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ウーマン・オブ・ザ・イヤー 2018 を受賞 世界が注目する島根発、新しい地域ケアのあり方! コミュニティナースという新しい働きかた・生きかたが、全国各地で始まっています。 見守りや巡回など、さまざまな活動を通じて地域の人たちのそばで関係性を深め、安心を届けることで、健康的なまちづくりに貢献するキーパーソンです。 この活動を島根県でたった一人で始めた矢田明子さんと、全国に広がるコミュニティナースたちが取り組む、これからの地域ケアをめぐる奮闘記です。
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Posted by ブクログ
私自身こういうことがしたかったんだな、と腑に落ちた内容。ただ東京をステージにするのってやっぱり色々と難しそうだな〜とも。これから人生かけてやっていけたらいいな。
昨年とやまにも来てくださった矢田明子さんが書いてくださったコミュニティナース読みました! 少し前までは地区担当保健師とかが、 そういう役割をしていたのかもしれないけども、 いまは、役割が分化してなかなかそういうことが出来なくなってきている現状がある 地域の生の声が聞こえづらくなっている。 そこにコミ...続きを読むュニティナースが必要な理由の一つがあるんだろう。 地域で看護師として役に立たなきゃ、ではなく 地域の役に立つ中で看護師の専門性も役に立つかも のスタンスがいい
人の健康に貢献する機関というかエリアが、従来の医療機関中心のあり方から、地域社会に広がっている。 そして、人の健康に貢献する主体も、医療従事者から自分自身および地域の助け合いに広がっている。 そういう変化は、少子高齢化によってそうならざるを得ないからそう変化しているという背景は多分にあると思うけど、...続きを読むそんな後ろ向きな捉え方ではなくて、前向きに捉えて楽しく地域のつながりを再構築する取り組みに、大いに刺激をもらいました。 医療とか健康とかの難しいことに限らず「自分にできること、したいことに、楽しく取り組む」を持ち寄って、お互いを支え合う。そういう社会をつくる輪に、自分も加わりたいなと思いました。
個人事業主か副業オッケーの会社が増えて、稼ぎを持つ人々がこの考え方を身につけている動き出せば、地域は劇的に良くなるはず。 というか、会社員や主婦が一週間のうち半日でもこの動きをできれば、社会は劇的に変わるはず。
看護師養成に関する研究をする中で、多様な看護師の働き方を知るために本書を読んだ。看護師の働き方というよりも、コミュニティデザインや地域・組織の活性化に関する実践の本である。今後の日本社会において必要な概念であると思うので、今後も注目していきたい。
日本におけるコミュニティナースのはしりになった矢田明子さんが、コミュニティナースという営みに辿り着くまでと、日本各地での実践事例が載っている。 印象的だったことの一つは、「保健師と何が違うの?」という質問に対して、現在の違いも述べつつ、昔は保健師がコミュニティナース的に幅広く地域に関わっていたが、介...続きを読む護保険の変化などがあり縦割り的になっていって、カバーできる範囲が狭まったという話があったこと。介護保険の導入は、措置から契約という、介護の大きな流れ、受益者から利用者という変化がありそれによって制度がわかりやすくなった、と捉えていたが、制度がカチッとせずに自治体の予算内で柔軟にやっていたからこそそういった保健師や民生委員的な地域カバーがしやすかった、という側面もあったのかな、ということを思った。共同体の明文化されていない共助から、個人が制度とサービスを利用するという形に変わったことは、「わかりやすさ」は明らかに高まったのだろうなと思うし、評価されるべきことだが、それによって生まれた制度の狭間もまたあるのだろう。どんなことでもそうである。 コミュニティナースとはどういったもので、どのような形で実践すると良い成果が出るのか、ということを、良くも悪くも抽象化しておらず、そもそもコミュニティナースのあり方として「自分自身のやりたいこと、想い」を大切にするというコンセプトがある。成功パターンを抽出して再現可能な形にするというのは本書ではなされていないわけだが、現在そういうフェーズにあるものとして、コミュニティナーシングに取り組んでいくオープンマインド、アントレプレナーシップ的なものが必要、ということが、関心のある人には伝わるのではないかと思う。
人の関係性や文化のアプローチに迫っていく過程が非常に興味深かった。 > 健康や病気予防をうたうのではなくて、文化をつくるというアプローチで近づいていくこともできるんだ。そのほうが、いろんな人とつながっていきやすい
ご本人の講演(?)を聞かせてもらい、お話も面白かったのですが、本も面白かったのでレビューという形でご紹介。 本に対して、面白かったと言うと語弊があるかもしれません。 医療・高齢化・ソーシャル・地域コミュニティというキーワードに該当する、自分の中のモヤモヤを刺激する課題がたくさん含まれていて、自分の...続きを読む思考が揺さぶられる一冊です。 「あー!それな!」って思うところも、 「うーん、それなぁ…。」って思うところも。 一日で一気読みできてしまう本なので、ぜひ医療・看護・介護、特に地方創生なんかをやっている人には、コンセプトの一つとして取り入れてもらいたいのがコミュニティナースの概念です。 普段から当該領域にアンテナが張られている人は、思考が揺さぶられますし、当該領域にアンテナが生えていなかった人にはアンテナが生える一冊です。 --以下からネタバレ含む、引用と揺さぶられた私の思考。(長いよ!)-- ■「医療はめざましく進歩し、昔に比べればあらゆる病気の治療の選択肢は増えました。なかには治療法が確立され、劇的に状況が変わった病気だって少なくありません。医師や研究者、医療従事者たちの血のにじむような努力の恩恵を、患者になった私たちは受けているのです。ここで「あれ、患者?」と思いませんか。 医療従事者は患者に対して必要としているケアを提供しています。 「じゃあ、”患者じゃない人”は…?」 →そっか。私はすぐ病院行っちゃう系だから気が付かなかったけど、病院に行ってなくて診断ついてなくても病気で医療ケアが必要な人っているよな。見落としてたわ。 さらに言うと、まだ病気になってない人にも医療リテラシーって必要だよな。うむ。予防だよね。 確かに病院にいるだけは、その層にリーチできないわな。 ■認知症になったおばあちゃんがいる日常 「多少の苦労はありながらも、認知症について専門的に学ぶわけではなく、こうして祖母に「人と人」として接し、18年間、母を中心に家族が向き合いました。 祖母はしだいに昼夜が逆転して、夜中にオリジナルソングを歌い続けるようなこともありましたが、私は「おばあちゃん、おもろいなぁ」と見守っていました。 お年寄りと接するとき、人はつい「何かしてあげよう」と思いやすいのですが、その「何かしてあげよう」という気持ちは、「相手が弱いものだ」と決めつけることなのだとハッキリ意識したのはこのころです。対等ではない向き合い方への違和感について先述しましたが、この時も似たことを感じました。」 →サラリと書いているけど、認知症や要介護の人と暮らすのは大変だよ。。。 メインで介護していたお母さまは大変だったんじゃないだろうか…。 要介護の曾祖母と数年間暮らしたけれど、やはり誰かに負担は偏るし、家庭内に複数の大人がいても、家庭は崩壊リスクがあった。 また、18歳未満が介護のために搾取されるヤングケアラーも問題になっているし、対等に向き合うというコンセプトは理想ではあるけれど、 夜中に歌うことで家族の健康を害したり、窃盗をしたり、俳諧をして行方不明になるリスクがある人を、一般的な家庭のみで向き合い続けるのは、結局犠牲者が出てしまうんじゃないだろうか。 大家族で、認知症でも生存している期間が短かった昔ならまだしも、家庭内で動ける人の手が少なく、認知症の期間が長い現代でも、家庭でケアできる方法があるんだろうか。 うーん。でも施設に入れてしまうと環境変化でパニックになったりするってゆーしなー。本格的に老いる前に徐々に住み替え・ダウンサイジングかねて養老的なところに引っ越していくとか?単身・夫婦ならそれもアリだな。 …年老いてしまった家族を大事に思う気持ちって何だろう?生物学的な血のつながり?過去の恩?その人との思い出?人格? 血のつながりならお嫁さんが義父母をケアすることにはならないし、人格なら認知症で変わってしまうこともあるし、その人との思い出なら、一方的に忘れられちゃったりもするし。 何なんだろうなー。要素に分解はできないんだろうなー。 こんなこと考える私って薄情なのかなー。 ■弟さんがお父さんの和菓子屋さんをついで、お父さんが嬉しそうなのに、自分は何もお父さんにしてあげられてないと思う。 「私は病院から、和菓子屋で働く弟へ電話をかけました。 「お父さん、あんたのことを自慢しとるよ。あんたはいいね」 「当然だ。俺は考えてやってきてる。姉ちゃんは何も考えないでいきてきたんだから。それなのに…好き勝手やってきたくせに…姉ちゃんは孫の顔を父さんに見せている。父さんはそれをすごく喜んでいる…」」 →あー、こういうのあるある。自分の持ち物って見えないんだよね。 ■ヤクルトの託児所もっとアピールされるべき問題 「ハローワークに行ったものの仕事は見つからず、途方にくれながら歩いていた帰り道。道端で、ある求人ポスターを見つけます。(略) 子供3人をなんと月に5000円ほどで預けられたのです。」 →個人的に「保育園落ちた日本死ね」は、ヤクルトに雇用されることをお勧めしたい。 むしろヤクルトさんには呟いた人をスカウトしに行くぐらいの勢いでお願いしたい。 ブランク開くぐらいならヤクルトレディやってたらいいんじゃないだろうか。 あと、手売りでFace to Faceでコンシューマーに接点を持っているって素晴らしいから、何か合わせ技のビジネスができないか考えたい。 ■「私が「目標に対してやりきる人だった」というよりは、みなさんの応援によって「やりきる人のスタートラインに立たせてもらえた」という感じです。 人はつい、できる人のことを「すごい人ですね」と見てしまうけれど、だれもがスーパーマンになれるわけではありません。もちろん努力は大切です。でも、応援してもらえるように姿勢や環境、関係性という仕組みをつくっていくことも大切だ、という根幹的な経験をしたのです。」 →できる人のことをすごい人ですねと、プロセスを見ずに言ってしまうことはあります。 とは言え、スタートラインに立たせても、やり切れる人とやり切れない人はいるし、そもそも周囲が応援したくなるような人であることが最重要だと思うの。 結果だけみて、できる人をすごい人ですねと言ってしまっても、応援したくなる人柄であり、やり切れた人は全てすごい人だから、できる人のことをすごい人ですねと言っても何も問題ないと思う。 最初からパーフェクトじゃなくても、結果が出せる人は、応援される人柄とやり遂げる努力があるからすごい人なんだと思う。 ■「子育て中の女性は子ども中心の生活になりやすく、自分の健康はおざなりになっている人が多いからです。」 →確かに。妊娠中は検査とかいろいろあるだろうけど、出産してしばらくしたらお母さんの健康って後回しにされがちだよね。 働いてたら年1で健康診断あるだろうけど、働いてないと健康診断って受けないのかな? 例えば、子供が複数人いたりして、保育園や幼稚園に入れていなかったら、健康診断受けようと思ったら子供を誰かに預かってもらわないと受けられないのかな?それとも子連れ受診? ■「看護学科の5人の仲間とまちで実践していると、仲間も「やっぱり元気なときから関わるって大事だね!続けていきたい!」と話してくれるようになりました。 一方で「保健師と何が違うの?」「それはやっているとどんな意味があるの?」などと周りから聞かれ、戸惑うことも増えました。」 →これ、私も講演のなかで聞いてしまいました。 というのも、普段病院に行かない人たちに、(医師のいない)病院以外でナースが会っても、できることって「念のために病院に行きましょう」しか、取れるアクションがないんじゃないかと。 そして、日本では在宅の看取りが少ないため、結局人生において病院に行く回数・滞在する期間が長くなるだけなんじゃないだろうかと。 ところが、実際は”除霊”とおっしゃってましたが(笑)悩みの多くは話を聞いてもらうだけで解決するものなのだそう。 そうなんだ。そうなのかと。 確かに子育て中のママとかは、不安を医療知識のある人に聞いてもらって、大丈夫だよって言ってもらえたら、除霊はできそうだな。 逆に、高齢者の場合は、どうするのが正解なんだろうか?ある程度の年齢になれば、検査すれば何かしら引っかかる項目もあるでしょう。病院に行って検査・受診を勧める?除霊してもいいもんだろうか? そして、医療知識のある人に、話を聞いてもらうというサービスに対して、誰がお金を払えばいいのかな。保健師さんのように地方自治体から雇われる公共サービスになるのがいいのか、利用者が課金するべきなのか。 うーん。結論出ないなー。 ■病気や障害や死が日常から隔離されている件 「「私が子どものとき、地域に障害がある方がいて、身近な存在でした。それがいつの間にか施設ができて、私たちの日常生活から見えなくなっていった。効率がいいし、本人やご家族にとって『そのほうがよかった』という部分もあると思う。でも、違和感をずっと持っていたんです」 →うんうん。わかる。 現在の日本では、病気の人は病院で入院してて、障害のある人は施設にいて、死ぬときは病院で、日常から隔離されてるな。と、日々思っていた。病気や死はいつか自分にも訪れるのに、なんか現実感がないのは隔離されているからなのかなーと。 とは言え、家で看取りをするのは大変だし、(家族の呼吸が苦しそうになっても救急車を呼ばない自信はない) 全ての施設をバリアフリーにしたり、世界中の人がありとあらゆる障害の人への対応方法を習得することも不可能だよね、と。 それこそ褥瘡予防に3時間おきに体位変換するのって、各家庭では不可能だし、夜勤がある施設でだからできることだよね。 健常者のみの均質化されたコミュニティ形成、それ以外の人の隔離には違和感を感じるけど、そうは言ってもなーーーーーー。落としどころ難しい。 →ふと、疑問に思った。 地方はUIターンを求めているけど、それって高齢者や障碍者とかの、税収増につながらない人でも来て欲しいのかな?人口だけでも増えれば、補助金とか出るからありがたいのかな? 伊豆下田の姥捨て山問題を思い出した。 ■「もう、鈴虫、うるさいわ!!!!」 →矢田さんかわいい。 ■「多くの人に関わってもらうなかで、私がどの人にも共通して考えていることがあります。それは「その人のなかにある『やりたい』をベースにすること」です。人は、やりたくないものを長く楽しんで続けることはできません。「やらなければ」と頭で考えることばかりが先行して、苦しくなってしまうのです。「やりたい」ことであれば、その人の関心が途切れません。」 →半分同意で半分非同意。 それは仕事に対するその人の心の使い方だと思う。 ワークとライフが切り分けられない人は、やりたいことを仕事にしないと辛くなるけど、「ワークライフバランス」みたいに労働と人生を時間単位で区切れる人は、時間で「やらなければ」にフォーカスできるんじゃないかと。 現在のコミュニティナースに関しては、個人の熱意がベースとしてある活動だからやりたいことをしないと破綻するとは思うものの、もっと仕組みとして普及させるためには、後者のタイプでも回っていくようなモデルがいるんじゃないかなー。 ■「自宅で最期を迎えたいと希望したのにもかかわらず、その願いが叶わない人、通称・看取り難民の予防と終末期医療費削減のために、訪問看護ステーションの運営を行ったり、若手・新卒の訪問看護師の育成などを全国に先駆けて実施」 →!! お医者さんいなくても看護師さんだけで看取りってできるの?! ■看護師資格を持っているけど、医療従事してない人もったいない問題 「看護師の離職の多さを実感してある調査をしたところ、多様な働き方をしたい看護師が多数いると分かったそうです。」 「潜在看護師とは、就業していない看護職員のこと。なんと全国でおよそ71マン人と言われています。看護職資格保持者のうち、実に3割強になるのです。」 →えーーーーー!もったいなーーーーーー! 医療・介護のみに移民受け入れとか検討する前に、休眠ナース掘り起こそうよーーーーー! 元の病院勤務に何かしら闇があって、資格保持しながらも医療従事していないんだったとしたら、コミュニティナースになるなり、違う形の勤務にするなり、若手の育成でもいいし、なんかもったいなーーーーーー! 看護職員であることで、普通の会社員よりも多くの利益が得られるようなビジネススキームを考えなくては…! なんで休眠に至ったんだろう?病院の闇?過重労働?一旦現場を離れると、最前線戻りにくいのかな? 知らない世界すぎてよくわからんが、とりあえずもったいないのと、離職率の高さに闇を感じる。 ■コメちゃんとフクちゃんは、私にこう話しました。 「奥大和で活動していて常々感じていたのは、昔は近所の人と支えあうのが当たり前で、清掃活動をしたり、お年寄りが困ってはったら誰かが助けたりしたりしていたのが、高齢化でだんだんできへんようになっていること。田舎のよさがなくなっているんちゃうの戸。それを僕らが何か考えなあかんなと、ずっとお持っとって」 →これ、年金制度と同じく、高齢者とお金を払える若年層の人口ピラミッドが崩れたことによる弊害だよね。 田舎のよさが、人と人が支えあう事だとするとしたら、今はモデルが崩壊していて、数少ない若手に多くのお年寄りの困りごとが集中して疲弊している。少なくとも私の地元はそうなっているなと話を聞いて思った。 清掃活動は地元の行事や消防活動なんかが、動ける人に重くかかりすぎてる。これでは若年層が嫌になって都心部へ流出するのを加速しちゃうよね。 高齢者の困りごとの一次請けとしてコミュニティナースは機能するけど、結局ドブ掃除や屋根の雪下ろしまでコミュニティナースがやりますか?ってなると違うよね。部分最適ではある。でも地方の少子高齢化による自治継続のモデルに関する全体最適は継続検討。 (こんな時、姥捨て山をテーマにした「でんでら国」を思い出してしまう私は、政治家になったら間違いないく炎上するから、出馬はしないことにしている。(笑)) ■ある人がエバちゃんに、コミュニティナースのことを「医療知識を持った民生委員さんだね」と話したそうです。 →そうだなーと思う。メディカル×ソーシャルな感じよね。 民生委員はボランティアで行われている(交通費などは実費)けど、コミュニティナースは普通に病院で勤務していたら一定のお給料をもらえる人材だし、ボランティアじゃなくて、それで生計を立てられるようになる仕組みが作れるといいんだけどなー。地方自治体からお金出す以外のなんか良いソリューションはないもんかなー。 ■お父さんに癌が見つかって、実は娘の花嫁姿を見ることを夢にしていたことを知り、病院で結婚式を挙げたはなし 「その日、父が『生きててよかった』って言ったんですよ。その場にいる誰よりも死に近い所にいる人なんだけれども、誰よりも生命感にあふれていて、『あぁ、夢を叶えた人ってこんなにいい顔するんだ…』と気づかされたんです。病院の看護師をして、末期がんの患者さんとも関わってきましたが、こんなに患者んさんの背景や心の奥に寄り添った体験は初めてで、それまでのことを反省もしました。」 「看護師である自分が病院ウェディングを経験し、病院のスタッフさんに業務以外のお願いをする大変さは痛感していまいた。だから、第3の機関が患者さんの希望を実現するお手伝いができたら、病院のスタッフにとっても負担を軽減できてメリットがあると思うんです。患者さんが希望にあふれて病気が治ればそれが一番いいんですけど、最期まで自分らしく生きるお手伝いがしたいと思っています。」 →これ、事業としてすごく良いと思う。コミュニティナースというネーミングではあるけれど、地域にも病院にも所属しなくても独立してサービスとして提供してほしい。 むしろ私、最期じゃないけど、医療バックグラウンドのある人に、お金を払って色々お願いしたいことある。例えば高熱時の病院付き添いとか。パニック障害のリハビリのお付き合いとか。 他にも一時退院の付き添いとか。旅行の同伴とか。結婚式や葬式などの外出の付き添いとか。遺言書作成の補助とか。 フォトグラファーと組んだのも良いと思う。私も最期わかってたら超べっぴんさんの遺影頼むわ!(笑) ■日本の保健師は、自治体への報告書や資料作りに追われていて、地域の住民のそばに「行きたくても行けない」状況であることがほとんどです。 実は、現在70代くらいの保健師が現役で活動していた時代、保健師はまさにコミュニティナースのような活動をしていました。保健婦駐在制度というものがあって、小地域単位で保健師が市区を担当し、子供から高齢者まで広く関わっていた時代があったのです。なんて理想的! しかし超高齢化社会の到来で、膨らむ財政負担と効率化を見据えて、制度は縦割りになって整備され、保健師の数が減っていった自治体もあります。 →じゃあ根本解決は日本の保健師の仕事の改善じゃない?と思ってしまうのは、全体最適ばっかり考えてしまうコンサルならではの職業病かな… 高齢化と財政難で保健師のコミュニティナース的動きが廃止されたのなら、コミュニティナースを行政のお金で作るのは元に戻る行為か。うむ。 となるとやはり自治体からお金出しちゃダメなのかもな。「保健師縦割りにしたのが失策でした!超高齢化社会においては、コミュニティナース的保健師がいた方が医療費圧迫しなくなるので復活させます!」みたいな方法でもいいのか? ■看護師の業務は、保健師助産師看護師法(保助看法)第5条によ「療養上の世話」と「診療の補助」に大別されています。(略)「コミュニティナースは医療行為はできませんよ!」と周囲の理解を事前に得ることが大切です。 →これって、制度が変わってコミュニティナースが医療行為を行えるようになった方がいいのかな? 「一般市販薬とか、どれが効くかねぇ?」って相談にものれず、「調剤薬局に行って薬剤師さんに聞いてね」になるのもなんだかなぁ。 高血糖昏睡起こしてる人にインシュリン注射もしちゃダメかー。あ、血糖測定自体NGか。 脱水や熱中症起こしてる人に生理食塩水の点滴もダメでしょー。 アナフィラキシーショック起こしてる人にエピペンも使えないかー。 医師の指導下にいないと、看護師さんって付加価値が出しにくいなぁ…。 ”健康意識の高いおせっかいな気のいいねぇちゃん”に、どう経済的付加価値をつけていくか。。。うーん。 ■年齢関係なく、孤独にならないように”茶の間”コンセプトの飲食店を開いた話 「実はそれまでの勤務先では業務に追われ、患者さんの個人的な話をじっくり聞くことまではとても手が回らないという看護師が多かったんです。みんな看護師になってだんだん疲れてくるのかな、と思っていました。」 →だよねー。きっと看護師さんを志すような人は、個人としてはいろいろ聞いてあげたいと思ってくれてるんだろうけど、病院のナースは忙しそうで申し訳なくて話しかけにくいもんなー。 (それでも世間話を延々と続ける高齢者の方とかよく見かけるけどね。) 話しを聞いてあげるって、人の時間を拘束する行為だから、(弁護士なら30分5000円とか)実はただで提供するのって難しいよね。飲食店なら飲食費・サービス料として含めなきゃいけないし、小売りなら接客の人件費は商品に転嫁されているし。キャバクラとかホストってまさに話を聞いてあげる料金だと思う。孤独を感じて困っている人は茶の間で適正価格を払ってまで医療従事者に話を聞いてもらうだろうか。やっぱボランティア?もしくは孤独の解決が重要ならば、孤独な人同士のマッチングでお互い喋ってればいいのか。そうなるとコミュニティナースの役割はファシリテーターか。ん?医療知識いらないのか? ■最終目標はホームホスピスをつくろうとしている話 ホスピスとは、がんの末期患者などに心身の苦痛を緩和させる治療や命を閉じていくときのケアを行う施設で、病院よりも小規模で普通の家に近いのがホームホスピスです。(略)あるホームホスピスのオーナーさんから『ホームホスピスであれば、ご飯をつくる音やテレビの音、会話など、普通の家にある要素がたくさんあって、いい意味で気が散るので、死と向き合う恐怖の時間が病院に比べて短いと思う』と聞きました。 →ホームホスピスっていいね!人間ヒマやとロクなこと考えへんからな!私なら気紛らわしながら死にたい。 ■「中学3年生のときから長浜市へ引っ越しました。つまり、ヨソモノとして暮らしてきて、地域との関わりはあまりなかったんです。オン・オフとして、看護師の自分とプライベートの自分をきっちり分けて暮らしていました。『看護師であるところに頼られたくない。知られたくない』とまで思っていたんですよ。」 →その気持ちめっちゃわかるーーーーーーーーーー! プロの仕事を無償で提供しろと言ってくる人には辟易している! 本人が望んでいて自発的に行動している(ボランティア)ならまだしも、周囲が求めるのは違うと思う! オン・オフ切り替えることと、公私混同することのどちらが良い悪いとは一概には言えないし、言わないけど、コミュニティナースの活動って公私混同が大前提になっているところがあって、スケールしていくにはそこが今後ネックになりそうな気がするなぁ。 ■子育て中の親が集まれて、看護師に相談もできるサロンを会社(株式会社マザープラネット)の中に事業部として作った話。 参加費は無料で、親子でふらっと遊びに来たついでに看護師に相談できるスタイルの場。 開催は毎週月曜日の10時から13時まで。(略)お昼ご飯の持参は可能にしました。 →そうか。子育て中のママは週に1回でも大人と話せると気が抜けるんだな。自分がその状況になったことがなかったから切実な思いは分からんかったが、きっとそうなんだろうな。 平日のAMだけだと育休ぐらいの小さい子のママがメインなんだろうな。 この場は会社にどういう効果をもたらすことができるだろうか。例えば参加者が職場復帰したときの保育園・病児保育の事前マーケの場とか?なんか想像つかない化学反応起きてそう。子育て世帯の流入が増えるとか。 ■「あるとき、高齢者医療を専門とする医師から『超高齢化社会に向かっている日本で、介護される側・する側が共倒れにならない社会を作るには、互助しかない』との胸の奥から発せられる叫びのような言葉を聞き、大きな衝撃を受けました。」 →これーーーーーーーーー!私の考えの核心!!!!!! 最近言い出している「独女互助会」「独女村」のコンセプトのコア! この医師は誰なんだ!?教えてくれ!弟子入りしたい!! ■ミヤモトくんも、郷原さんたちの存在に助けられていると言います。 「今、住民のみなさんとウェイトトレーニングをする体操をやっていて、僕が最近担当に任命されたんです。参加者の3ヵ月ごとの筋肉量のデータを取って、健康づくりをお手伝いしています。郷原さんのすごいところは、以前は童謡の歌に合わせて体操をしていたんですが『ユーザーのニーズに合わせた企画をしないと!こんなんじゃ男の人は来ないよ』とアドバイスをくださったこと。歌を昭和の歌謡曲に変えたら、参加者の半分以上が男性になって(笑)」 →昭和歌謡wwwつえーーーーーwww コミュニティおじさんグッジョブすぎるwww ■「自己犠牲が前提にあると、長く続きません。自分という存在を活動の軸に置かずに、誰かのためだけにプロジェクトを起こそうとすると、消耗していくんです。だから自分のなかにもともとあったり、やりとりのなかで生まれる『やりたい』といった前向きな気持ちに目を向けるのも大切だと思います。そのうえで、ケアする人とされる人ではない、1対1の関係を築いていきます」 第5章でも紹介していますが、自分を軸に置くためには、個人の「情熱・関心」と「地域に求められる期待や役割」が重なる部分を探ります。 →個人の「情熱・関心」を探る作業が実は結構大変なんではないかと思う。矢田さんみたいなお父様を亡くされるような原体験だったりとか、社会・仕事における自らの使命・志を普段から考えている人なんて、一握りいるかいないか。世の中の大部分はもっと「ただ生きてる」ひとだよ。今のボランティア前提のコミュニティナースはやりがいで成り立っているけど、スケールしてくためには、ボリュームゾーンである「ただ生きている」ひとの「情熱・関心」を掘り起こす作業をするか(そんなことできるのか?)、情熱がなくても成立するような仕組みが必要になってくるハズ。 ■「人は与えられるより、与えることのほうが喜びを感じられる生きものだと思っているので、仮にコミュニティナースがやりすぎてしうまうと、地域の人が幸せになる機会を奪ってしまう可能性があるとも言えます。」 →トモヒー良いこと言うなー。確かにそうだよ。大部分の人がそうだと思うし、だから世の中におせっかい属性の人が存在するんだよね。しかしトモヒーはいい人に恵まれすぎたな。自己利益が優先される人も実在するのに。会ったことないのかな。 ■サン・セバスチャンの男性限定コミュニティであり秘密結社の「美食倶楽部」です。 サン・セバスチャンは港町で、基本的に男性が海へ漁に出て、女性が家庭を守っていたため、家庭での女性の力が強いエリア。そんな背景から男性が居場所を求めたのか、19世紀の終わりごろから、男性が集う「美食倶楽部」が町内ごとに複数できていました。男性限定であるうえに、なんとメンバー2~3人の推薦がないと入ることができない会員制で、メンバーたちが認めれば参加が許されると言います。 →おお、ヨーロッパらしい制度だなぁ。どちらかというと、こういうローカルコミュって女性が形成するイメージ(井戸端会議が定例メンバーであるように)。 そして病気になる前から友人としてコミュニティが形成されているから、ゆるやかに老いていっても大丈夫だな。 いやしかし、これは人柄が良いことが大前提すぎるなぁ(苦笑)職場以外でコミュニティ形成が苦手な日本人男性に適用するには少々ハードルが…。
コミュニティナースとは、 「コミュティナーシング」がもととなっている言葉です。 「地域看護」と訳されることもあり、 国やエリアにより活動を象徴する 実践内容はさまざまのようです。 本書での活動定義を抜粋すると、 ・制度にとらわれず医療の専門性を活かす。 ・町に出て自由で多様なケアを実践。 ・元気...続きを読むなうちから住民と知り合い、健康と安心を一緒に作る。 内容的には、 よく聞かれる保健師との違い。 ~医療領域以外の人たち共に幅広い活動ができる、などのメリット。 既に地域にある生活動線の中に入ること。 ~きっかけとして対象者の動線にのっかり、日常的な接点をとり、そして関係性を築く。 など、「試し」と「実践」を積み上げていく様子がわかります。 なかでも興味深かったのが、 立場や役割がない人たちに 活躍できる場を作り 物事が進む流れにする。 自分がいないと回っていかない場を減らすことで、続けるための人的エネルギーの省エネ化を図る。 与える側と与えられる側のバランスを探っている現在進行形の部分が深く響きました。 必要だが足りていない所に効き、 理解が得られない所は行動で示し、 理念ベースだけではなく 持続性や採算性といった合理も取り入れる。 地域に自分を開き、伝える、巻き込む、互助、 じわっと効いてくる、まちを元気にする力を確かに感じられました。
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