須原一秀のレビュー一覧
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自死という生き方―覚悟して逝った哲学者を読みました。テーマだけに感想を書くのも躊躇してしまう。著者は自死の普遍化という難しい問題に取り組んだが、私はこの問題に幾ばくか意見できるほど成熟していない。分かったようなふうな意見しか言えない気がするのである。あえて言えば、メメント・モリ(自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな)を私は忘れてはいけないと考えている。
私は以上のようなことを三人称の立場で客観的に主張してるのではなく、一人称の立場に立って主張しているのである。そのことを読者は重々考慮しながら受け取っていただきたい。 (P105)
覚悟の書である。 -
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自死は一般化/普遍化するのだろうか
自らの思想に従い、65歳のときに「哲学的事業」として自ら命を絶った哲学者。というと、センセーショナルな響きがあるが、本書の記述は至って冷静で、誰かさんが総理を辞める時に言った「明鏡止水」の趣すらある。だがかえってそれが説得力、迫力につながっている気がする。
本書を読んでいる間、私自身は違和感とか嫌悪感を全くと言っていいほど感じなかった。それは私も、須原氏までとは行かないにしても「自死の思想」を持っているからだろう。だが本書の中で氏が何度も力説しているように、死については観念的にのみとらえて「わかったつもり」になる危険性が大きい。私も、自身の加齢とともに、 -
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自死という生き方 覚悟して逝った哲学者
新葉隠 死の積極的受容と消極的受容
はしがき
一章
三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテス、それぞれの不可解
二章
なぜ彼らは死んだのか?
・ソクラテスの場合
・三島由紀夫の場合
・伊丹十三の場合
・老衰も自然死も嫌だーそれぞれの苦境
三章
「未練」も「苦痛」と「恐怖」
・「極み」の理論
・彼らは、「苦痛」、「死そのもの」、「死後」への危惧ないし恐怖をどのように克服したいのか?
四章
死の能動的受容と受動的受容
・五段階説
・観念的知識と体感的知識
・「二人称の死」と「三人称の死」
五章
自然死と事故死と人工死
・自然死は悲惨ー専門家の見解
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(相対的感想五段階評価)
明 ・@・・・ 暗
衝撃@・・・・平凡
一過・・・・@永年(読んだときの気持ちの燃費)
論理・@・・・稚拙
表紙 3
ぼくはこの先生の授業を受けていた。
最初の授業で、いきなり嘉門達夫の「小市民」を大音量でかける先生だった。
先生の本は、どれも強烈で、論理学という枠組みをとびだして、人生に必要な「明るさ」と「真剣さ」を教えてくれた。
ぼくは、先生に授業できいた、「名言の構造」について、いまも実践している。これは他人に説明してもわからないと思う。説明するのも難しいし、納得させるのも難しい。
本の内容は、伊丹十三や三島由紀夫が実践した、明るい自殺について、また武士道が見