牧原出のレビュー一覧
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野中広務という人物について何を連想するだろうか。最近でこそリベラル系の議員からの再評価(ただし現政権への当てつけに過ぎず、あまり褒められたものではない)が進むが、当時は巨悪自民党の首魁として野党のみならず与党の非主流・特に小泉純一郎から目の敵にされていたのを覚えている。
しかしその人生を振り返ってみるとここまでと叩き上げ議員もいない。本人が言うように国鉄の一駅長で終わっていた可能性もあるし、一歩間違えていれば社会党や共産党の政治家として活躍していたかもしれない。官僚や世襲のエリートを決して否定するものではないが、このような真の叩き上げが政界に限らず減ってしまったのはそれこそ日本の失われた多様性ではないだろうか。権力の過程を登り詰める中で清濁呑み併せることでできた重厚な人間性には敬意を表したい。
ここまで書くと硬い話ばかりのようにも思えるが、村山首班指名の鈴木宗男とのやりとりや、官房長官を任された時の小渕竹下との茶番くさいやり取りには思わず笑ってしまう。そのユーモアも野中広務の魅力なのかもしれない。 -
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約1000円で、これほどの知的厚みがある作品を読めるという、新書というメディアのありがたさに感謝する。牧原氏の名前は、オーラル・ヒストリー(野中広務)等で接したことがあったかもしれない。商学の教授、大学運営、議員、文相、最高裁長官、国際裁判所判事など驚くほどの広い領域に足跡を残す田中耕太郎という人物その人の凄まじいまでの能力もそうだが、その評伝をまとめることにも、どれだけの調査が必要かと考えると呆然とするほかない。
田中耕太郎は、商法分野の研究者を振り出しとし、東大法学部の経営、戦後の教育基本法への貢献、最高裁の安定確立、国際的な貢献まで精力的に成果を上げたようだ。特に、昭和初期、威勢を誇る右翼、陸軍と対峙して大学自治をどのような形で守るか、の部分が、あまりポピュラーにはなっていないようにも思い、興味深かった。 -
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正直こんな人がいたのかと驚くと共に自分の無知を恥じた。中身は含蓄があってよかった。
田中は一高帝大で教養主義のもと法学に専心。商法の民放に対する独立性を確立する商法学者だった田中は、法の技術的側面(⇔倫理)から、普遍的自然法は技術的な法律を端緒として統一された世界法として各国内法に浸潤していくという見方を取った。
その後は東大法学部の重鎮として滝川事件から平賀粛学まで「大学の自治」維持に関わり、戦後は天皇周辺の同心会から天皇制の擁護、また文相や参院議員としてGHQと協力して教育改革(教職員適格審査/教育勅語廃止/教育権独立)を実行した。この中で憲法に自然法的観念を見出した。
最高裁長官として、反動主義と罵られながらも司法行政の構築に尽力した。具体的には反共のもと法廷闘争からの独立や、憲法の番人として復古主義的政治からの司法権独立(滞留件数問題)を志した。「世間の雑音」に惑わされるなという言葉も出色だ。砂川事件の統治行為論も司法権独立の確立の中で作られたものだとは知らなかった。
また、国際司法裁判所裁判官としても10年在職した。世界法の体現者として南西アフリカ問題や裁判所の機能強化にあたった。
筆者が行政学者だったこともあり、田中と行政の関係に疑問を覚えたが、納得の読後感だった。制度の確立では、「技術的範囲において」独立性が担保されなければならないという田中の人生の原則はそっくりそのまま行政に当てはまるといえよう。田中は商法、大学、教育、司法で独立を志向していた。筆者は田中を描くことで政治化する行政を批判しているのだ。確かに技術的分野では1つの答えがあり、合理的アプローチをとるには独立性を担保することが最重要だ。その意味で官僚制や大学、司法は民主主義であってはならない。
しかし、技術的分野でないところはどうだろう。田中はカトリック的価値観から自然法の普遍性を自明とし、法の世界的統一を志向していたが、法の倫理的側面を軽視しすぎではないかという気がしないでもない。手形法のような度量衡的なものは合理性の観点から統一した方がいいが、自分は民族固有の事情ゆえの多様性が憲法などの「社会の倫理を体現する」法にはあっていいと思う。ただ、国際文化運動に代表されるように田中はそういう見方を拒否した。田中は「人類皆同胞」というカトリック主義的価値観に基づき、普遍的自然法の、法律に対する普遍性を確信していたのだろう。その部分は自分と相いれないと思う。「世界法の理論」をもとに、田中の思想延いては法思想をもっと理解していきたい。 -
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この書籍のすばらしさは「作動学」という観点から「改革学」の先を見据えていることです。改革する中身は注目を浴びがちですが、それがどう作動するかを予測して仕組みに織り込むという観点は改革をなじませる時間的猶予がなくなってきた現在では重要性を増しているという説得的な議論でした。政治史研究から来るすごみを感じさせてくれるすばらしい書籍です。
役人(官僚制)に「過度な」統制を掛けることが全ての失敗の原因だとよくわかります(「必要な」統制は当然掛けるべき)。全ての政治家は読むことをオススメします。あと行政改革が機能したり機能しなくなるのか不思議な方にも。 -
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2023年の「骨太方針」の中に、「三位一体の労働市場改革」が織り込まれた。それは、①リスキリングの促進②職務給の導入③円滑な労働移動の促進からなるものである。人的資本の開発は、いずれにしても悪いことはないのであるが、その他の「職務給の導入」「円滑な労働移動の促進」というのは、あまり意味の分からないものであったし、そもそも、それを行なえば、労働市場にとって、ひいては日本という国にとってどういう良いことが起こるかの説明が不十分(というか、ほとんどない)であること、これらは「賃上げ」のために行われるとの説明がなされているが、「職務給の導入」「円滑な労働移動の促進」がどのように賃上げに結びつくのかのメカニズムの説明、ロジックの説明がないし、根拠となるデータも十分なものではなく、私などは、「三位一体の労働市場改革」というのは、信じるに値しないもの、という風に考えていたし、今でもそう思う。
「三位一体の労働市場改革」自体への疑問もあるが、私の更なる疑問は、何故、このような不出来な(と私には思われる)政策提言が、ある意味で国の政策の骨格を示す「骨太方針」に織り込まれたのか、ということである。要するに、「政策」というのは、どのように提言され、議論され、アジェンダとなり、法案・政策となっていくのかのプロセスがどうなっていて、この「三位一体の労働市場改革」は、その中に、どのように「紛れ込んだ」のかを知りたいと思ったのである。
本書は、2018年の発行、ということは、第2次安倍政権の途中での発行となっている。日本の政治・政策決定が「政治主導」「官邸主導」、要するに内閣府なり内閣官房に権力を集中し、そこで決定をし、そういったトップダウンの決定を各省庁におろしていき、そこで実際の実行に落とし込んでいくという形のことである。本書は、その「政治主導」「官邸主導」がどのような経緯を経てきたものかを、丁寧に説明している。
1996年に「改革」を謳って首相の座に就いたのは、橋本龍太郎であった。橋本政権から、小渕・森と政権が渡っていく中で、「政治主導」「官邸主導」のための、「政治改革」の制度改正がなされた。しかし、彼らは拙速な実行を行わず、「政治改革」で設計した制度が、うまく「作動」するように、時間をかけて綿密な準備を行った。そして、その果実を受けることになったのが、小泉政権である。小泉政権は、「政治主導」「官邸主導」で政治が進んでいった最初の内閣であるが、それは、うまく機能していたと筆者は評価している。準備に時間をかけただけのことはあったということである。
ところが、第一次安倍政権は、それを壊してしまう。当時の(というか後年もそうだろうが)安倍首相は、官僚に対して強い対抗心・敵愾心を持っており、小泉政権時にうまく機能していた仕組み以上に、更に「政治主導」「官邸主導」の仕組みを作ろうとして、政治がうまく機能しなくなったと筆者は述べている。その後の、福田・麻生内閣で元の仕組みに戻そうという動きがあったのであるが、いずれも短命で終わってしまい、大きな効果を発揮できないまま、民主党政権への政権交代が起こる。民主党政権は、第一次安倍政権と同じ、あるいは、それ以上に、「政治主導」にこだわった政権である。しかしながら、民主党政治家の経験のなさ(だって初めて与党となり、初めて政権運営をすることになったのであるから)も相まって、再び、政治と官僚の間に対立が生れ、スムーズな政治の流れが断ち切られてしまう。
第二次安倍政権は、この民主党政権に輪をかけて「政治主導」「官邸主導」を謳った政権であり、官僚に対しての人事権を握る等によって、強権的に「政治主導」「官邸主導」を進めていっており、筆者の評価によれば、本書発行時点(2018年)では、日本の政治と行政は混乱状態にある。
残念ながら、その後の菅・岸田・石破政権が本件について、どういう政権であったのか、あるのかについては、発行時期からして、本書には記述がない。
話を「三位一体の労働市場改革」に戻すと、こういった「新自由主義的で革新的な」政策は、「漸進的改良主義者」である(はずの)官僚からは生まれてこないものだと、(私は)思う。
だから、本政策に対しての疑いは、この「三位一体の労働市場改革」政策は、官僚機構との調整がなされていないものではないか、というものだ。それが、内容が生煮えだったり、根拠がはっきりしなかったりする原因になっているのではないか、という疑いを私は持っているということだ(官僚の側のサボタージュを疑っているということ)。「三位一体の労働市場改革」は、2022年の「骨太の方針」には、影も形もない。2023年の「骨太脳方針」に、「忽然と」と言って良い感じで出て来た政策である。このことも、私の疑いの原因の1つとなっている。
労働政策に限らず、政策を議論し決定していくには、色々な会議や審議会等での議論を経て行われていく。2023年当時は、岸田首相政権であったが、岸田首相は「新しい資本主義実現本部」「新しい資本主義実現会議」というものを新設し、そこで、割合と新自由主義的な議論を行っている。そういった会議での議事録等は公開されており、私がざっと見た感じでは、「骨太の方針」の内容を議論する「経済財政諮問会議」では、「三位一体の労働市場改革」はほとんど議論された形跡がない。一方で、「新しい資本主義実現会議」の中で「三位一体の労働市場改革」は議論されており、それが、唐突に、実際の「骨太の方針」に織り込まれたという印象を受けた。それぞれのメンバー等の詳しいチェックはまだ行っていないが、これも「官邸主導」の実態の一例と言えるのかもしれない。
「三位一体の労働市場改革」は、しかし、まだおおまかな「政策方針」とでも呼ぶべきものであり、それらを実際に政策や法改正に落とし込んでいくには、「労働政策審議会」での議論を経る必要がある。まだチェックしていないが、こちらの議論がどうなっているかも調べておく必要がある。
ちょっと何を言いたいのか自分でも分からない感想になってしまった。
私たちが最終的に目にする政策案や法改正案は、実際には、それに関わる人間、政治側・官僚側・その他の人たちのせめぎ合いの産物なのだろう、ということを思った。 -
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わずか3年前の話なのに、もうすっかり記憶があいまいになっているが、当時マスコミで報道されていた内容と、尾身氏がここで語っている内容がずいぶん違う気がする。こうして後から振り返ってみれば日本政府も分科会もうまくハンドリングできたように見える。
ただいくつか重要な点への反省が欠けている。日本は島国なのだから初動で重要なのは入境管理なのだが、目先のインバウンド需要に目がくらんで春節で大量の中国人を受け入れ、あっという間に日本中にウイルスを広めてしまった。4月の入国制限は判断が遅すぎる。また元来日本の防疫は明治期からの結核対策がベースとなっている。結核のように濃厚接触でしか感染が広がらないのならクラスター対策も有効だが、コロナのように空気中で長く感染力を維持するウイルスではリンクを追えずやがて破綻する。いつまでもクラスター対策にしがみつき、限りある保健所のリソースを消耗したのも問題だろう。いずれも尾身氏自身に反省がないように見える。
とは言っても、これらも後知恵でしかない。全体としては自らの責任権限の限界を正しく理解して当時としてはベストの対応をして下さったと思う。
問題は政権の方だ。311の時には総理や官房長官の記者会見に原子力の専門家は同席しなかったと記憶しているが、なぜコロナは尾身氏を表舞台に引き出してしまったのだろう。震災当時の菅首相は東工大の応用物理卒業という点を考慮する必要があるものの、もうここからして安倍政権のダメさ加減がわかる。こういうことをするから政治と科学の関係があいまいになるのだ。政治家としての覚悟が最初から感じられない。文系政治家の科学リテラシーが上がらない限りは今後のパンデミックも危うい。 -
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ネタバレ本書は、国民が政権を選択する「政権交代」の時代において、円滑かつ安定的な日本政治の条件等を戦後の55年体制の歴史から検証するもの。起承転結のストーリーが明確でないため要点を掴みにくく、セオリー化のためか若干大括りに過ぎるのと、中立的視点からは構造改革(特に竹中)に傾いているきらいが感じられました。
【自民党長期政権時代】
<佐藤栄作>
・複数官房長官制(官房長官・副長官に加え、宮澤経企庁長官:経済政策・外交)
・内閣官僚の組織化(厚生省から官房副長官&首席内閣参事官:環境庁設置の環境行政)
<小泉純一郎>
・官邸主導(官房型官僚>原局型官僚、竹中経済財政大臣)
・官僚制内ネットワークの駆使
①内務行政型・・・旧内務省系を中心とした府省(含む環境省)と自治体のネットワーク
②財務省主導型・・・予算編成と支出を通じて各省をコントロール
③経済産業政策型・・・内閣の附属・特務機関(戦前:岸・商工省➔企画院、戦後:行政改革会議事務局、経済財政諮問会議)を中心とした、革新官僚と民間のネットワーク
➔戦後の自民党政権時は、①(官房副長官)&②(首相秘書官)
➔改革期(30年代の戦時体制、90年代の行政改革期)には③が力を発揮する
【政権システム】
(1)一党優先下での政権の進化・・・①当選回数に応じて党・政府の役職を割り当て、②派閥に所属、③総裁選出により首相交代
➔個々の議員の成長、派閥・首相の新陳代謝により、時代に適応
(2)政権交代下での政権の進化・・・①転落した前与党の政策練り直し、党組織刷新、②政権移行期間、移行チームなどの諸制度、③野党時代の「影の内閣」OJTを通じた閣僚としての即戦力化
➔政権交代を見据えて絶えず各党が自らを刷新
◯ 政権交代を進化させるための4つの提言
①野党時代に実行可能な政策を構想
②野党と官僚の接触ルールを整備
③マニフェストの中から、実行できる政策を取捨選択
④省庁再編は慎重に -
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2012年12月から2020年9月まで7年8カ月程度続いた第二次安倍政権期間中、自民党は選挙に勝ち続け、安倍元首相は、自民党内で総裁選を勝ち続けた。また、政権のガバナンス、特に官僚との関係で官邸の人事権を強化する等、他党に対して、自民党内で、また官僚に対して、安倍内閣は、「一強」の状態にあったと言えよう。本書は、その理由を、経緯を含めた探ったものである。
私は、やはり、選挙に強かったことが一番の原因だと考える。選挙に勝ち続けることにより、自民党内で強い求心力を持ち続けることが出来たこと、また、国会内で多数を握ることにより、自らの政策実行を進めることが出来たこと(ただし、「アベノミクス」を見て分かる通り、実行した政策が本当に効果の高いものだったかどうかは別問題であるが)等が、安倍政権が「一強」でいられた原因であろう。
では、なぜ、選挙で勝ち続けることが出来たのか。私は、野党がだらしがなかったことをあげたい。せっかく政権交代を実現しながら、自らの経験・実力不足により、短期間で国民から愛想をつかされたのが民主党であった。そして、政権を担っていた際の失敗を生かして、捲土重来を期す努力もせず、民主党は分裂を繰り返し、自民党に対抗する政党ではなくなってしまった。自民党が選挙に勝ち続けたのは、もちろん、安倍元首相の魅力もあったとは思うが、主には、野党の側のだらしなさに、私は原因を見る。
しかし、安倍元首相が退任したのは、2020年9月であり、まだ4年半前のことだ。
その間に、自公連立政権は衆議院で過半数割れをしてしまい、与野党の勢力図は大きく変わった。また、7月に予定されている参議院選挙では、その流れが続くことが予想されている。安倍元首相が退陣した時の「自民党一強」状態からは、現在の状況は予測が難しかったと言えるのではないだろうか。
菅・岸田・石破と、自分の考えを伝えることが下手な首相(自分の考えが何かあるという前提だけれども)が続き、ウクライナ戦争・円安からの輸入物価高騰からの消費者物価上昇と、それに収入がまったく追いつかない状態、政治と金の問題をめぐっての自民党の失態、そういったことが重なった結果であるが、政治の世界は、一度、風向きが変わると、なかなか取り戻せないものなのだな、と感じる。
そういう意味では、「安倍一強」「自民党一強」も、構造的な部分はあるものの、「風の吹き方」の結果でもあったのだろう、とあらためて感じる。 -
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本書は田中耕太郎の評伝であるが、田中耕太郎という名前を聞くと、商法学者としてよりも「反動」と批判された最高裁長官時代をどうしても連想してしまっていたが、今回本書を読んで、田中の東大教授、占領下での文部大臣、参議院議員の歴任、そして最高裁判所長官や国際司法裁判所裁判官といった経歴を歩んだこと、すなわち憲法上の三権、立法、行政、司法のすべてに属した戦後まれな経歴の人物であることをまずもって知った。
本書において著者は、田中が「制度の独立」ということに重きを置き、それを守るためには闘うことを厭わなかったと言い、田中の生涯とその具体的活動を追っていく。
このような新書という読みやすい形でなければおそらくは決して知ることのなかったであろうことを様々な知ることができた、大変ありがたい。 -
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本書は、日本政治は少しずつ成熟に向かっているという現状認識の下、第2次安倍政権発足以降の「安倍一強」とも呼ばれる状況がなぜ生じているのかについて、一度与党であった自民党が野党になり、再び与党になったというプロセスを経て、安倍自民党政権が政権交代のサイクルを先導している点を理由として指摘する。また、民進党には、政権交代のサイクルの先を行く自民党から学ぶべきは学んで、強い野党となり、政権交代のサイクルをより円滑にし、日本政治の基盤を強めるようエールを送っている。
本書は、各章ごとに、「問い」を設定し、それに答えていくという構成になっている。ただ、正直、最初に設定された問いの答えがすっきりわかるようになっているかというと、あまりそのようには感じられなかった。
一方、個々の指摘は興味深いものが多かった。例えば、「1990年代型改革」の終焉の指摘、菅官房長官以外では官房長官が務まらないような形で内閣官房改革が進められているという指摘、安保法制を巡る動きを踏まえ市民が理解できる「アマチュアリズム」が必要であるという指摘などである。
本書の日本政治の現状認識は、楽観的に過ぎるのではないかという気はしたが、日本政治を成熟させていくうえで、示唆に富む内容であることは間違いない。