身の一冊。問題意識を強く喚起された。ずっと風評被害と闘ってきた著者が、当事者にしか書けない福島の状況を記し、デマや差別を生み出す人の心や社会の構造を分析。それを理解した施策と科学的事実に基づく議論、誤情報を積極的に排除することの必要性を強く感じた。
Posted by ブクログ
風評被害に対し、その加害者が存在するという観点がまず面白かった。今後の情報災害を未然に防ぐための公益性、という筆者の主張には賛同するが、同時に抑えきれない怒りみたいなものも同居しているように思う。
加害者として書かれている中で特に酷いのはやはり朝日新聞・東京新聞、れいわ・共産党といったいわゆる左翼陣営で、彼らが弱者の味方として政権批判をするために被災者に対する風評加害を如何にして実行してきたか、これを冷静に読むのは正直難しい。悪戯に分断を煽っても仕方無いのだが、彼ら加害者は一度は自分たちの過去の言説を振り返り、客観的・科学的な報道・情報発信を心がけるようにしてほしいものだ。
Posted by ブクログ
福島に対する情報災害をもたらしたメディアや無責任な人々への強い強い怒りを感じた。
せめて自分は、風評加害に安易に加担しないように一歩立ち止まって考えるクセをつけないとなぁ、と思った。
Posted by ブクログ
福島の方のリアルな声。
もっと正確に言うなら無観客の東京五輪では悪化しなかった、では??あくまでわかっているのは。
何を書かないかで印象って簡単に変わる
「自分達が想像した虚構の中に閉じ込め支配しようとする意識であったと言えるだろう」
これあちこちで起こってるよなぁ…「○○のため」と自分が全く関係ない分野で正義感に駆られて活動して、実際の立場の人が苦しむ構図だったり、実際をよく知ることなく勝手に相手を下に見て、自分を上と錯覚するような。
いくら正しい情報が発信されていたとしても、有象無象ある中で見つけ出すのは本当に難しいと感じる。
この方は情報の取捨選択にある程度信頼をおけると思える人を各分野ごとに見つけ、その人が紹介してくれることで知識を広げられる。
でも出だしを失敗すると、沼にハマってしまう。
相手のためを思えと言いながら相手を傷つける言葉を発する。
正しい情報を見いだすのが難しい場合もあるけど、明らかなデマや偏見の場合、振り回されていない人がいても、その場合はわざわざ存在をアピールすることはなく、でもデマや偏見は相手に届けることを目的にしているから余計に厄介。
「日本の避難基準設定は、チェルノブイリの反省と知見もある程度踏まえた上で、ICRP(国際放射線防護委員会)が示した、安全とされる年間20~100ミリシーベルトの範囲の中で、住民の安心を最優先した年間20ミリシーベルトを避難の基準として採用した。」とかもそうだけど、この本を読んでやっぱり歴史とか流れを知ることって大事だなって改めて思いました。自分の無知を棚に上げないよう気をつけていきたい。
人って普段いかに無頓着でも、1度見えてしまうとどんな数値も冷静に見れなくなって意味がなくなってしまうものなんだな。世の中0・100じゃないのに。
肩に止まった虫がいなくなっても根絶やしにしないと気が済まないようなものだな。
値下げを要求されることを見越して、最初から落とし込みたい数値は出さずに余裕を持たせて提示するというような頭はどこにでも必要なのかもしれない。
すごく丁寧に書かれていて、同じ話が何回も出てきまくるのがちょっと疲れちゃいました。特にまとめは1回でお腹いっぱい…。
こういう天変地異的なことが起きるとこじれやすいもので、余裕がなくなると視野が狭まり、皆が敵に見えてきて、疑心暗鬼でより自ら分断を深めてしまうものであり、結局当事者以外ができる1番のことって黙って見守るしかないんじゃないかって思いました。実際のところなんて外からはわかりません。
復興の形は人それぞれとあるとおり、一人ひとり、目指すもの求めるものが違うもので、であれば自分で動くしかない。
それに、ゆかりがなければ他人事になるのは仕方ないと思うんです、だってそれぞれ自分の生活があるんですから。原発のことがなくても、他の何かしらに相対しているものであり、そちらにだって敬意は必要です。
んで確かにその後の情報を追う意識というのは大事だと思うんですけど、それぞれの人生には他にもいろんな物事が起きるわけで、日々の中で全部追うなんてまぁ無理ですし、だからこそこうやってまとめて発信する存在は大事になってくると思います。そうすればこうやって読んで知ることができますしね。いろいろな困難を乗り越えての執筆ありがとうございます。
制限された一部地域はどこを指すんだろ?とかの情報も一緒に書かれているとありがたい。
Posted by ブクログ
誰からの批判も受け付けつけず、ここまできてしまった第四の権力。メディア、報道。
福島を「フクシマ」、安倍元総理を「アベ」と呼び、人の不安を煽ったり、角度をつけた編集で、独自の正義を、デフォルトの正義に仕立て上げ、逸脱者を「追及」したりする姿は見るに堪えない。
丹念な記録で、そうした姿を露わにする著書。
Posted by ブクログ
ちょっと筆に熱が込められすぎているというか、「福島の風評被害を伝えなければ!」という思いが大きすぎるせいで、メディアに対する批判の言葉があまりに強く、かえって筆者の見える範囲が狭まっているのでは?と思ってしまった。(←実際にはそんなことはないのだろうけど、そういう風に感じてしまうような文体だった、ということです。)
本書では「フィルターバブル」という言葉が引用されながら、結局、その人が見たい・知りたいと思っている情報しかその人には届かないということが触れられていて、それ自体は納得できる。しかし、では、正しい情報が自分のところに届いたと言えるのはどういう状況なのか?という部分をきちんと論じていないのが残念。
そこを説明していないと、筆者がフィルターバブルに陥っていないとは言い切れないと思う。
タイトル「『正しさ』の商人」というのは、正しさを商売道具として金儲けしているメディアに対する批判だと思うが、私の目には、結局のところ、風評被害を流すメディアも、それを批判する筆者も、お互いが「自分の方が正しい」と信じているだけにすぎないのでは?と思うような箇所もちらほら見受けられた。
正しさと正しさの衝突という状況が、陰謀論や風評被害やフェイクニュースへの盲信に繋がっているのだとしたら、結局この本が根本的な解決を提示したとは言えないと思う。
メディアの無責任な報道や人々のそれに対する無批判な盲信が、福島の風評被害につながり、現地の人々をひどく苦しめたということを記したルポとして読めば十分価値があると思ったが、タイトルが大仰すぎる。
筆者が書こうとしていることと実際にこの本の内容とにやや乖離がある。
Posted by ブクログ
不当な批判や差別に黙って耐え忍ぶ事は西洋化・情報化・多様化した現代日本では美徳ではなくもはや害悪であるっていう話。
情報災害の歴史や情報災害全体の本かと思ったら、東日本大震災の福島に対して起こった情報災害の話だったので、いろんな意味で上手い本の題名だな、と。
ただ、被害に遭った側が時間とお金と労力と勇気を持って被害状況を訴えていかないといけない上に、さらに周りの第三者に被害者側が責められる事もあるというのは、小さな嫌がらせ事件から明らかな犯罪に至るまでの全ての被害者と加害者とそれを取り巻く第三者に通じる問題だと思った。
p. 46
たとえば、米タートマス大学教授のブレンドン・ナイアン(Brendan Nyhan)と英エクセター大学教授のジェイソン・レイフラー (Jason Reiller)は、2010年発表の論文で、デマを否定されることでよりデマを強く居じてしまう「バックファイア効果」の危険性を主張している。確かに、たとえ否定が目的であろうと、デマも含めたネガティブな情報に触れること自体が一定の葛藤や不快をもたらす。そこから生ずる反発や戦業が不利益を生むことは間違いないだろう。
ところが、この「バックファイア効果」が、そのまま「浅薄な寝た子は起こすな論」を正当化する根拠になるかといえば、それは違う。むしろ、「バックファイア効果」を声高に叫ぶことこそがデマ・差別の温床になるということを、この理論の提唱者自身が主張しているのだ。
(中略)
基本的にデマは否定すべきであり、それを怠れば、多くの人がデマを信じ、差別に加担することになる。
p. 204
「「首都圏のためのインフラ」として建設された「東京電力」福島第一原発事故で蹂調された故郷が、事故を「福島の問題」とばかりに他人事にした挙句に自分達の都合や論理ばかりを押し付けようとする人々から、さらに蹂躙されるセカンドレイプを防ぎたかった」