【感想・ネタバレ】World Cupの記憶 ~少年とテレビとサッカーと~のレビュー

あらすじ

ドーハの悲劇の中山の慟哭、ラモスが神様と呟いた瞬間、ジダンの頭突き印象的なあの映像の裏側・・・・・・。
「一緒に歩んだ同志のよう」とカズが語るテレビマンだからこそ語れる映像の歴史!

スポーツの本質を描き、魅力を引き出すことにテレビは大きな力を持っている。
事実、スポーツの発展にテレビ放送が果たしてきた役割は計り知れない。
その現場には常に勝者と敗者が生まれるが、光と影、歓喜と悲劇はいつも隣あわせだ。
そこで起きたことは全てが事実である。
光をあてたものは永遠に映像の記録となり、物語は語り継がれて忘れられない記憶となっていく。
しかしカメラで撮らなかったものは何も起きなかったこととして闇に葬り去られる。
テレビがありのままに表現した、勝者も敗者もない美しいプレーの数々、明日それらを真似しようという少年たちがきっと増えるに違いない。
彼らはスタジアムにも足を運び、憧れの妙技に酔い、友と語り合う。
やがて夢を叶えた少年は、今度は表現者の側に立ち歴史を紡いでいく。
4年に一度、忘れがたいエピソードに溢れた世界は間違いなく素敵だ。
日本もいつか豊かなスポーツの王国になれる日が来るだろうか。(カバー折り返し文より)

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Posted by ブクログ

筆者の福田泰久さんはプロの作家ではなく、日本テレビのプロデューサーを長年務められていた方だ。日本テレビ時代には、スポーツ放送、特にサッカーを中心に担当されており、各地で開催された、予選を含めたサッカーワールドカップの放送も何度も担当されている。本書は、福田さんの日本テレビ時代のワールドカップ放送を中心としたご経験をご本人が書き下ろされたもの。そのような業務に携わられた方だけが知っているようなお話も沢山あり、興味深い。
福田さんは、1981年に日本テレビに入社されている。はじめてワールドカップを現地で観戦したのは、1990年のイタリア大会、放送の仕事ではじめてワールドカップと関わったのは1994年のアメリカ大会の予選、いわゆる「ドーハの悲劇」を生んだアジア予選からであった。
本書には福田さんの経歴が記載されているが、それを見て、福田さんが、私と同じ時期に同じ大学の同じ学部に在籍されていたことを知った。大勢の学生の在籍する大学・学部だったので、福田さんを存じ上げているわけではない。それでも、同じ時期に同じ年齢で同じワールドカップを見て来たのだな、という一種の感慨があった。

私にとっての最初のワールドカップ観戦体験は、もちろん、テレビを通じてであるが、1978年のアルゼンチン大会である。開催国のアルゼンチンが、マリオ・ケンペスの活躍等により、初優勝を果たした大会だ。私は大学2年生だったはずだ。家庭教師先からいただいた不要になった白黒テレビで、地球の反対側でのサッカーイベントを昼夜逆転の生活を送りながら観戦していた。この大会で優勝したアルゼンチン以外に印象に残っているのはイタリアの、ロッシとカウジオという2人の攻撃の選手だった。2人はすごくうまかったし、良いコンピネーションを保持していた。イタリアは、1982年の次のワールドカップスペイン大会でロッシの大活躍等により優勝。1986年はメキシコでの、マラドーナのための大会。1990年は、ロジェ・ミラのカメルーンが強烈な印象を残したイタリア大会。そして、1994年は「ドーハの悲劇」が起こったアジア予選を含む、アメリカで本戦が行われた大会。1998年のフランス大会以降は、全ての大会に日本代表が出場しているので、その内容を覚えておられる方も多いと思う。
2002年の大会と2006年の大会はスタジアムでも観戦する機会を得ることが出来た。それを含めて、1998年以降の各大会にも、それぞれの大会ごとの思い出がある。

福田さんはテレビ人として、放送した試合が、視聴者にインパクトを与えるものになるように心を砕く。それが、プロとしてのやりがいであり誇りだ。昨年の2022年のカタールでのワールドカップでも、テレビは多くの感動的なシーンを伝えてくれた。例えば「三苫の1ミリ」を観て感動しサッカーを始めた少年が、将来、実際に自分もワールドカップのピッチに立つ。そのようなことをイメージしたのが、本書の副題「少年とテレビとサッカーと」には込められている。なかなかロマンチックなイメージだ。

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2023年03月19日

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