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広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。
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Posted by ブクログ
戦後78年の2023年に読破。 これを読むまでは、抑止力のための核保有の考え方に賛同派でした。 しかし、これを読んで改めて感じたことは、抑止力といいながら、明らかに使用することが前提の核保有説であるということでした。 戦争を知らない世代の私は、はっきり言って原子力爆弾の惨さ、人間がもたらした醜悪さ、...続きを読む悲惨さの極みといったものを知らない、全く無知な人間でした。 ナチスのホロコーストは、歴史に語り継がれ、人々が忘れないように何度も映画化やメディアでとりあげられるのに、なぜ、広島長崎の原爆を克明に記した書籍や映画はメディアで取り上げられず(ときには残酷だといわれR指定もされるけれど、それこそ馬鹿げた話だ)、学校でもその意味を考えさせるよう、如実に教えないのか。 アメリカの圧力を感じずにはいられません。 私たちは、原爆を落とされてもアメリカを憎むことなく、ましてや敗戦して良かったのだ、原爆は落とされなければ、日本はもっと悲惨な道に突き進んでいたのだ、などと、どうしてそんな考えでいられたのか。戦争に負けても、アメリカを憎まない日本人の国民性に誇りまで感じていた、私はまったく無知で恥知らずな人間でした。
この本自体は60年代半ば、戦後20年が過ぎようかという頃に書かれたもの。戦争の記憶も今より遥かに鮮明で、冷戦や日米安保、学生運動の只中を生きた人々のエネルギッシュさにまずは驚かされた。 その一方で、戦後20年にして既に戦争の記憶の継承が問題となっていたこと。特に広島で被曝した人々は、最初の数年を幸...続きを読む運に生き延びたとしても、いつ原爆症を発症するかは分からずにいた。それでも、ある日唐突に自分の命の終わりを告げられる恐怖におびえながら「悲惨な死にいたる闘い」を続けた人々の途切れない営みによって、現在の我々は、あの時に広島で何が起こったかを知ることができる。 戦後77年を迎え、戦争を知る世代からの直接の継承が、本当の意味で限界を迎える日はそう遠くないだろう。 だからこそ、戦争の悲惨、核の惨禍を繰り返さないことばかりを願いながら死んでいった先人たちの存在について、これまでのどの時代よりも真摯に知ろうとする必要があるのだと思う。 そして、灰谷健次郎の『太陽の子』にも共通するが、この本を読んで強く感じたのは「心の傷」こそが最も寄り添われづらく、寄り添うことに努力を要するということだった。 戦争体験だけに限りらないが、身体に残る傷は目に見えて、(こういう言い方はしたくないが)周りの人がそれに気づき、寄り添うことにそれほどの困難はない。 しかしこの本や『太陽の子』にあるように、健康体で、見た目にはまったく他の人と変わりない人間が、ある日突然に自ら命を絶つことがある。拭い去れぬ戦争の記憶、いつ自身の身体に原爆症の症状が現れてもおかしくない不安。これらの恐怖は一人の人間の生きる希望を奪うのに十分で、それでいて他人の目には映らない。もしそれを知っても、権力そして世の多くの人は寄り添おうとせず、反対に心無い批判の声を浴びせる。 今で言えば自己責任論、その人の心が弱いだけ、同じ状況から立ち直った人を知っている、などなど。正直に言って、そういった意見の全てを否定することはできない。自分にはない経験による、目に見えない心の傷である以上、自然にその痛みに寄り添える人の方がむしろ限られた才能の持ち主だとさえ思う。 しかし、自然には寄り添えない他人の内面に対してなんとか寄り添おうと努力をすること、これはどんな人にでも可能なはずだ。それすらもせずに無関心を決め込み、勝手な誹謗中傷をしてしまえる鈍感な人間にはなりたくない。たとえ結論としてその人の傷に寄り添うことができなくとも、寄り添うための努力は惜しまない人間でいたい、いずれはそうなりたい。 戦争について知ろうと読んだが、それだけでなく学ぶことの多い本だった。
「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」 広島の原爆を、当時の戦争を、少しくらい知っていないと読み進めるのには苦労するかもしれない。 ただ、それでも多くの方に読んで欲しい。そんな本です。 ウクライナとロシアの戦争の真っ最中。 核戦争の危険性が、ほんの2ヶ月前までは薄れていた、嘘でも今より平和な空気...続きを読む感で満たされていた時代から一変した、そんな「核の今」だからこそ。 読んでおくべき一冊。 戦争直後。占領下の時代、原爆の悲惨さを書いた書籍の出版が、米国より発刊禁止になる。 理由は、「反米的思想である」、その一点。 ただただ惨劇を伝えようとした。 事実のみを淡々と。 今のウクライナとロシアの報道を見ていても、色々と感じてしまう。 そこに真実はあるのか? いや欺瞞が紛れてないか? そこに事実はあるのか? いや疑念を入れてないか? 思想や理念を越えたところで、物事を取り込める冷静さや柔軟さは、自己として持っていたい。 そんな今日この頃。ですね。 「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」 この言葉が、読後に一番頭に残った本日です。
記憶に残るいい作品。うまれる前に書かれたものだが、いまなお、考えさせられる問題を取り扱っている。著者の憤りと、広島人の沈黙と、広島人の真の感情を無視した一般人の感覚などが、うまく浮きぼりになっていて感動的ですらある。ヒロシマを訪れた時、なにか、悲劇の場所とは思えない、むしろ沈黙と、諦めのようなものを...続きを読む感じたが、その理由が、多少なりともつかめたかも知れない。現在の広島は沈黙に風化が付加された形で、少しづつ色褪せていっているのかも知れない。
64年 あの夏の日からの、永い永い時間 ヒロシマを生き延び続けている 「日本人」の名に於いて、 否定的シンボルであるあの日の原爆を、私たちは 世界へ発信することが出来ているだろうか あの夏の日から すぐさま活動を開始した医師たちの努力が 原爆そのものの悪の重みに匹敵する為 広島を...続きを読む忘れることも、無知でいることも 私たちには許されないはすだ 最悪の状況に立ち向かい 草の根の活動を続ける人々の存在を 決して見過してはならない この本が書かれてからもう何十年も経つが 内容は全く色褪せることなく、 戦争を知らない世代にあの日の惨劇を伝えている これからも読み繋げられるべき本だと思う
大江健三郎氏の訃報を受け、ずっと積読となっていたこちらを。 終戦後何年も広島の原爆被災者から、その苦悩や悲惨さは語られなかった。ずっと存在していた被爆者に対する差別。誤った原爆症に関する情報。。。 忘れてはならない事、持ち続けなければならない信念がある。 大江氏のご冥福をお祈りします。
1963年から65年にかけて、広島を訪れた著者が、いまもなおのこる原爆の後遺症にさいなまれながらも静かに今を生きている人びとの姿をえがいたノンフィクション作品です。 すこし気になったのは、「偶然にひとつの都市をおとずれた旅行者が、そこで困難な事件にまきこまれ、それをひきうけて解決すべくつとめる、と...続きを読むいうのは、ポピュラーな小説家が、たびたび採用してきた公式だった」という、蓮實重彦の問題提起を思わせるような文が記されていることです。本書には、政治的に対立する陣営の喧騒から距離を置くことで、文学を生業とする著者自身の観点から広島の真実にアプローチをおこなっているのですが、上の問題はそうした著者の態度そのものに反照してくることを避けられません。 おそらくこうした問題を踏まえてのことと思われますが、本書の冒頭に置かれた「プロローグ 広島へ……」という文章のなかで、「広島について沈黙する唯一の権利をもつ人々について書いた」著者の文章に共感を送る被爆者のことばを引きつつ、「僕はそれにはげまされながらも、同時に広島の外部の人間である自分の文章全体に、もっとも鋭い批判のムチが加えられたことにも気づかざるを得ない」と述べています。同時に、こうした批判を浴びるような立場にみずからが立っていることを引き受けながら、なおも広島について語ろうとする著者の強い意志をも感じ取ることができます。
後にノーベル文学賞を受賞(1994年)した大江健三郎が、1963~1965年に雑誌「世界」で発表したエッセイをまとめたものである。 大江氏は、その期間に繰り返し広島を訪れ、多くの、20年を経てもある日突如として死の宣告を受ける被爆者たち、そうした被爆者に対して献身的に治療に当たる医師たちと話をし、戦...続きを読む争の悲惨さと人間の威厳を訴えるメッセージとして本作品を著している。 私にとって強く印象に残ったのは、“人間の威厳”として、「広島で生きつづける人びとが、あの人間の悲惨の極みについて沈黙し、それを忘れ去るかわりに、それについて語り、研究し、記録しようとしていること、これはじつに異常な努力による重い行為である。そのために、かれらが克服しなければならぬ、嫌悪感をはじめとするすべての感情の総量すら、広島の外部の人間はそれを十分におしはかることはできない。広島を忘れ、広島について沈黙する唯一の権利をもつ人たちが、逆にあえてそれを語ろうとし、研究しようとし記録しようとしているのである」と語っている部分である。 2015年のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチも、『チェルノブイリの祈り』の中で、被災者が原発事故について話すようになり、自らがそれを消化し、作品にするまでに10年を要したと語っているが、人間はあまりに悲惨な体験をすると、本能的にそれを忘れようとするものだが、それを乗り越えることにより、“人間の尊厳”が維持されるものなのであろう。 原爆の、直接的な被害に留まらない悲惨さと、そこから我々が何を学び取らなければいけないのかを、現在にも伝える作品である。 丸木位里/丸木俊夫妻による画集『ピカドン』から取られた挿絵も衝撃的なものである。 (2005年5月了)
最初の2章くらいが面白くなくて、“これがそんなに話題作か~”って感じで匙を投げかけたけど、そこでぐっとこらえて読み進めると、後半になるにつれてより入れ込める感じになってきた。原爆のことを考える機会も久しぶりに持てた気がするし、そういう意味でも意義深い時間を過ごせました。
この本を理解するのはちょっと難解です。 ですが、私たちがいかに原爆という出来事を 知らなかったか、ということを理解できるでしょう。 どうしてもあのようなものが落ちて来ると 根こそぎ、という印象を抱きますが そうではなく、それでも体に爆弾を抱えつつも 生きていた人がいたこと… そう思うとアメリカの...続きを読む言いなりとなった 日本がふがいなく感じます。 さらに言えばこんな絶望的な出来事に 見舞われたのにまたも私たちは 過ちを犯してしまいましたし。 もう繰り返してはいけません。 絶対に、絶対に!!
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