中澤晶子のレビュー一覧
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朝日小学生新聞で知った本です。
戦争が終わった日から約80年経ちました。
たった80年。
戦争のない、平和な時代に産まれてきたことは奇跡としか言いようがないですね。
その時代に生きていた人も、日常の中に楽しみや期待、幸せ、大笑いするようなこと、当たり前のように思えますが、あったんだろなあと考えたら胸が苦しくなりました。
ある日突然、この平和で、当たり前の日常がなくなったら?
隣にいるはずの大切な人がいなくなったら?
わたしたちは人生に“もっともっと!”と求めすぎたり人と比べて落ち込んだり。
勝手に頑張りすぎたり悩みすぎたり。
本当は生きているだけで大したものなのに。
生きているだけでありが -
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また新しい気づきを私に示してくれた一冊。
広島市内には仕事で何度か訪れてはいるけれど、この本と出会って街並みを見る目が確実に変わったと思う。
前作は被爆した街に遺った「モノ」、すなわち遺品を通してその時に確かに生きていた方達と、今時の中学生(と書くといかにも説教臭いかもだけど)が心の交流を経て何かを感じ取ることで気持ちに変化が訪れる、という内容であった。
続編であるこの『2』は「トコロ」、場所に遺る人々の意志や願いを生徒だけでなく教師も受け取る描写があり、子ども・大人関係なく気づきを得るという話4篇が収められている。
個人的には前作よりもシビアというか、優しい語り口ながら鋭く『ひろしま』 -
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やっと読みましたよ!
これはブク友のたださんのレビューを拝見してからずっと読まなければ、と思いつつ中々書店で見かけなくて、注文すれば良かっただけなんだけど、運命の出会いを求めるあまり手に入れるまでにえらい時間が掛かってしまった色々思い入れがある一作。しかも買えたのは広島市内の書店で。うれしい。
「この五つの物語の主人公は、あなたかもしれない。」というオビの落合恵子先生のコメントや、タイトル『ワタシゴト』に込められた意味「物語の題名『ワタシゴト』は、「記憶を手渡すこと=渡し事」と「他人のことではない、私のこと=私事」を意味する、作者の造語です。」(p126 付記より)にある通り、この本に収め -
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ネタバレこの本は『ブタのお腹に手を入れるシーン』が教科書にあった事が印象的で調べてタイトルを見つけた。
ネットで調べると、教科書掲載の時期は短かい。その短期間に出会えてよかった。ブタの『お腹』だと思っていたけど、読み直すと『背中』でした。細部の記憶は曖昧。
副題に『ぼくたちのチェルノブイリ』とあるように、中身はチェルノブイリ原発事故の話。教科書に掲載されてたシーンにそんなのあったかなと思ったけど、掲載シーンは事故がまだ起きていないシーンでした。
あらすじ
ドイツに住む日本人『トオル』(日本で言えば小学六年生)が主人公。
物語は、ママが旅行に行くところから始まる。残されたパパの料理の腕は期待外れでト -
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1985年から2019年までに、原爆資料館(広島平和記念資料館)を見学した、修学旅行生は、およそ1352万人だそうです。
その1352万人という、莫大な数の、かつての中学生たちは、その時、どのような思いを抱いたのでしょうか?
本書で描かれるのは、修学旅行を通して、多感な中学生それぞれが感じた、「ひろしま」についての物語。
『ワタシゴト』は作者の造語なのですが、これには二つの意味があり、一つは、「渡し事=記憶を手渡すこと」で、もう一つは、「私事=他人のことではない、私のこと」で、今回、この造語が、「ひろしま」について、とても言い得ているように思われ、心に留まりました。
例えば、渡し事に -
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まさに、チェルノブイリと同じことが(それ以上のことが)
日本でおこってしまった。
この本は、3.11の震災後に再版されたもの。
チェルノブイリ事故の放射線物質漏れは3日で止まったけれど
日本は今も、出続けている。
見て見ないふりをして
勉強もせず、メディアや行政や国を信じ、
与えられるだけの情報を信じている人の多いこと。
どれだけ平和ボケしているのだろう。
チェルノブイリで何が起こったのか、
27年たった今、何が起こっているのか。。
3.11で日本はどうなってしまったのか。
大切な人を守るためには
自分で情報を得なければならない。
食べて応援している場合じゃないよ。