平井美帆のレビュー一覧
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子供を持つこと
この本を読むまでは
「体が産めない状況なら、何も無理に母にならなくても良いのではないか?」
と考えていた。子供は生まれればおしまいでは無い。最近はせっかく生まれたのに、幸せになれない子供のニュースが溢れている。
この作品で、欲しくても授からない女性の気持ちや葛藤を知り、そうまでして授かったならば、きっと両親は大切に育てるだろうし、幸せになれるのは子供だけではないのではないかと感じた。
当事者ではない人の理解に繋がる作品だと思うし、当事者の人がもっと語れる世の中になるべきなんだろうなと感じた作品。 -
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今年、地元のミニシアターで『黒川の女たち』が封切られたが、都合がつかず観れなかった。この本を読んで映画を観ておくべきだったと後悔したが、もちろん時既に遅し。日本が満州で突如参戦してきたソ連兵に蹂躙された事は知っていた。日本からの移民を守るべき筈の軍が、あの関東軍が一番最初に安全に逃げ出し残された人々の艱難辛苦は凄まじかった事も知ってはいた。しかし、移民団が自らの身を守る為に未婚の若い女性をソ連兵に差し出した事は、ほとんど知らなかった。それを決めたのは満州開拓団のリーダーたち。しかもごく一部の男たちだけ。何故未婚の女性か?既婚者はお国の為に闘って来たご主人に申し訳が立たないという理屈。団を守る為にみんな平等に「接待」に行く筈が、そこでも村の異なる女性や幹部の身内で回数や頻度に差があった。更に団を守る為に身を張っている女性を地元の満人に嫁として金銭で売りかけた事件も発生。これは誰がやったのかは分からないが、はっきりしているのは団のリーダーの中の誰かだろう。満州で地獄のような体験をして、やっとの思いで日本に帰ったら今度は差別だ。「満州から帰ってきた女の人はみんな、処女でないってことは日本の人は知っとるもんでね」。
遺族会が出来て集まる事も始まったが、この「接待」の話は長く封じられて来た。それが段々とメディアを通して知られるようになってからも悲劇は続く。信じられなかったのは、被害者の女性たちを拝み倒して「接待」に行かせた責任者が、後年、「お前はソ連兵の尻を追いかけていた」などの軽口まで叩いた。『仁義なき戦い』の大友のセリフを借りれば「おどれら、オメコの汁で命助けて貰いながら、なんやその口の利き方は」。
今、いざ国を守る為には立ち上がるという威勢の良い人達にこそ読んでもらいたい。
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第二次世界大戦後の満州…暴徒化した満人やソ連兵から開拓団を守る使命を課せられた若き女性たち…その身を捧げる「接待」と言えば聞こえはいいが、性の捌け口、もっとわかりやすく言えば彼女たちを生け贄のように差し出し、強姦・レイプさせていた過去があった…。引き揚げ帰国した彼女たちは、同じ日本人からも「棄民」として蔑まれ、その身にも心にも受けた傷を癒すことができないでいた…そんな彼女たちを取材したノンフィクション。
この作品いつか読もうと思っていた作品です。終戦から79年です。この作品が刊行されたのが2年前、証言してくれた女性はもう90歳を越えていますよね…。もう、すでに亡くなられている方も多い中、書籍として残っているのはとてもいいことだと思います。辛い戦時体験をされた方は、彼女たちだけではないし、みな高齢になっています。悲劇を繰り返さないためにも、話せるうちに記録しておくことは大事ですよね…。
で…彼女たちのことです。本当に辛かったし怖かったことだと思います…。一緒に満州に渡った家族や開拓団を守るために、逃げ出したくても逃げられない…。そして、帰国後も悲しい思いを…。今なら、どうでしょう?イヤなものはイヤだと、どうしてそんなことをしなくてはならないのか?と反抗して逃げることもできる…し、だいたいにして、そんなことをさせようとは、思わないですよね…。時代背景と一言でいうのは簡単だけれど、それですませていいものではありません。戦争からは生まれるのは、やりきれない理不尽な思いしかありません。それもずっと続くのです…。平和への思い、願いを強く感じることのできる作品でした。 -
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中国残留孤児のノンフィクションがとても良かったため、同じ著者の本を読んでみた。
著者は中国残留孤児の取材をする中でソ連兵への性接待を知るに至り、この一冊にまとめあげた。
戦争という非常時に略奪、強姦はつきものとはいえ、味方であるはずの日本人男性が自分達が助かりたいがために進んで女性を接待に差し出していたというのは驚愕である。
少数の犠牲で多数を守るためという大義名分があったのかもしれないが、守られた男達は接待した女性に感謝するどころか、帰国してからは汚れた女と言いふらした。更に、ある女性に対してはロシア人のことが好きで積極的に接待に行っていたと言いふらしていたというから信じられない。
そのある女性は、妹が接待に出されないように自分が多めに接待に出ていたのである。
70年以上前の出来事、戦争という非常時だったと主張する男もいたが、根底にある女性差別、女性軽視の姿勢は現代にも通じるものがある。 -
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山崎豊子先生の「大地の子」を読んでから中国残留孤児について深く知りたいと思って手に取った一冊。
中国残留孤児に縁のない著者が本書を執筆するきっかけになったのは、金沢東京間で起きた夜行バスの交通事故。
運転手は残留孤児2世の男性で、激務により睡眠不足が続いていたのに業務を引き受け、事故を起こしてしまう。7名死亡、10名以上の重症者を出した本事件はあまりに凄惨で、また若い犠牲者が多かったことから、より被疑者への非難は強かった。
残留孤児2世という特殊な属性をもつ被疑者、その育った環境、労働環境に関心を持った著者は残留孤児のコミュニティに参加して徐々に信頼関係を築いていく。
国家による満州移住計画、敗戦による混乱、ソ連兵の略奪、毛沢東による大躍進政策に文化大革命など、「大地の子」で描かれていた世界、そのままの経験をもつ人物がたくさん登場する。
日本国、また日本国民は、なぜこれほどまでに残留孤児に対して冷たいのかと思っていたが、本書を読んで納得した。
そもそもの発端である移住は、自分達で決めてしたこと、また、移住者というのは戦前の日本で貧困を極めていた人々(事業に失敗したり、借金を重ねていた人)が中心だっため、自己責任であるという論調だったのだ。
自分達の意思で満州に渡り、その後敗戦の混乱はあったとは言え、自分達の意思で中国に残ったのだから、その責任を国家に追求するのは間違えているというのである。この点、敗戦時に13歳以上だった者への自己責任論はより厳しい。
本書でも、大地の子の養父母のような中国人達が多数登場する。日本軍に恨みはあっても幼い子供達に罪はないと我が子同然に育て上げた中国の養父母たちは、国や民族を超えた人間らしさ、温かさを感じる。私たち日本人は、国家としての中国と国民としての中国人を分けて考える必要があると感じる。
しかし、本書に登場する人たちは孤児の中でも恵まれた方。敗戦の混乱の中で命を落とした者、命は助かっても養父母に虐待された者、読み書きができずに、日本に帰国できることさえ知らずに中国で生涯を終えた者、本書に出てこない悲惨な生涯を送った孤児達はたくさん存在しているのだと思うと胸が痛む。 -
Posted by ブクログ
昔、満州からの引き揚げ体験談に、そういった仕事をしていたとされる女性たちが、自ら申し出てソ連兵の求めに応じてくれたから、自分たちは日本に帰ることができたと書いてあった。あれは、本当に、自らだったのだろうか。そう申し出ざるをえない状況にあったのではないか。この本を読むと、そんなことを考えてしまう。どれだけの女性がつらい思いをしたのか。しかも、満州にいた時だけではなく、日本に帰ってからも、揶揄され、差別され、つらい思いは続いたのだ。
戦時性暴力のことを読むたび、「戦争は怖い」「戦争は人を変えてしまう」と思ってしまうけれど、その根底にあるものは平常時から醸成されている、とこの本は言おうとしている。女性の「性」が物のごとく消費され続けることに無意識・無自覚でいることが、悲劇の元凶なのだ、と。
犠牲は美しいものではない。
当事者にとってそれはいつまでも過去にはならない。
「ならば私たちも安易に過去にしてはいけないのではないか」
重い、重い話だけれど、何が行われたかをきちんと知っておきたい。 -
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きついな。厳しい。
何事もミクロとマクロがあるが、特に戦争について言えば、ミクロは悲惨以外の何もない。
弱いものからの目は、なおさらだ。
大陸の人間が大概獣みたいなもんだが、その時の、この判断が、本当にそれしかなかったのかどうかは、後で考えれば価値が変わってくるものだからそれだけで責める気はあまりないが、当然、今後にも備えて検証する必要はある。
しかし、あまりにも「男ども」の、クズっぷりが際立つ。
その場ではなくて、その後だ。
臭いものには一生蓋をする。それが、だめだ。
減るものじゃなしとか、喜んでたみたいな、気の遠くなるような外道な台詞。
だがそれは、そうしないと自分達も壊れてしまうからなんだろう。二度殺される、という、オトコ側の言葉は嘘ではないと思った。
あれだな、フロイトとか、ユングの世界だな。思い出したくないことに蓋をするから。一旦それを明るみに出さないと、解決しない。
向き合えば耐えられないからこそ、向き合わないと進めないものがある。
そういう本だと思う。
もちろんこの著者の視点が全てとも思わない。
男の性はでは、非人間的な業なのか。
綺麗事抜きの剥き出しの世界に、どう向き合うのか。
あっちこっちでぎったんばったんしながら、何かの正解に辿り着けるのか。
日本を取り巻く情勢を考えれば、否が応でもそれに直面する場面が、早晩訪れる気がする。 -
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敗戦直後の満州で起きた女性たちへの性暴力。終戦から80年近い年月が経とうとしている2022年の現在、被害者となった女性の肉声を収めることができる最後のタイミミングだったのではないでしょうか。
戦争を賛美してはいけない理由が何かと問われたら、その答えはここにあると思います。もちろん、答えはひとつだけでなくて、たくさんの理由がありそれぞれに優劣はなく、戦争反対の大きな理由の一つです。
彼女たちの悲劇の記憶。ただ自分の胸の内にひた隠しにしてきた人生というものに想像はできないし、安易に同情し理解したつもりになってはいけない。それでも、記録として残しておかないと、歴史から消えてしまう。安易な同情をすることもできずに、時に流され、なかったことにされてしまうのは、違うのではないか。
文中で「非常時だから」「しかたがない」という許容に対して、自分が犠牲にされない限り、という根拠のない前提が無意識にあるから、という一文があります。これが最も危険な考え方ではないかと感じます。
物事の責任を放棄し、思考停止してしまう。
いろいろと思うところのある一冊でしたが、安易に同情してしまいそうになるから、感情の起き所が難しい。被害にあってしまった人々に、自分ができることはないと思う。安易に同情することは、自己満足でしかないと思う。
少なくとも、同じ悲劇を繰り返さないことを目指すしかないのではないか。当たり前だけど、毎年この季節になると繰り返されるお題目ではあるけども、平和を自分達の後の世代へ継続してゆくことが、大事なことなのでしょう。
記憶を残すことでしか伝えられない事実はある。
全てを聞き取ることはできないかもしれないけども、自分が知ることができたことに関しては真摯に向き合わなければならない、と思います。 -
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滋賀・長浜で起きた幼児殺害事件の犯人である鄭永善。彼女は統合失調症を患い、いわば"二つの"顔を持つ。そんな"もう一人"の彼女が犯した、罪のない二人の幼児を殺害するというこのどうしようもなく重い罪、そしてそれによってもたらされた悲劇を、それを取り巻く人々、そして何より鄭永善と彼女の病を描くことであぶり出していく。
中村うさぎの書評を読んだことがきっかけで手にした本。統合失調症とはどんな病気か、薬で症状をどの程度抑えられるのか、そういった記述はこの本では特になく、鄭のありのままの姿が淡々と記される。病が進行した彼女は、もはや"元の"自分をほぼ完全に失ってしまったかのよう。もう一つの世界を生きる彼女に現実世界の罪と向き合わせるというこの矛盾、遺族のやり切れない思いはどこにどうやってぶつけたらいいのだろうか。法はなんの解決にもならない、それでも法はなんらかの判断を下し、裁かなければならないのだ。
罪を犯した時点で既に永遠に癒されることのない悲しみが、彼女の病によって増幅される。出口のない迷路のようなこの悲劇、そのありのままの姿をこの本は描き出している。 -
Posted by ブクログ
従軍慰安婦については、強制連行と表現するのは適切でないというのが、日本政府の公式見解(閣議決定)になっています。
満州でも、婦女子は強制的に性の饗応者として差し出されたのではないと思います。
でも、当時の空気としてほぼ強制的な形で、ソ連兵の前にさし出された女性はいたものと思われます。
同じ空気を共有した、日本国民としての朝鮮国においても、同じように空気に強制された方はいたのだろうと推測されます。
そして、さらに、プーチンが戦場に駆り出した犯罪者集団によって、現在もウクライナで同じような、いや、犯罪としてのレイプ行為が行われているだろうというのは想像に難くありません。
自分の妻や子を守る気持ちがあるなら、ウクライナ支援についても積極的に行動しなければならない。
改めてそう感じました。 -
Posted by ブクログ
「娘を殺して自分も死ぬ」・・無力感に苛まれ行きつく先。勿論、人の命を奪う権利などない。生きてこそ、その後の人生がある。語り継ぐこともできる・・満州で迎える終戦。集団自決を免れた黒川開拓団。それができた裏の事情。「接待」という的を得ない表現。尊厳を傷付けられた「犠牲者」たち。なかったことにはできない。陰がつきまとう。語ることのできない思いを慮っても行きつけない。それでも考え続けることが大切。平和への備え。選択肢のないその究極に至らぬよう、今何ができるのか。現在も異国で起きている出来事を前に頭をフル回転させる。
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本書に対して遺族会が抗議声明を出している。一旦は拳を下したようだが、関係者や地元白川町には相当なわだかまりが残ったことだろう。確かに故人や遺族を直接批難するような表現があり危ういものを感じた。終章では、現代の女性差別問題にも結びつけようとしているが、書を改めて欲しかった。多くの人がそれぞれの立場で悲惨な思いをした先の大戦。より弱きものを思えというのならば、日本進出により追い出された現地の方々の視点はどうなのか。テーマから逸脱したところで余計な対立を生んで欲しくない。戦争は微かな憎しみから生まれるのだから。 -
Posted by ブクログ
日本人男性と結婚した、統合失調症の中国人女性が起こした園児殺害事件のルポ。
統合失調症は、100人に1人の割合で発症するといわれている非常に一般的な精神疾患の一つである。
にもかかわらず、統合失調症に対する世間の偏見や差別は根強く、家族に病歴者がいるとそれは隠されがちであり、社会の正しい理解もサポート体制もほとんど整っていないというのが実情だ。
いま日本で統合失調症に罹患している人物が犯罪を犯した場合、責任能力が問題になり、犯行が明らかであったとしても、場合によっては無罪になることもある。
どの程度の刑を科すことができるのか、被害者家族の心情を考えた時、刑が軽減されることは果たして許されるのか、決して簡単な問題ではない。
たとえ精神疾患があろうと罪の償いはするべきだ。
但し、それにはその疾患をしっかり治療し、自分の犯した罪の重さに正面から向き合って心から被害者とその家族への償いの気持ちをもってこそ、初めて意味があるものになると思うのだ。
その仕組みが今の日本にはない。
この中国人女性は、犯した罪を理解することもできないまま、治療も受けられず支えてくれる家族も仕組みもないまま、刑に服している。
これが償いだと言えるのだろうか。
もし、犯した罪に死刑が妥当だったとしても、加害者が自分の罪を正しく理解し心からの償いの気持ちをもったうえでなければ、本当の意味での償いにはならないのではないかと思うのである。