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本書は、、可能な限り日常の日本語で『存在と時間』を理解することを目指します。章立てに従って、原文を忠実に読解した上で平易な日本語で解説して行きますので、翻訳書で『存在と時間』を読むよりもはるかに容易にその内容を理解することができます。また、なぜハイデガーはこの書を完成させることができず、未完のままに終わったのか、その「限界」についても、本書を読み進めていけば、おのずと理解できるでしょう。
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Posted by ブクログ
ハイデガー『存在と時間』に絞った解説者,書物の成立から本来性と非本来性,未刊行の内容まで詳細に検討。
哲学素人でもこの本のおかげで『存在と時間』をちゃんと読めた。 筆者もウン十年と悩まされていると吐露しているので親身に感じた。
「八本脚の蝶」読後、哲学的なテーマの本への興味が尽きない。たまたま手に取ったのだが、本書を読んでよかった。 ハイデガーの主著「存在と時間」についての入門書。入門書をいくら読んでも、原典を読んで自分自身のものとして吸収しないとそれは真の読書経験(理解)ではない。野矢先生もそのように書いていたが、本書で...続きを読むもそのことに触れられていた。しかも、「入門書だけ読んで理解したつもりになる」は本書ではハイデガーの本来性・非本来性の議論の卑近的な例として挙げられていたのが面白かった。 本書はハイデガーが本書で示した思想的内容のみならず、それがなぜ当初の刊行予定の中途で途絶しているのかといった成立過程も含めて論じている。最初は刊行をめぐるドタバタ劇に面白みは感じていたが早く本論に向かってほしいな、と思っていたけれど、最後まで読むと、「なぜ未完なのか」を丁寧に追うことが内容の理解に寄与することがわかった。 「存在と時間」の思想的内容は、本書の「結語」に簡潔かつ分かりやすい形でまとめられている。後で思い出したい時には、この章を読めば最低限のことはわかるのではないかと感じた。 ハイデガーが存在と時間性の議論で、「脱自態の地平の統一」の箇所の理解が少し難しかった。簡単にいうと存在は単に現前しているだけではなくその将来の可能態としての在り方やこれまでに可能であったあり方を含意し、それが現存在(人間)から了解される形で存在している。そして、自己である現存在もまた、その他の周囲の存在者のうちに同様のあり方で「ある」もの、ということだろうか。 確かに、存在と時間についての議論をするといっておきながら、「不安」や「死への先駆」「良心の呼び声」などと術語が出てくれば、人間の良き存在の仕方=本来性なのだ、というような理解にしか到達できないかもしれない。しかしこの点、轟先生が未完の部分で書かれたはずの内容も補完していて、そうした内容は原著だけをがむしゃらに読んでいてもわからない内容ではないかと思った。 また、ハイデガーはキリスト教教義学に大きく影響を受けていること、さらに(意図せずに)大乗仏教的な発想に似通ったものがあると指摘されていた。仮に本来性の議論を、人間としてあるべき姿だと誤解して理解したとしても、全く理解できないどころかむしろ得心できる内容だったと感じた。轟先生が言われるように、存在を突き詰めることで実は存在の確固性が揺らぐような、仏教的な考え方は日本人にも受け止められやすいと思う。 本書の巻末に著者自身の執筆に至る経緯が書かれていた。学生時代から、それこそ一生をかけて「存在の問いとは何か」の答えを探り、専門の先生であってもようやくおぼろげにしか理解できないという内容に、千円少しのお金を払えば触れることができる。先生は科研費のおかげで研究ができたというが、もし人文系の学問が廃れてしまって、このような本を世に出す研究者がいなくなってしまったら、確かに誰も困らないかもしれないけど、何だかとてもつまらないことになるような気がする。
ハイデガーの専門家である著者による、代表的著書『存在と時間』の解説。いろんな方面からこの書に照点を当てて書かれています。どのような成立過程を辿って書かれたのかから始まるのですが、幾度となくの書き直し、追加、そして未完成に終わったこと。この書の経緯がすでにドラマチックなものになっています。それが何故な...続きを読むのかについて、ハイデガーが目指したことを読み解くことで解説されています。「存在」とは何なのかというということではなく、「存在」を知覚するのはどういったことなのかでしょうか。それを言い表すことのできる言葉の無い中、ハイデガーが書きたかったことを、著者の轟さんが、様々な言い方で挑戦するように書かれています。テーマにされていることは、わりとありふれたことなのですが、それゆえに難解なのだなと思わされました。
ハイデガーの著作の研究に人生を捧げてきた研究者の大作。具体例が多く、また一度書いたことを何度も復習するためある程度は読みやすい。ドイツ語と日本語の差異もあるが、難しい概念を上手く意訳しているのである程度はわかる。ハイデガー初心者にも相当の配慮をしているが、それでもハイデガーが難解すぎて中々掴みどこ...続きを読むろが難しい。また、ハイデガーの理論を元になったキリスト教的価値観で理解しようとしているが、キリスト教に暗いのでこれも難しい。 フューチャーウォーカーのテーマは存在と時間であるという主張を見かけたので、これを機にハイデガーでも勉強するかと購入。入門だけあって具体例は多いが難しいな! 『ハイデガーの「存在」は、存在者がそのものとして現象することに含まれた、こうした構造全体を捉えようとする』 『『存在と時間』が「存在の意味は時間である」という根本命題を掲げていることを指摘したが、これは一般に「存在」が時間に基づいて理解されていることを意味している』 『一般化して言うと、存在の意味は存在者が現前することに尽きるのではなく、「過去」と「将来」も含んでいるということだ』 これは非常に重要だ。鳥をイメージするとき、飛んでいる姿、食べ物をついばむ姿、木に止まる姿まで含む。そして、卵、雛、成長、死まで思い浮かぶかもしれない。そういったものをすべて含めて鳥の「存在」なのだ。 『存在と時間』成立の歴史は、学者には重要なのだろうが個人的にはどうでも良かった。ポストを得るためにややいきあたりばったり的に論文を書くのは時代が変わっても同じだな。 『現存在の世界‐内‐存在には、本質的に他者と「ともに存在する」ことが含まれている。そして現存在の自己のあり方は他者との関係のもち方に規定されるため、その章では他者との「共‐存在」が主題化されることになり、ハイデガーの他者論が展開されることになる』なるほど、共存在や時間まで含めて、現存在か。私は単数ではない。 不安を感じている人への励ましに使えるかも。「ハイデガーは、不安を、おのれの存在の本来性の可能性と言った。選び取るかどうかは自分で決めねばならないとね」『現存在の生きることの意味をもっとも先鋭化された形で示す情態が、不安である』 「気遣い」は正直良くわからない。「気遣い」には、献身と世界への没入(頽落)が含まれるらしい。はえー。 「現存在」とは人間に、個別性、独自性、時間性、位置情報(場所性)などを加えた人間よりも広い意義を持つ。「現」が『ある一定の分節化された構造をもつ「世界」』である。「不安」状態では、自分の本来的な可能性が示されている反面、普段は不安からは逃避する。前者が「気遣い」の「献身」、「気遣い」からの逃避としての後者が「世界への気遣い」「世界への没入」「頽落」である。
ハイデガー自身の書いた本は難しそうなので、とりあえず入門書の類を何冊かよんでみようという感じで読んでみた。 なるほど、仲正さんらしい感じの本だな〜と。 どこが「らしい」かというと、テキストや言葉を大切にしているということ。訳のわからないハイデガー用語をドイツ語的にどういう意味なのか、語源としてど...続きを読むういう言葉の組み合わせでできているのか、それは普通の会話でどう使われるのか、というところから丁寧に解説してくるところ。 通常だったら、そういう話しって、面倒な感じがして、結局なんなんだ、とか思いがちなのだけど、仲正さんのやり方は、言葉を丁寧に解きほぐしていくことで、そこから文章の意味が通じ始める感じがあって、いいな〜。 いわゆるテキストを内在的に読むということなのかな? ハイデガーがやろうとしたことって、形而上学とか、演繹的、論理的な原理原則ではなくて、日常の生活のなかでの気分の現象学的なところから、スタートするということ。 かならずしも、そうした探求は、ロジカルにはならないわけだけど、それを現象学的な主観性や日常の言葉づかいというところの注目するというところが、哲学的な意義なのかな? だとすれば、仲正さんがここでやっていることって、とてもハイデガー的なものかもしれない。 昔、ハイデガーは、サルトル経由の実存主義という文脈で読まれていたのだが、最近では、そうした読みは排除されつつあるみたいだけど、仲正さんは、かならずしも実存主義的な読みを否定はしていないかな? むしろ、テキストのもつそういう実存的な側面をテキスト内在的にしっかり捉えているようにも見える。 戦後、サルトルの「実存主義はヒューマニズムである」みたいな話しに対して、ハイデガー自身は、そういう解釈とは違うという発言をしていたようだが、その時点では、ハイデガー自身が「実存的」なところから転回をして「存在論」的になっていたわけで、かならずしも「私は実存主義ではない」発言を100%受け止める必要もないのかもしれない。 わたしは、どっちかとうと「サルトルはもう古い。これからは、構造主義、ポスト構造主義だ」というムードのなかで哲学的な本を読み始めたので、サルトルはあんまり読まずに、なんとなくの印象で批判していた気がする。 ちょっと、サルトルも読んでみようかな?とか思ってしまった。
ハイデガーが『存在と時間』という書物の中で考察しようとしていた内容を解き明かしている本です。 同じ講談社現代新書から、すでに仲正昌樹の『ハイデガー哲学入門─『存在と時間』を読む』が刊行されていますが、仲正の本が『存在と時間』の既刊部分で論じられている実存思想に焦点を絞って、比較的わかりやすいことば...続きを読むでその内容を解説しているのに対し、本書ではハイデガーその人の思索の道行にしたがいつつ、彼がめざしたものが何であったのかを明らかにしています。 本書では、キシールによって解明された『存在と時間』の成立過程について、非専門家にもわかりやすく説明がおこなわれているとともに、ハイデガーがカトリック神学などのキリスト教の思想から影響を受けていることに注目し、本来性と非本来性の区別や「良心の呼び声」など多くの入門書では正面からとりあげることが回避されてきた問題に、あくまでハイデガー自身の思索の内からその意義をたどることが試みられています。 また最終章では、『存在と時間』が挫折に終わった理由についての考察がおこなわれています。そこでは構想力をめぐってカントが展開した時間論からの影響が指摘されるとともに、現存在の時間性を「地平の統一」として描き出そうとしたことが、地平を定立する主体を想定してしまうという問題を孕んでいたことが指摘されています。 431ページという、新書にしてはかなりのヴォリュームになっており、内容面でも『存在と時間』にくわしく立ち入って議論が展開されています。ハイデガーの思想の根幹にあるものに触れることのできる、かなり本格的な入門書といえるのではないでしょうか。
個別性をもったわれわれの本来性である「良心をもとうと意志すること(≒覚悟)」に関してアリストテレスの議論に触れているところで、「何かに対して心構えをもつこと」と意訳した「ヘクシス(性状)」を「おのれの状況においておのれの問題に対して持ち場についていること」と特徴づけた。 この「持ち場についている」と...続きを読むいう表現がとても印象に残った。
「どう存在しているか」と捉えると意味がわからなかったが、「我々はどう他者の存在を理解しているか」と捉えるとふんわり理解できた。 人々の理解は認知のバグも含んだものだと思っていて、それを前提にした存在論だとすれば正直なところ同意しづらい点はある。 しかしそうしたバグも許容した上で、「どう合理的に生き...続きを読むるか」を考えると、わからなくもない。 ともあれ、この本としては、「存在と時間」ができるまでの背景からその後の講義の内容まで丁寧に解説した良い本であった。 あえて言えば導入が長くて「早く本題に入って欲しい」と感じたのは否定できない。 ハイデガーの思想としては完全に同意できない点はあったものの、非常に興味深く読むことができた。
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