添谷芳秀のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
▼自ら「ミドル・パワー」などと称して恥ずかしくないのか、と言う人もいるだろう。だが、身の丈をわきまえた身の振り方を心掛けることは、国際社会を巧く生き抜いていく上で賢明な判断でもある。
▼吉田茂の現実主義的な視座から編み出された軽武装・経済重視路線こそ、戦後日本外交の根底にある思想である。「最小限の」軍事力に抑えることなしに、戦後復興、高度経済成長は迎えられなかったことだろう。
▼しかし、その原動力の両輪を担った戦力の保持を謳う憲法9条と日米安保は互いに相反する存在である。そして、日本という国が自信を取り戻していく中、日本人は「独立心」を実感できずにいる。
▼果たして私たちはどこへ向かいたいのか -
Posted by ブクログ
本書の言うミドルパワー外交とは、大国外交とは異なる選択肢のことを指す。もちろん、これは対義語ではない。
戦後日本は、占領-独立期に選択した吉田路線が、55年体制によって定着していった。しかし、現実主義的な外交感覚から発したとはいえ、吉田が採った日米安保の路線は左右両派からの反発を招き、そして日本国民に健全な独立心を根付かせることに失敗した。
極めて妥当な選択であるはずの日米安保が、55年体制の中で、いつも違和感を覚えなければならなかったところに吉田路線のねじれが存在すると著者は言う。
1960年代における吉田路線の定着→吉田ドクトリンの醸成は、ニクソンショック以降の外交関係の大転換 -
Posted by ブクログ
ミドルパワーとは、ハードパワーでもソフトパワーでもない外交のあり方(=具体的には国際協力)であって、日本は戦後ミドルパワー外交を推進していくような方向にずっと向かっていったのではないか、というのが本書の議論である。
その基本路線として、日本にはずっと吉田茂が規定した外交基準、つまり、日本国憲法と日米安全保障があった、というものである。
そして、日本は伝統的主権国家を論じる人や、平和主義路線という、極端な意見の対立ばかりが露呈し、正当な中立主義が生まれにくかったとするものである。
その流れから言えば、現代の日本外交はある程度適切な方向へ向かっていると言える。日本にぴったりなのは平和外交なのか?平 -
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[ 内容 ]
戦後の日本外交は、憲法九条を維持したまま日米安保条約を結ぶという吉田茂の「中庸」の選択によって規定されてきた。
しかしこの外交路線は左右両政治勢力から攻撃され、「平和国家日本」と「大国日本」という国家像の分裂をもたらし、時にそれが日本外交の足枷となってきた。
本書は吉田路線の上を歩んできた戦後日本外交の主体性を「ミドルパワー外交」の視座から掘りおこす。
ミドルパワー外交とは、大国との全面的対立を放棄しつつ、紛争防止や多国間協力などに力点をおく外交である。
国際政治および戦後日本外交への深い洞察によって導き出された、等身大の日本外交を考えるための必読書。
[ 目次 ]
序章 なぜ -
Posted by ブクログ
戦後、日本の外交は左右双方から批判を浴びてきた。
大国外交と理想的平和主義、それら右も左も共に非現実的であり、
国家観の分裂した戦後の日本においては憲法9条を維持したまま日米安保条約を結ぶという矛盾した「中庸」の選択こそが最善の策であったと。。
しかしそれによって日本人から独立心が決定的に失われてしまったが。
戦後の日本で軍事力を背景とした大国外交を本気で目指すべきだと思った人はいないだろうけどな。
ミドルパワーとして多国間での連携によって国際政治を動かすにしても、
国際社会で発言力を担保できる程度の経済的軍事的プレゼンスは当然必要なんだろうと思う。 -
Posted by ブクログ
二年くらい前に読んだ気がする。
の割に本の概要が思い出せる。
これは決して著者の筆力を褒めるものではなく、その主張がシンプル過ぎて、中身と言えるものが殆どなかったからだ。
それはつまり、日本は外交において、どのように「ミドルパワー」を使ってきたのかという一点である。
戦後、日本は憲法によって平和主義の道を定められた一方で、冷戦が始まると日米安保によって西側の一部であることをも定められた。
吉田茂の手による、そのどちらにも振れられない中庸の在り方をを吉田路線といい、高坂正尭はかつて「宰相 吉田茂」でその手腕を褒めた。
その上で添谷芳秀は、「ミドルパワー」という、国際政治の中でハイ・ポリティックス