バーナード・ショーのレビュー一覧
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オードリーヘップバーン主演の映画、マイフェアレディの原作。映画は恋愛ものとして楽しんで観たが、実は奥深い内容だったことを知り原作を読んだ。
イギリスには、アカデミーという、国家に準ずるような機関が発音や文法を統一した過去があり、現在もそのような慣習が存在し、差別につながっている。つまり、正しいとされる発音や文法を使用しないと、階級が低いと見なされているという。
この小説は、花売りが職業という、毎日を生きていくのに必死な身分の低い娘が、上流階級の発音を手に入れ、豊かな暮らしもできるようになったのに、逆に様々なしきたりに縛られ不自由だと感じ、過去の自由だった自分に戻りたいと思う話。だが過去の生活に -
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バーナード・ショーの戯曲。
20世紀初頭のイギリス。言語学(音声学)者のヒギンズ教授が賭けをする。強烈な訛りのある貧しい花売り娘、イライザに、6ヶ月で上流階級の話し方を教え込み、貴婦人を作り上げてみせようというのだ。つまり、教授は話し方こそがその人の人となりを作り上げると考えている。このあたりは階級ごとに話し方が異なるイギリスならではという感じもするが、ともかくも教授、そして友人のピカリング大佐は、下品な花売り娘に上流階級にふさわしい言葉遣いとマナーを教え込もうと奮闘し、大成功を収めるが・・・というお話。
ピグマリオンというのはギリシャ神話に登場するキプロスの王の名である。現実の女性に失望し -
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20世紀初頭のロンドンを舞台に、上流階級で言語学者である男ヒギンズが教養を身に着けていない花売り娘イライザに特訓を施し、上流階級の夫人として通用するような女性に育て上げようとする話。
あらすじだけ見ると谷崎潤一郎『痴人の愛』や田山花袋『蒲団』を連想するのだけど、この物語はこれらの小説のような自らの愛・欲望といったドロドロした感情を掘り下げていく内省的な物語ではなく、階級や女性の立場といった社会的なメッセージを強く持った物語という印象だった。
現代日本においては、「一億総中流」なんて言葉が(たぶん)高度経済成長期に生まれ、今でも意識的には自分を中流だと思っている人が多いようだ(2013年 -
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ショーが(後日談での弁明を含めて)この話で言いたかったことをざっくりまとめてみると・・・
①女性(イライザ)にとっての創造主(ピグマリオン=ヒギンズ)は絶対的であり、強い関係性を持つ対象としては続くが、恋愛対象とはなりえない。
②ピグマリオン効果(期待による学習・努力は実る)は存在するが、女性(イライザ)を思うがままにしようとする男性(ヒギンズ)はそれをまるで自分の所有物のように永久に自分の手元に置いておけると勘違いすると最終的に破滅する。
ということなんじゃないかと思う。
なので、舞台版、映画「マイ・フェア・レディ」のようなヒギンズ・イライザのハッピーエンドはショーにとっては「あり得 -
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お、おもしろかったー!これは良い小説だった!
下町訛りのひどい女性が、二人の学者に美しい言葉遣いを学び淑女になっていく話。1章から4章まではそのようすがコミカルに描かれていて。第5章では淑女となったイライザは…という展開。
そこではイライザが自らの尊厳をかけて、彼女自身の才知をしたたかに駆使して戦うのだけど、その皮肉とひねくれ満載の舌戦がなんとまぁ痺れることか!周りを彩るのは同じく固有の率直さと運で中産階級となった父や、どこまでも紳士な大佐や、優しくも芯の強い母親と、最終的に呵々大笑する学者と、やーな感じの人はまったくいなくて、これで面白くない訳がない!
それだけに後日談はすごく無粋に感じたの -
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ミュージカル・映画「マイ・フェア・レディ」の原作である戯曲。バーナード・ショーの作品は初読。
音声学の教授が街の花売りの娘(二十歳位)の発音を矯正して公爵夫人に仕立てられるかを賭けて遊ぶお話。教授はいつの間にやら変な種類の情を抱くが最初の動機がおかしいので素直に愛せるようになどなる筈もなく、娘の方は愛と恩義を感じつつも、結局は男の筋の悪さを感じ取ってか、手酷く振って物語は終わる。(ミュージカル・映画の方では、よりを戻すようなエンディングだそう。)
教授が熱心に指導している場面では、(30年程前の話だけど)小室哲哉が華原朋美に歌唱指導している場面が頭に浮かんだ。男側の心理状態はかなり近いので