有名科学誌に掲載された、それまでの常識を覆すような「コロンブスの卵」的大発見が世間を驚かす。
舞台はかつては「科学者の楽園」と呼ばれた名門研究所。
登場人物は、それまで目立った実績のない若手研究者、野心満々の共同研究者、一発逆転を目論む研究所上層部。
しかし、一向に追試は成功せず、世紀の大発見はほこ
...続きを読むろびを見せ始める。
大発見の興奮が醒め、よくよく考えてみると、「神の手」によってなされた実験が成功した瞬間を見たものは本人以外おらず、実験ノートは存在しない。成果物も行方しれず。再現実験と称する実験データには、本来であれば数十年がかりのはずの結果がしれっと載せられている。本人の実験スキルや知識もどうも怪しい。
遂に発覚した実験データのコピペが動かぬ証拠となり、研究所も重い腰を上げ、徹底的な調査が行われる。
関係者は“実験データの取り違え”を主張して取り繕おうとするが、結局「世紀の大発見」は跡形もなく崩壊する。
当事者は研究所を追われ、ついでに、学生時代からの捏造癖までも疑われ、学位を剥奪される。
途中までどこかで聞いたことのあるような話ですが、これは、本書で描かれる、2002年にアメリカで起きた論文捏造スキャンダルの顛末。
我が国では、スキャンダルにまで独自性がないのかと、なんとも言えない気持ちになりました。
(いや、割烹着だの釈明会見で着ていたワンピースのブランドのといったワイドショー的要素は、オリジナリティがあるか)
考えてみれば、研究者の良心に依拠する科学のあり方は変わらない一方、科学を取り巻く環境が変化したこと(内的には極端な専門分化、外的には国家プロジェクト化や行き過ぎた実績主義)は世界共通の病理であり、科学者とて功名心があることを併せ考えると、スキャンダルのあり方も世界共通なのかもしれません。
本件の捏造者がかくもハイリスクな論文捏造にあえて手を染めた動機については本書では特に語られていません。
研究所上層部は発覚までの間は“成果”を最大限に活用して組織の生き残りを図り、発覚後も共同研究者の多くはお咎め無し、研究責任者とて致命傷までは負わず、捏造者本人に全責任が被せられたという結末からは、本書で捏造者の友人が述べているように、陰謀論に与してみたくもなります。
しかし、捏造者が「自身の思い描いた実験成功の空想を、頭のどこかで現実に起きたこととして置き換えてしまっていたのかもしれない」(本書p206)というのが、何かヒントになるような気もします。
本書は、NHKのドキュメンタリー番組が元になっているそうで、平易で、構成も優れており、まさに良質なドキュメンタリー番組をみているように、一気に読めます。
とくに、科学者たちが、「世紀の大発見」を信じてしまう心の動き(そしてそれは無理もない)を描くくだりは興味深く読めます。