詩集・俳句 - 銀の鈴社 - ジュニアポエム作品一覧
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「緑色のライオン」 もう十六年も前のこと/八時間の手術を受けた/二女は小学二年生/―おかあさんにお守りあげるよ/そらまめよりもちっぽけな緑色の/プラスチックのライオンをくれた/お菓子のおまけにでもついていたか/そんな貧弱なライオンが/さすがに百獣の王/立派に私を守り切った 数々の薬や注意/後遺症やらただし書きがついて/それでもどうやら/私は生きて戻ってきた/あれからというもの/一年一年が/空から降ってきた授かりもののようで/年を重ねるのが幸せになる 今でも娘たちは/ことあるごとにお守りをくれて/ネパールの組ひもやら/陶器のふくろう/私のハンドバッグの中には/守り神がいっぱいで/守ってくれているのは/いったいどちらのどなたやら だから日々/忘れずに言おう/たった五文字の/かろやかで/しかも重たいことば/ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう/みんな
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 日本のおとぎ話もそうですが、外国の物語にも、開けてはいけない部屋というものがよく出てきます。その「不開の間(あかずのま)」は今でも私たちの住まいの中に、ひっそりと佇んでいるような気がしてなりません。なんて書き出すと、少しばかりミステリーめいてしまいますが、私たちは日々の生活の中で、気持が大きくゆれ動いた時に、誰にも邪魔されずにひとりきりになれる自分だけの場所を、心の中に持っているのではないでしょうか。そんな、目には見えない小さな部屋を、家族と語り合える大きな部屋同様大切にしていきたいものと思います。呆けた祖母に対面した孫娘が、トイレに閉じこもって、泣きながら傷を癒したように、私にとっての「もうひとつの部屋」とは、ひょっとすると詩作することだったのかもしれないなどと考える今日この頃です。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 私にとって詩を書くということは、“今、この瞬間としっかり向き合う”ということです。心がふと立ち止まったり、揺さぶられたりした出来事や出会いを忘れない為に、言葉に紡いでいく作業です。それは感動したことだったり、嬉しいこと、悲しみ、怒りだったりもします。もし自分の心を動かす何かがその中にあったとしたら、それとしっかりと向き合いたいと思うのです。つらい時に詩を書いて、気持ちが楽になったことも何度もありました。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「よなかの しまうまバス」 よなかのまちの バス通り/くるまも ひとも ねむるころ/しまうまバスが はしりだす おうだんほどうが たちあがり/しまうまバスに 大へんしん/しましまもようの ゆめのバス つきあかりのなか かけながら/こどもは ただで のれますよ/声をかけてはくれたけど よなかのまちの バス通り/こどもはみんな ねむってて/のっていたのは かぜばかり
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 この詩集「レモンの車輪」をお読みくださった方は、私の詩の素材のほとんどが、物、あるいは動物になっていることにお気付きになられたと思います。日々の生活の中で、色々な物を見つめているうちに、その物の気持ちになって考えることのおもしろさを知り、そうすることによって、不思議に自分をも見つめられるように感じられるからです。時には、どんなに丁寧に見ていても、その物の気持ちになりきれないことがあります。そういう時のことを後で考えてみますと、それは私の一方的な見方を変えようとしなかったところにあるような気がします。人は、相手の気持ちになって考えることが苦手です。ところが相手の気持ちになるということは、逆に自分を見つめ直してみることなのではないかと思えるのです。―あとがきより抜粋―
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