あらすじ
46歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された夫とそれを見守る妻
絶望の淵にさした光、仲間たちとの出会い、当事者とその家族だから伝えられること。
京都市の下坂厚さんは46歳の夏、アルツハイマー型若年性認知症の診断を受けました。
簡単な計算を間違えたり、家に忘れ物をしてきたり、なんだかおかしいな……ということが少しずつ増え、もの忘れ外来を受診。
「病名を聞いたときは、比喩でなく、本当に目の前が真っ暗に……」。
診断後、働いていた鮮魚店を辞め塞ぎ込んでいた下坂さんを、妻の佳子さんは見守り続けました。そんな絶望の淵に光がさします。
認知症当事者を支援する団体との出会いをきっかけに、下坂さんは介護施設でケアワーカーとして働き始めます。
そして、同じ病気の人の姿を見て勇気づけられたように、自分を見て勇気づけられる当事者や家族はきっといるはずという思いから、現在は認知症について広く知ってもらうための啓蒙活動にも尽力しています。
若年性アルツハイマー型認知症と診断された夫とそれを見守る妻が、当事者とその家族だからこそ伝えられることを綴る1冊です。
第一章 46歳、認知症になる
第二章 絶望から希望へ
第三章 当事者だから、できること
第四章 認知症と向き合うということ
第五章 夫婦のこと、写真のこと、これからのこと
関係者に聞く 「認知症の当事者の方に働く場所を提供するという取り組み」
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
若年性認知症と向き合う夫婦のことが紹介してある。認知症の父のある私には、大変身近に感じられた。行政のしている認知症への啓発に疑問を感じていたがまさに、この夫婦がしている啓発活動に同感する。
Posted by ブクログ
認知症を知ることから始めて、特別扱いするのではないユニバーサル社会が作れればいいなと思った。
本作では次の文章が心に残った。
"「認知症であることが、その人のすべてではない」ということ。認知症になった瞬間、その人自身が変わってしまうことは決してなくて、どんな状況でも、その人はその人である、ということ。認知症の当事者であることが、そのままその人のアイデンティティであるというわけではありません。"
Posted by ブクログ
人生何があるかわからない。
だけど、どんな運命にあろうと、必ずどこかに希望はある。生きる意味は探すことができる。
そう思わせてくれる前向きな一冊でした。
Posted by ブクログ
医師として仕事をしているものの、若年生アルツハイマーの方とは出会ったことがなく、映画くらいでしかしらなかった。
でも、リアルに生きている下坂さんの生活を本を通して知ると、今まで認識していたものとは全然違っていた。
わかってはいたものの認知症になったからといって何もかもができなくなるわけではない。毎回同じ症状がでるわけでもない。
だから、調子がいいときは予定も覚えているし、特に困ることはない。
時々忘れたりすることはあるけれど、それ以外は今までと大きく変わらないのだ。
特に、若くで発症しているということは、それだけできることも多い。
だから「認知症」と診断されたからと言って何もかもセーブするのではなく、できることをしながら生きていく。それの方が刺激が多く、張り合いも出て、2〜8年で寝たきりになると言われているアルツハイマー型認知症の予後よりももっと長く活動できことにつながっているのかもしれない。
最後に書かれていた「認知症」の人にこう接したらいい。というマニュアルよりも人として接して欲しい。というメッセージ。
これはあらゆるものに通ずると思う。
人はついカテゴライズして語ってしまうけれど、目の前の人がまるっきり同じなわけはない。
みんな違うのが当たり前なんだから、一人一人を尊重して、一人間として関わり合うことが大切なんだと改めて思った。