大江健三郎のレビュー一覧

  • われらの狂気を生き延びる道を教えよ
    単純に好みや自分へのフィット感の問題なのかもしれないけれど、個人的に「生きるために書かねばならぬ」という逼迫性が感じられる作家は少なくて、ある時期までの村上春樹もそうだったと思うのだけれど、もうここ10年以上彼は自分ではなく他者のために小説を書いていて、そういうのを成長と呼ぶのかもしれず、ある程度ま...続きを読む
  • 万延元年のフットボール
    レビューすることを放棄したくはないけれど、
    この作品を的確に言い表すのは難しい。

    中盤まで文章は深く淀み、息苦しい。
    得体の知れない嫌悪、不安がまとわりつく。
    後半は物語が展開して文章的には読み進めやすくなるが
    不安はますます確信めいて目を離すことも出来ない。

    寝取られとか読んでるだけでも辛いよ...続きを読む
  • 憂い顔の童子
    大江健三郎の初期は別に好きじゃないんだけど中期以降を読んで行くのが最近の唯一楽しいことといってもよくて、彼の何が好きかという理由の一つに、あの連綿としたいつ終わるともつかないかんじというのがあるのだけど、展開や終わりを殆ど気にしないで、その1ページ1ページが面白く読める。だからきっと何度でも読める。...続きを読む
  • 河馬に噛まれる
    似て非なる「虚構」と「想像的なもの」

    ***

    文春文庫版の、渡辺広士氏の解説を読んでいて、どうも分かるような分からないような気がしたのは、おそらく『個人的な体験』以降の大江健三郎の作品に引き続いている、私小説のような体裁(例えば大江健三郎に起こった出来事とかなり近い体験をしているらしい「作家O」...続きを読む
  • 同時代ゲーム
    これを生の日本語で読めることはとてつもない贅沢だ。「押し込め」→「お醜女」と解読して行く言葉の閃きのセンスなんかは必ずしも日本語にのみに適用される訳ではないけれど、大江健三郎の言葉の選択を直に見ることが出来る愉悦。よく言われる冒頭の読みにくさにもそれこそアハハと大笑いさせられた。彼の言葉の逸脱ぶりは...続きを読む
  • 万延元年のフットボール
    彼自身の状況を象徴するような「どん詰まり」の谷間の中で、最後に思いもかけない地下室を発見するところがなんとも言えず爽快。この頃から円環の要素が出てくるのか?万延元年の出来事に似たことが再び繰り返されるならば、出来事というものが反復されるならば、万延元年の事件の思いもかけない「抜け道」であった「地下室...続きを読む
  • 性的人間
    短編集「性的人間」「セブンティーン」「共同生活」。「セブンティーン」は日本社会党委員長・浅沼稲次郎刺殺事件を題材にしていて、主人公の青年が右翼に目覚めていく様子が、迫力の筆力で描かれいます。
  • 芽むしり仔撃ち
    大江健三郎の初期の傑作。共同体からはじき出されたものたちのアジールの出現とその崩壊という本書の主題に対して、観念的すぎるとの批判は当然あるだろうが、荒々しいほどに研ぎ澄まされた文体と濃密な暗いエネルギーに圧倒される。現在の穏やかな文体とはなんと違うことか。自分自身をつくりかえてきた作家の原点に触れる...続きを読む
  • ヒロシマ・ノート
    記憶に残るいい作品。うまれる前に書かれたものだが、いまなお、考えさせられる問題を取り扱っている。著者の憤りと、広島人の沈黙と、広島人の真の感情を無視した一般人の感覚などが、うまく浮きぼりになっていて感動的ですらある。ヒロシマを訪れた時、なにか、悲劇の場所とは思えない、むしろ沈黙と、諦めのようなものを...続きを読む
  • ヒロシマ・ノート
    一時期,文学よりも評論で名前を博した大江健三郎。
    その代表作がヒロシマノート。

    あまりに印象が強く,大江健三郎の文学には、ノーベル文学賞をもらうだけの作品があるのだろうが影が薄れてしまっているかも。

    広島で開催する原爆反対の運動の分裂。
    政治的背景よりも、当事者を叙述することによって何かを伝えよ...続きを読む
  • 沖縄ノート
    ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の評論での代表作の一つ。
    沖縄ノートとひろしまノートは、それぞれノートという題をもらっているが、内容の方向性は違うかもしれない。

    時代を代表する作品であることと、大江健三郎の個人としての記録であることに違いはない。

    始まりは広島ノートと同じ様に個人が遭遇した事象...続きを読む
  • 新しい文学のために
    非常に難しい内容が多い本でした。

    しかしながら僕が「期待した地平」以上のものが確かにあった気がします。

    改めて、大江健三郎さんは頭が良いのだな、と思いました。

    また、「小説」を読むことの重要性を改めて感じました。
  • 同時代ゲーム
    狭く深く掘り下げるほどに、世界が広く濃く大きくなっていく。語り手、村=国家=小宇宙の世代を超えた歴史、語り手の家族たちの数奇な人生。さまざまな時間が「同時代」のことのように語られ、その中でも否応なく「時間」のにおいを感じざるを得ない。そして、最後の最後で本当に同時代のこととして解体された。閉じ方の完...続きを読む
  • 性的人間
    「セヴンティーン」が読みたくて。
    人間の生と性。しれっと、社会と関わっていながらも、人間は孤独で変態。
  • 宙返り(上)
    長かった。長い道のりだった。しかし、大江健三郎はこのくらいの、ある程度の長さがなければ醸し出されないものがある気がする。だから、この長さは半ば必然的な長さだったのだと思う。途中、面白くて面白くて、一回休憩入れないと駄目だ、勿体無いわ、と思って、休憩入れてまた読んで、というのを繰り返しながら。大江作品...続きを読む
  • 取り替え子
    「おかしな二人組」三部作のスタートとなる作品。義兄である伊丹十三の死を経て書かれた作品ということで、吾良が大きな役割を持って描かれている。とも言えるし、いやいや、吾良は彼の他の作品でだって大きな役割をいつだって担っていたじゃないか、とも思うし。終盤がとても美しかった。モーリス・センダックの絵本を一つ...続きを読む
  • 新しい人よ眼ざめよ
    ウィリアム・ブレイクの詩を肴にして、紡がれる連作短編集。とてもとても良かった。これまで大江健三郎は長編でこそ醸しだされる某かがあるだなんて思っていたけれど、そればかりではないんだ、と。はっと気付かされた。どの短編がいい、というよりも、どの短編もいい、という感じで、本当にいい。イーヨーは大江作品にとっ...続きを読む
  • 憂い顔の童子
    「おかしな二人組」三部作の真ん中にあたる作品。ドン・キホーテをモチーフに作品は進んでいく。そして、毎度のことながら面白い。やはりアカリのキャラクターが彼の作品の中ではとても大事な、光になっている。彼の何気ない一言で、作中にパッと灯りがともる。(10/6/7)
  • 新しい文学のために
    P.213
    子供じみたいい方と受けとめられるかもしれないが、希望か絶望か、と問われる際には、僕はとりあえず希望の側に立ち、人間の威厳を信じる側に立つ。

    P.216
    想像力とは弦にあたえられているイメージ、固定しているイメージを根本から作りかえる能力である。
  • あいまいな日本の私
    大江健三郎の文学以外の作品は、出たときには読むことがありますが、後から読み返すことはありませんでした。

    記事で、
    「標題の「あいまいな日本の私」が、ノーベル文学書受賞の際の記念講演の標題だということ。」
    「ノーベル文学賞を受賞した川端康成の「美しい日本の私」を引いていること。」
    を知って、読み返す...続きを読む