秋山千佳のレビュー一覧
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ずしりと重たい。これでも氷山の一角なのだからどれだけの性被害者が徹底して無視され、あるいは故意に沈黙の中に沈められてきたかと思うと悲しみや虚しさより怒りが湧いた。
男は生まれつき男なのだ。ホモソーシャルを観察すれば、あるいはその中で生きてみればわかる。男らしさを強調し、下ネタでゲラゲラ笑い、くだらない事に執着するなと「教え込まれる」。聞こえはいいが要するに思考停止して動けと言われるのだ。
読んでいて、自身にも身に覚えがあった。あれが性加害の被害に当たるのかと考え、調べてみたら自身も被害者だとわかった。そんな風に身近に転がっているのだからもしかしたら自分もここに載った人々と同じになっていた可能性がある。そう考えるともっとこの本は読まれるべきだし、大勢が知るべきだと強く思う。 -
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ネタバレ女性の性被害では、なかなか立ち入りづらい話題なのだけど、男性の性被害は自分も被害者であったかもしれない。ジャニーズの問題は確かに半笑いで通り過ぎていた。他にも男性がセクハラに合う映画も特に気にすることなく笑っていた。それらを常に他人ごととしてとらえていた。
家族による、父親による性加害も指摘されている。息子の性器をふざけ半分で指ではじくなどしていたら、後年「最悪でした。思い出すだけで死にたくなります。あれからトラウマになって今もPTSDで苦しんでいて、うつ病の診断もくだりました」などと告白されるかもしれない。変なことをしないように気を付けなくてはならない。
この本は勇気ある人々による時代の変化をありありと描いており、さらに時代の変化を導くことだろう。
ここで声を上げた人々がそもそも優秀で頭のいい人ばかりだ。そうでなければ事態と向き合えないのかもしれない。しかしその影には、あまり頭がよくなくて、声を上げられないまま苦しんでいる人の存在が想像できる。
性被害の描写が生々しく、加虐傾向のある同性愛者が読んだら興奮しそうだ。 -
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昔の保健室は怪我をしたり、熱や頭痛・腹痛などの体の症状で通っていたように思うけれど、現在は、心身、心も身体も両方のケアを求められていて、養護教諭が果たす役割が大きくなっているのですね。やってもやっても終わりがない、幅広い活動が求められているようです。
スクールカウンセラーはまだ、配置が遅れていて、配置されても、週1回、など時間や日にちが限られているところが多いのですね。
数年に渡り、ルポライターの著者が沢山の学校の保健室をまわり、サブタイトルにもあるように、その裏に隠れている「貧困・虐待・性の問題」を取材、自分の知らない沢山の世界を垣間見ました。
子どもには親の他にも、周りの人たちがちゃんと見守っていく、関わっていくことが必要だな、と改めて感じました。
保健室の先生には本当のことを話せるけれど、担任の先生や友達、親には話せない、そんな子どもたちがいることを、教員にも知ってほしいです。
(問題は起きていない、と断言する、または見ないふりをする教員がいるそうです)
そんな先生には、是非、一読願いたいです。 -
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ネタバレ普通に面白かった。タイトルから想像したもの以上の事が書かれていた。子どもの貧困、児童虐待、LGBTなど、近年注目されている内容について、保健室の養護教諭の方の取り組みと実際のケースを細かに記すことによってリアルに描かれていた。美談だけではなく、残念ながらバッドエンドとも言えるその後となってしまったケースもしっかり取り上げており、現実味があった。
最後には日本の現状を踏まえ解決策の提案と今後の展望についても綺麗にまとめてあり、心に留まった。
まちかど保健室の設置およびそれの公的補助、養護教諭のスクールカーストの根絶、複数の養護教諭を学校に配置するなど、現実的には難しいかもしれないが良案が豊富で、現状を打開する可能性を感じた。
長々と書いてしまったが、緻密な取材と問題提起や着眼点の鋭さに舌を巻いた一冊でした。福祉関係に興味のある人は是非読んで欲しいです。 -
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■困った子は困っている子
・教師から見て問題行動の多い「困った子」は見方を変えると,様々な困難を抱えて助けを必要としている「困っている子」である。
■養護教諭は日本独自の教育職。
・養護教諭のツールは1905(明治38)年,岐阜県の小学校に配置された「学校看護婦」にある。
・トラコーマという目の感染症が全国的に大流行していたため,当初は子供たちの洗眼を役割として各地で公費採用されるようになった。
・1941(昭和16)年に公布された国民学校令で,学校看護婦は「養護訓導」に変わり,教育職員となった。
・1947(昭和22)年,学校教育法の制定により,養護訓導は「養護教諭」へ改称された。
■養護教諭が差別的な位置にある原因(「養護教諭の社会学」すぎむらなおみ氏)
①教壇に立たない教員であること
②職務内容が他者に理解されにくいこと
③養成課程が統一されていないため学歴がまちまちであること
④前身が学校看護婦で「病院」から「学校」への移民であること
⑤ほとんど女性であること -
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ネタバレ「子供たちの悲鳴が聞こえる!」というキャッチフレーズそのままでした。
8月に出版されたばかりの本ですが、内容がとても生々しく、まるでドキュメンタリーを見ているようでした。
中学校の養護教諭をインタビューしてまとめた本。
「虐待」「いじめ」「貧困」「性的マイノリティ」
子供も親もみる医師としては本当に見逃せない内容でした。
ここ最近、養護教諭の先生と話す機会の減った私としては、驚きの内容でした。
本人が理由でなく、学校に行けなる子たち。
私としては、第2章の「虐待の家から出されたSOS」が衝撃で胸が苦しくなりました。
親のアルコール依存、虐待、貧困、食事が食べらない。
そんな子が頑張って高校に行くけれど・・・。
20歳までケースが生々しく書かれてあって、それを支え続けた中学の養護教諭がすごいと思いました。
以下、私に響いた言葉、勉強したことです。
p.113
「児童虐待による心理的影響の代表的なものの一つに、未来への希望が持てなくなることが挙げられるという。子供の頃に受けた心の傷のせいで、年齢を重ねても、進学や就職といった一般的な将来像を描くのさえ困難になるというのだ」
ある養護教諭は「中学の養護教諭が子どもに直接関わるのは3年間という期間限定だ。その子の抱える問題を全面的にすくい上げるには、難しいこともある。」と。
今は、スクールカウンセラーだけでなく、スクールソーシャルワーカーという職種もできてきた。
p.237
「社会福祉の専門的な知識、技術、問題を抱えた児童生徒を取り巻く環境に働きかけ、家庭、学校、地域の関係機関をつなぎ、児童生徒の悩みや抱えている問題の解決に向けて支援する専門家」と定義されていて、家庭環境による問題を主として扱う。
私たちの似ていることがたくさんあると思いました。
会ってみたい、スクールソーシャルワーカーさん。 -
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読んでみて、ジャニーズ問題が取り沙汰されていた頃にいくつかネットで見た男児の性被害に関する記事がほとんどこの方のものだったということが分かった。それらの記事がいかに世の中や裁判に影響を与えたか、というその後の話まで記されておりとても興味深い。メディアが被害者を救ったという意味で応援したいし、もっと多くの人に読んでもらいたいと思う一冊。
それにしてもジャニーさんの性被害の件数はとんでもないと思っていたが、小児性愛の人が起こす性被害件数の平均は1人あたり何百件という事実を知って驚いた。いかに声をあげていなかったり隠蔽された被害者が多いかということがよく分かる。
また、日本は諸外国においてもそういった犯罪への対応や法整備が遅れているということもよく分かった。日本はロリコン文化だからか?どうでも良いルールを厳しくする前に、子供に対する性的な行為は犯罪であるということをもっと社会に認知させていくべきだと思う。小児性愛とあるが、愛ではない、という有識者の話にほんとその通りだと思った。
また男性のほうが声をあげにくいというのも、ジャニーズの子達が被害を笑話にしていたという話を思い出して辛くなった。
この本に登場する方々は本当に勇気があると思ったし、著者の方も含めて今後も応援したい。
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ネタバレ歴代の東京大学を卒業した女子学生たちにインタビューしたもの。昨年亡くなり、男女雇用機会均等法の生みの親である赤松良子さんや、脳科学者の中野信子さん、東大→ハーバード→東大大学院、弁護士でありコメンテーターとして活躍する山口真由さんなど、学生時代に感じた女子であるがゆえの差別や違和感、育ってきた環境、就職、結婚、中高一貫校から東大に来た学生とのアウェイ感、親が高卒で大学の知識がないまま東大に進学した人の頓珍漢だった話(これは、エリートコースで学んできた人との能力の差を感じた話)、東大のなかでも偏差値カーストがある、偏差値の低い学部の男性は辛い、東大女子お断りのサークルの存在など、東大の学生だったからこそ、東大卒だからこそ直面した差別の話。
(ちょっとまだ頭のなかでまとまってない・・・)
東大は戦後になって、やっと女性の入学が許された。
未だに東大の女子学生の割合は約2割。
男性の多くは私立の中高一貫男子校出身で、父親が大手企業、母親が専業主婦という環境でいるため、女性は男性より下なであり、結婚したら男が稼いで女は家事・育児をした方が効率がいいと何の疑問もなく考えている人が多いということ。そして、こういう考え方をもったまま、官僚などになるんだから、そりゃー、日本社会は男性が有利に生きていけるように作られていくわけだわな、と愕然とした。
もちろん、そんな男性ばかりではないし、少しずつ今の若い学生たちは男女関係なく男尊女卑の考え方から多様な考え方をする人も増えてきているよう。
京大と比較してるわけではないので、高学歴ではない私にはよく分からんが、東大の方が官僚に進む人が多いというのは聞くので、東大の学生の意識、女性の割合を3割にする、教員も女性を増やすなどしないと、日本の国そのものが滅びそうと思ってしまった。国際的にみても、東大には留学生が少ないしね。多様性がない大学と認識されているよう。それと、知識があるということと、自分で考えて判断できることは違う能力なので、賢さっていうのは、私は後者だと思う。知識があって損することはないし、そこからさらに世界が広がるからいいことなんだけど。
それにしても、女性にお酌をしてもらうのが当たり前、東大以外の女子大生を下にみてる、だから勘違いして性暴力事件とかも起こる。まぁ東大に限ったことじゃないけど。典型的な男尊女卑の社会がこの大学には濃縮されてることが恐ろしいと思ってしまいました。
自分にできること。
10代の優秀な女の子たちに、可能な限り翼を広げて飛び立ってほしい。自分の可能性を信じて。その背中を少しでも、押してあげることかな。
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子どもの頃、保健室には身体測定とケガをしたとき以外ではお世話になったことのない僕です。たまたまなにげなく見たテレビの特集でなんとなしのイメージがあるばかりで、具体的には保健室ってよくわからず、でもなんだか知っておかねばならないような……というひっかかりを本書のタイトルから感じて、手に取りました。
保健室ってどう機能しているのだろう? どのような苦しみを背負った子どもたちがやってきて、どういった悩みが寄せられるのだろうか。そこで養護教諭はどんな対応をしているのだろうか。著者が実際にいくつかの中学校の保健室に滞在し、そのなかでリアルタイムに経験したものや、養護教諭や生徒への取材から知ったことなどを中心とした内容です。昨今の子どもたちのリアルな負の部分、それは虐待や貧困がそのひどい部分が主なところです。また負の部分というよりも、子どもたちが悩んでいたり弱っていたりする部分、社会の変化やその社会の変化からの相互作用によって自分たちに生じた変化にもがいているような部分、そういったところから保健室でこそ発せられるSOSを世に明らかにすることで、その内容が多くの大人の読者たちが知ったり考えたりすることができるように問いかけてきます。
第一章では、さまざまな子どもたちのいろいろなケースが語られる。しかし、養護教諭は話を聞き、励ましたりアドバイスしたり寄り添ったりはできますが、たとえば家庭での貧困や虐待にはなかなか介入ができない。それに、中学校の三年間が終わったり養護教諭が転勤や退職になると、悩める子どもとの縁が切れてしまう。第一章だけ読むと、歯がゆくてたまらなくなります。ほとんど放置じゃないか、と。家庭の味はインスタントラーメンという母子家庭(母親に健康上の問題がある)の子ども、愛着障がいの子ども、マスク依存の子ども、それぞれが難しいケースで対症療法的な軽いアプローチをするのが関の山のようなところがありました。
しかしながら、第二章のひどい虐待を受けている女生徒、それもあらゆる虐待を経験し続けている女子ですが、彼女と養護教諭との交流や、第三章のつよい精神薬を服薬しながら保健室登校している女生徒と養護教諭とそのチームの関わりの話、第四章のLGBTの男子生徒と、卒業後も続く養護教諭(養護教諭が退職後に町の保健室を開設したがため繋がっていられた)の話、それらが、各々の場所でなんとか活路を見出すために獅子奮迅しているさまに、なんともいえず胸が熱くなるときがありました。
「困った子は困っている子」という本文中の言葉に、そうだよなあ、と肯かされました。各学校に少数でもそういった困っている子がいるとして、全国でトータルしてみれば、そして各世代を合計してみれば、いまも苦しんでいる人はかなりの数になるでしょう。
児童相談所に連絡しても、かなりひどい案件だったとしても「様子をみましょう」という対応になることが多いそうです。児童相談所が抱える事案がことのほか多いためではないか、と書かれていました。だとすると、「ちょっと待て」となりますよね。苦しんでいる子どもたちがどれだけの数いるのか、と。その一人ひとりの苦しみの深さを考えたうえで、その一人ひとりのケースの集積を思うと、子どもたちの問題はとてもつもない大きな問題だとあらためてわかってきます。
第一章ではがゆいような思いをしたと書きましたが、こういった多くのケースは家庭に介入できないことがネックになっているからでした。文部科学省では何年か前からスクールソーシャルワーカーを地域ごとに設置し始めていて、彼らであれば家庭に介入する動きができるため、今まで助けられなかった子どもたちと同様のケースに希望がすこしずつ見いだせるような体制にはなってきているとのことです。
本書を読んでいると、養護教諭はなんだか伴走者のようです。といいますか、訪ねてくる生徒に対してまるで伴走者のようにふるまえる養護教諭であれたならば、コトは好い方向へと流れていきがちなのかもしれない、という印象を持ちました。現役の教師でも、養護教諭や保健室に対して否定的な考えを持っている人が多いようなのですが、たぶんに、養護教諭を伴走者のイメージで見てもらえたなら、価値観がちょっと変わるのではないでしょうか。まあ、教師っていろいろと信念や考え方ががちっとした人も多いでしょうから、なかなかそうはいかないのかもしれませんが。
保健室という場は、たとえばSNSがそういった場として機能する場合だってあるのではないでしょうか。僕がネットを始めた97年ころ、契約していたinfowebというプロバイダに加入者専用の広場(掲示板)があって、そこはとてもくつろいだ優しい雰囲気で、そこでの会員同士の交流には悩みの告白とそれへの励ましなども多く、またネット初期特有の独特なオルタナティブな感覚で時間がゆっくり流れていて、今思えば保健室的かもしれないなあと思えるのです。そこは加入者が増えていくにつれて荒らしが増え、悪貨は良貨を駆逐するのごとく閉鎖にいたるのですが、荒れだすまでの良質だった空間をその場で過ごせたのはネットに対する原体験として僕にとってはとても好いものでした。そういったコミュニティーがSNS上にぽこぽこと点在している状態になったら「豊か」ではないですか。
本書のようなルポから、子どもたちの「現在いるところ」に注目できると思います。まるで見えてなかったところに視線を定めてもらえた感じは僕にはしました。
著者ははじめとおわりにこう書いています。
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保健室が、子どもたちを救う最前線として認識され、その力をさらに発揮できるようになることを願う。この社会はそれだけでずっと良くなるはずだ。
p10 & p249
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読み終えた今ならば、肯くばかりです。