アレクシーカレルのレビュー一覧

  • ルルドへの旅 ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」

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    医師アレクシー・カレルがその目で見て書き記したマリ・フェランの治癒についての文章はかなり短い。カレルがヴィシー政権下で優生思想の持ち主でナチシンバだったこと、リンドバーグがカレルの研究に私財を投じていたことなど、訳者による周辺情報が興味深かった。また、カトリック教会が奇跡の認定に非常に厳しく、マリ・フェランのケースでさえ認定されなかったというのが意外だ。その一方で、ルルドの泉の模倣を作ることを世界各地で認めていて、日本にもカトリック東京カテドラル関口教会はじめ数カ所にあるというのも初めて知った。

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    2023年02月08日
  • ルルドへの旅 ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」

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    ルルドはフランス南部にあるカトリック巡礼地である。歌手のマドンナが娘の名をこの地にちなんで名づけたことでも話題となった。
    古来、交通の要衝であり、先史時代からの遺物が残る町ではあるが、この地が巡礼地となったのは、1858年に1人の少女、ベルナデッタ・スビルーが「聖母を見た」ことに由来する。聖母は十数日に渡って洞窟近くに現れ、ここに御堂を建てよと少女に告げた。そして「泉に往きて水を飲め且つ洗えよ」と洞窟の底を指し示した。そこには泉はなかったが、ベルナデッタが手で穴を掘ると水が湧いてきた。水は滾々と湧き出し、ルルドの泉と呼ばれるようになる。この泉の水を飲み、沐浴した重病人が奇跡的に快復するとされ、

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    2020年08月23日
  • ルルドへの旅 ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」

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    スペインと国境を接するフランス南西部のルルド。1858年2月に
    ひとりの少女の前に聖母が現われた。何度かの邂逅ののち、聖母の
    言葉に従って少女が洞窟の土を掘ると泉が湧き出した。

    病気や怪我を治癒する奇跡の泉として有名な「ルルドの泉」で、
    後にノーベル医学賞を受賞することになる若き日のアレクシー・
    カレルが目撃した奇跡を小説仕立てで書き残したのが本書だ。

    カレルが巡礼団に同行してルルドを訪れたのは1902年。結核性
    腹膜炎を患う若い女性は、ルルドの泉を訪れる予定の昼にはいつ
    亡くなってもおかしくない状態だった。

    それが泉の水を腹部にかけただけで、腹部の膨満は消え、その日の

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    2017年12月31日
  • ルルドへの旅 ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」

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    後にノーベル生理学・医学賞を受賞(1912年)する仏の外科医であるアレクシー・カレル(1873年~1944年)が、1902年に、かつて聖母マリアが出現したと言われ、不治の病を治癒する「ルルドの泉」で知られた、カトリック教会の巡礼地ルルドを訪れたときに目の当たりにした“奇跡”について、自ら綴ったものである。カレル博士は一般には、『人間 この未知なるもの』の著者として有名である。
    ルルドは、フランス南西部のピレネー山脈の麓にある小さな町(現在の人口は15,000人)で、1858年に、町の洞窟でベルナデット・スビルーという14歳の少女に半年間で18回の聖母マリアの出現があり、その9回目の出現のときに

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    2016年02月14日
  • ルルドへの旅 ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」

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    従来の「ルルドへの旅・祈り」が仏語原典からの邦訳なのに対し、本書は米国で出版された英訳からの重訳版です。
    個人的には、仏語邦訳版の方がより美しく抒情的な文体で感動をそそられます。これには訳文の問題のみならず、原典の違いも大きいのでしょう(英訳時、用語の変更やパラグラフの改廃・置換えも行われたとのこと)。
    解説はやや退屈な部分もありつつ、著者カレルの戦争や政治との関連など、興味深く読みました(カトリック教徒であることと矛盾するこれらの思想は、理解に苦しみます)。附録の「ルルドの洞窟」も参考になりました。
    ルルドに興味がある方は資料として一読の価値ありです。

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    2016年01月09日