Posted by ブクログ
2014年07月21日
表紙には見るからに美味しそうなドーナツ。真ん中で穴が「I’m here」と言っている。そこにいるのは分かったが、「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」とは何の事やらさっぱりわからない。
この命題に果敢に挑戦した12人の識者は何れも大阪大学の教員で各分野の研究者だ。
工学研究科の准教授は「切る」「削る」...続きを読むとは何か、から始め、旋盤、フライス盤、レーザーまで持ちだしての加工を考える。加工精度を上げるために樹脂を侵食させて固定化する?もうドーナツは食べられなくなっている。
数学の准教授は「数学において論理的思考は自由である」と豪語し、「ドーナツの穴は、そこに指を入れていることで穴の存在を認識できる」と定義した上で、「そのドーナツを4次元に移動させて食べてしまえば3次元では穴を認識したままいつの間にかドーナツが食べられているということになる」と説く。「低次元トポロジー」というそうだが、屁理屈にしか聞こえない。
文学研究科の准教授はプラトンやハイデガーまで持ちだして「美学の見方に立てばドーナツそのものとは、食べられないものであり、穴も無くならない」などと驚かしてから、「現実のドーナツについて考えると、ドーナツは家である」と結論付けた。もう何も言うまい。
歴史学の教授は「どのような見方をするかによって、その物の認識の仕方、理解の仕方が変わってくる」と言い、ドーナツ問題に対しても「歴史家がとるミクロ的アプローチとマクロ的アプローチで考える」とする。これは期待できそうだと読み進めると、ミクロ的アプローチの例として「日本健康保険法と医師会の関係」について分析し、マクロ的アプローチの例として「冷戦期の国際政治」について論じる。なるほど、医師会と国際政治については大変よく分かったが、ドーナツはどうしたのだろう?
法律家の教授は、先ずドーナツに関する法令と法解釈、更に判例を調べて「ドーナツ枕」訴訟の原告、被告の主張から東京地裁と知財高裁の判決までを解説する。実に正統的なアプローチだ。しかし、ドーナツの穴問題になると、様々な屁理屈と詭弁を弄して丸め込もうとした挙句に、ヴェニスの商人を引き合いに出し、屁理屈、詭弁が賞賛される場合もあると開き直る。
結局本書を読み終わった時には「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」が分かるどころか脳内大混乱状態に陥るわけだが、この様なくだらない問題を各分野の研究者が大真面目に論じている所が面白く、様々な分野の研究者の考え方を垣間見る事ができる所が大変興味深い。