個性がとても強くて文章が読みにくいと始めは感じたが、筆者の哲学(贅沢貧乏など)がわかってくるにつけ文章に感じるぎこちなさもなくなった。
貧乏であっても精神は貴族になれる。本当にいいものを見分ける目や舌をもてば、それが贅沢になる。
私自身はお金持ちでもないし、これからお金持ちになる可能性も低いが、その
...続きを読む中でも豊かに生きていくことはできるのかもしれないと感じた。審美眼を失わずにいたい。あるいは育てていきたい。
筆者の価値観だけでなく、食のエッセイとしてだけでも楽しめる。卵の書き方が素敵。
以下引用
●ほんものの贅沢
ほんとうの贅沢な人間は贅沢ということを意識していないし、贅沢のできない人にそれを見せたいとも思わないのである。贋もの贅沢の奥さんが、着物を誇り、夫の何々社長を誇り、すれ違う女を見くだしているのも貧乏くさいが、もっと困るのは彼女たちの心の憶測に「贅沢」というものを悪いことだと、思っている精神が内在していることである。
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だいたい贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。容れものの着物や車より、中身の人間が贅沢でなくては駄目である。
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要するに、不恰好な蛍光灯の突ったった庭に貧乏な心持ちで腰掛けている少女より、安い新鮮な花をたうさん活けて楽しんでいる少女の方が、ほんとうの贅沢だということである。
●ジュンかヴァンのオトコノコ
大体、(粋)のスパルタ教育がなくなったということは、親たちに自信がなくなって、息子のやることも、服装も放任になったことなので、自信のない親は、口を出さないことが、理解のある親だと思っているより仕方ないのである。それが民主主義だと、自分を胡麻化している親が無数に出来たのは敗戦のためであって、上から押しつけられて、忠君愛国や質実剛健、倹約、等々をただうわの空で唱えていた日本人の大部分は、つまり大部分の親は、永遠にある筈だったそれらの思想の椅子によりかかって威張り、子供を教育していたから、その椅子がなくなるとグラグラになってなすすべを知らない状態になった。戦前から民主的だった、少数のわかった親(これらの親は、西洋流の、自分自身の考えから出たほんものの愛国心を持っているのだ)と、これも少数の、昔式のガンコ思想を魂の底から持っていた親と、これらの親以外の親たちが、ただまごついて
いる内に二十二年が経って、その間にヘンなオトコノコは黴のように発生した。自分自身の考えのない親の下ではやっぱり、自分の考えのない子供が出来上がるのである。
●楽しむ人
私が若い女の人たちに言いたいことは楽しむ人になってもらいたいことだ。
そういうものはほんとうの楽しさでない。皮膚にふれる水(又は風呂の湯)をよろこび、下着やタオルを楽しみ、朝起きて窓をあけると、なにがうれしいのかわからないがうれしい。歌いたくなる。髪を梳いていると楽しい。卵をゆでると、銀色の渦巻く湯の中で白や、薄い赤褐色の卵がその中で浮き沈みしているのが楽しい。そんな若い女の人がいたら私は祝福する。
即席ラーメンやどこの店も同じなハンバアグをくい、つまらなくてあくびのでる女と歩いているのは楽しさではない。いい舌を持って自分で造らえればいいのだ。では枚数がもう一行で尽きるからこれでさよならしよう。生を、空気を楽しむことである。
●果てのない道で思ったこと
私の父親は津和野の貧乏医の息子に生まれたが、精神が貴族で、縦から見ても横から見ても、貧乏のにおいがしなかった。だが贅沢は好きではなく、出盛りの野菜、果物、なぞを豊富に使い、あまり下魚は使わなかった程度である。それで私は結婚して始めてポンカンという、蜜柑の種類のあることを知った。
苦節十年が尊まれ、蛍の袋をぶら下げて書を読む、飯の菜は小鰯の干物三尾、というようなものの出てくる小説は評判がいい。真面目に扱われる。貧乏、即ち生活、という思想である。父親の言葉を丸呑みにしてそのまま、ぬうと育った私が賢い子供でないことは認めるが、貧乏が書かれていなくては、(生活がない)、という思想はおかしい。金のある生活も<生活>である。貴族小説もあっていいのではないか?
●子供の時の果物
私の父親は大変に変わったことをしていた。杏子を煮て、砂糖のかかったのをご飯の上にかけてたべるのである。又は葬式饅頭を羊かん位の厚さに切ってこれも御飯にのせ、煎茶をかけてたべた。その話をすると誰でもおどろくが、父親とたべた想い出もあるが、支那のお菓子のようだったり、淡白した、淡いお汁粉のようだったり、どっちも美味しい。だが、或日母の実家で、生の水蜜桃が出た時、よの中にこんな美味しいものがあったのかと、おどろき、その味は今も覚えている。