徹底して基礎を繰り返すこと。
ビギナーマインドをもって、恥を恐れずに失敗した先にこそ、学びがあり、成長があること。
集中するトリガーは自分で創ること。など、習熟のための情熱が実体験をもとに抱えていて刺激ある一冊!!
【外に原因を求めない】
海の上で生活するためには、今という瞬間にしっかりと心を置き
...続きを読む続け、状況を自力で無理やりコントロールしようとする気持ちを捨てなければならない。波のリズムに身を預け、どんなことがあってもそれに対処できるよう心の準備を整えておく以外にない。
【トップを目指す】
頂点につながる狭き門をくぐれるものとくぐれないものの差はどこにあるのか?
そこまでする意義は本当にあるのか?
大志をもつということは、裏を返せば大きな失望の可能性をはらんでいる。それなのにわざわざ最高峰を目指す必要があるのだろうか?この2つの疑問を解くカギは、やる気を誘発するように考えつくされた学習アプローチ、さまざま異なった分野で探求した内容どうしを関連付けることのできる能力、日々のプロセスを楽しむこと、の3点にあると思う。
【増大理論】
実体理論者の子供たちは「自分はこれが得意だ」という言い回しをよく使い、成功や失敗の理由を、自分の中に深く根付いていて変えることのできない能力のレベルにあるとする傾向が強い。つまり、ある特定の課題における知能や技術のレベルそのものを、進歩させることのできない固定された実体として捉えている。
増大理論者は、結果がでたとき、「頑張って取り組んだおかげだ」、または「もっと頑張るべきだった」というフレーズを使う傾向が強い。知能のあり方を習得理論で解釈する子供は、頑張って取り組めば難しい課題でも克服することができる、すなわち、初心者でも一歩一歩進むことで漸次的に能力を増大させ、ついには達人になることだって可能だという感覚を持つ傾向にある。
【結果よりもそのプロセスに学ぶ】
成功者のほとんどは、より高いところに目を向けてあらゆる戦いで危険を冒しているし、目先のトロフィーや栄光なんかよりも、頂点を目指す過程の中で学んだことの方がずっと意味があるということを知っている。長い目で見たとき、身に染みる敗戦の方が、勝利の栄冠よりもずっと価値がある場合だってある。「嬉しい経験」か「苦い経験」かに関わらず、その経験から知恵を引き出せる人ならば、道を逸れることなく最後まで突き進むことができる。
目先の成果に捉われることは、数学の勉強法を覚える代わりに、先生の机からテスト内容を盗み出す習慣を身に着けることに似ている。たとえテストで良い点が取れたとしても、何一つ学んではいないし、何よりも学習の価値や美しさを味わって認識することが一切できない。
試合に勝った者だけが勝者であると教え込まれた少年バスケットボール選手が、勝敗を左右するシュートを外したら望みをすっかり失ってしまうだろう。完ぺき主義で通っているビジネスマンという自己イメージを確立させたものが、仕事でミスを犯したら、果たしてその間違いから何かを学び取ることができるだろうか。
【敗戦を恐れないために】
大きなプレッシャーがのしかかっている場合でも、負けることへの恐怖心よりもチェスに対する激しいほどの情熱がいつも優っていた。それはきっと、初タイトルを獲る以前に痛切な配線を経験したおかげで、瀬戸際でも戦える心理状態を築けたということだと思う。
【負けたときの慰め方】
自分のもっているすべてを賭けて臨み、そして敗れた。そこで母親はなんて声をかけるべきか。とにかく、決して言ってはならないことは、勝ち負けは重要じゃないという言葉だ。それが真実ではないことを彼は理解しているし、現状についてウソをつかれることで、悲嘆に暮れる彼は更に孤独になる。重要じゃないというなら、それに勝とうとしていた自分は何だったのか?私のこれまでは価値のないものだったのか?勝ち負けは重要なものだし、そのことを彼は心得ている。ここで求められるのは、まず「共感」だ。
お母さんは、その気持ちが理解できるし、何よりも彼のことを想っていること、そして卓越するための道のりに失望はつきものだということを言葉で伝える。少し落ち着いたら、静かな声で、今の試合で何が起こったのかを自分で理解しているかを尋ねてみる。
これにより、彼はいかなる配線も成長のためのチャンスだということを学べる。
心のこもった、思いやりのある、習得志向の両親や教師がいれば、大志をもつ子どもは心を解き放ち、こんなにあっても勇敢にむかえるようになる。全力で挑戦しなければ、そこから何一つ学ぶことはできないものだ。困難無くして成長はない。もっている力を出し尽くして、その限界の先に何があるのかを見つけ出し、ようやく何かを学ぶことができるのだ。
【スポットライトを浴びて失敗する心構え】
日常的に競争が繰り返される中で、数週間だけパフォーマンスにこだわらなくてもいい期間を設けても大丈夫なんてことはまずない。本当に初心者であれば負の投資を行うことは容易かもしれないが、人々の視線と期待を一身に浴びながらパフォーマンスする立場にいるものにとっては、恥をかいても一切気にすることのないオープンな心を保って学ぶのは容易ではない。
心をオープンにして増大理論の学習アプローチをとり、ピーク状態でパフォーマンスできない期間を時に許容することは、学習の過程において絶対に必要である。個の時、ベストを目指すためにはこれが必要なのだと世間にわかってもらうことを期待するのではなく、その責任を自分自身で背負うこと。偉大な人物は、剣に火をくべて磨きをかけるためなら、やけどなど厭わないものだ。
マイケル・ジョーダンだってそう。試合終了直前にシュートを決めてチームを勝利に導いた試合数がNBA史上最多というのは有名だが、最後のシュートを外してチームを敗戦に導いた試合数も一番多い。ジョーダンを偉大なプレーヤー足らしめるのは、彼が完璧だからではなく、ギリギリの状態に自分を追い込むことを厭わなかったからだ。2万人のファンを悲しみにどん底に突き落として家路に向かわせた夜、彼の心は辛苦にさいなまれていただろうか?もちろん、そのはずだ。それでも彼はバスケットボール界に普及の名を残す道のりの中で、戦犯として責められることを恐れたりはしなかった。
【集中力を保つルーチンをもつ】
一流のパフォーマーは、リカバリーするために何らかのルーチンを行っているという特徴を発見している。とても重大な試合で生き残れる選手の大半は、プレーとプレーの間の短い隙間にリラックスできる選手なのだという。
例えば、水泳が好きな人には次のような方法がある。くたくたになるまで泳ぎまくってやめるのではなく、身体に無理のないぎりぎりのところまで泳いだら、1~2分間のリカバリータイムを入れ、ふたたびギリギリまで泳ぐということを繰り返す。他にも、読書中に集中力が切れたと思ったら、一旦本を置いて、何度か深呼吸してから、リフレッシュした気持ちで再び本を手に取る。仕事中に精神的スタミナが切れたら、休憩して、顔を洗い、新たな気持ちで戻ってくる。
【引き金を構築する】
ここぞという瞬間を上手に待てるようにならなければいけないというよりも、むしろ、待つこと自体が大好きにならなければいけない。なぜなら、待つことは、実は待つことではなく、人生や生活そのものだからだ。残念なことに、多くの人々が精神をフル活用することなく日々を送りながら、本当の人生が始まる瞬間を待つような生き方をしている。退屈な日々が何年続いても、いつか真の愛を見つけたときに、または、天啓を授かった時に、そおから本当の人生が始まるのだから大丈夫だと考えている。しかし、悲しいことに、今という瞬間に心を置き続けておかなければ、たとえ真の愛が目の前を通り過ぎたとしても、まるで気づかないだろう。単純な日常の中に価値を見出すこと、平凡なものの中に深く潜っていき、そこに隠れている人生の豊かさを発見することが、幸福だけでなく成功も生み出すはずだと強く信じている。
そのために、日常の中で一番心静かに集中できることを考えよう。
それが思い浮かんだら、それを行うまでに4~5つのルーチンを作ろう。
そのルーチンが身に沁みついたら、それを重要なMTGがある朝にやってみよう。
【激怒をスイッチにする】
相手に問題があるのではなく、これは自分が抱える問題なのだということをしっかりと認識することから始まる。世間には不愉快なやつなんていくらでもいる。そういう人々と冷静な頭で渡り合えるようにならなければならないのだ。激怒してみたところで人生は何も変わらない。