あらすじ
ヒトラーは、古代スパルタを「歴史上、最も明らかな人種国家」として称揚した。優生学に基づいた人種主義政策をはじめ、いわゆる「スパルタ教育」に範をとった教育政策、「北方人種」神話、さらに「祖国に殉ずる死」の美化にいたるまで、第三帝国の政策には、さまざまな形でスパルタが影を落としている。「スパルタ」は国家社会主義者にとって一種の合言葉であった。
日本ではほとんど紹介されることのなかった、第三帝国におけるスパルタ受容の諸相を明らかにし、そのような事態を前に、人文主義者と呼ばれる古代ギリシア・ローマの学者たちが、ナチズムとどのように対峙したのかを描き出す、かつてない試み!
「優れた詩人、哲学者、音楽家を輩出した文化大国のドイツが、なぜナチズムのような危険思想の台頭を許したのか?」 第二次世界大戦後にナチス・ドイツの蛮行が明らかになって以来、いまだ答えの出ない問いである。
著者は、ドイツ人が18世紀後期以降、古代ギリシアに抱いた特別な愛着にその答えを求める。日本がユーラシア大陸の高い文化を輸入して自国の文化や国家を形成していったように、ドイツは、古代ギリシア・ローマを熱心に探究することで、独自の文化や国家を形成していった。これらの研究・教育に携わる人々は「人文主義者」と呼ばれた。
失業と貧困に喘ぐヴァイマル共和国の下、古代ギリシアに対するシンパシーのモデルが、アテナイからスパルタに転じた時、人文主義者たちにも大きな転換点が訪れる。彼らは、スパルタを模範に据えたナチズムといかに向き合ったのか。研究に没頭することで傍観した者、人文主義存続のために協調した者、学問の自由を賭けて抵抗した者――三人の人文主義者の生き方を通して、人文主義とナチズム、さらに学問と国家のかかわりを問い直す意欲作!
【本書の内容】
序
第1部 人文主義者とナチズム――傍観、協調、抵抗
第一章 傍観:イェーガー――「政治的な人間の教育」
第二章 協調:ハルダー――人間性の擁護から人種主義へ
第三章 抵抗:フリッツ――「学問・大学の自由」の擁護
補 論 古典語教師の往復書簡に見るナチズムへの傍観
第2部 第三帝国におけるスパルタの受容
第一章 スパルタについて
第二章 ナチズムの世界観・政策とスパルタ
第三章 第三帝国のスパルタ受容に対する国外での賛否
第四章 第三帝国のスパルタ受容に対する国内での批判
第3部 第二次世界大戦後の人文主義者
第一章 イェーガー――人文主義からキリスト教へ
第二章 ハルダー――人種主義からオリエンタリズムへ
第三章 フリッツ――「学問・大学の自由」の擁護から啓蒙主義へ
結 語
注/文献目録/初出一覧
あとがき
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Posted by ブクログ
現状の任命や運営の問題はさておき、日本学術会議は「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を発している。他方、本著で取り上げる人文科学は、ナチスの方針に対し無力であったばかりか、礼賛した経緯すらある。為政者を横目に正義や思想を語るのが人文科学ではなく、証拠主義で一貫せねば、学問としての本義も揺らぐだろう。しかし、歴史認識に垣間見るように、政治に侵されやすい学問であり、民族主義においての人文科学の限界を、そもそも想定しておくべきなのかも知れない。
ヴァイマル共和国の文教政策は、人文主義的な古典語教育・古典研究に深い理解があったとは言いにくかった。これに不満を抱いていた人文主義者の多くは、1933年のナチ政権の成立を歓迎した。ナチスは政権成立後、焚書を行うなど思想や文化の統制に乗り出した。こうした言論統制に先駆けてイェーガーは学問・大学の自由の侵犯を警告してはいた。
また、1942年から43年にかけて白バラと称するグループがミュンヘンを中心にナチ政権を批判し、その抵抗を呼びかける文書を、匿名で任意の人に郵送するなどした。この執筆者を特定するための鑑定は古典文献学者ハルダーが担った。ハルダーは第二次世界大戦後に記した自己弁明の中でナチズムとの共同作業によって事態を理性的な道へ導こうとする期待を抱いていたと述べている。
批判しても屈し、或いは、自らが内部に入り込み軌道修正してやろうとの人文学者も、ナチスには歯が立たない。政治に学問が敗北する。異端審問、宗教裁判を思い出せば、力関係は分からなくもない。今ですら国策捜査が存在する。
ナチズムは元来、伝統的な学問や大学に敵対的であった。ナチ政権による学問や大学に対する統制は、1933年の職業官吏再雇用法によって始まっていた。1934年大学教員を含めたドイツの官吏、国防軍の軍人にヒトラー総統への忠誠宣誓を課した。大学教員が転ぶ。物理学は悪用され、人文科学は鼻をへし折られ、都合の良いイデオローグに成り下がる。
スパルタについて。古代のスパルタはギリシアのペロポネソス半島南部、ラコニア地方に存在。ギリシア神話のヘラクレスの子孫が北方から帰還してスパルタに移住したとされる。成年男性をスパルタ市民として構成し、ホモイオイ=同等の人たち、ペリオイコイ=周辺の人たち、ヘイロータイ=非自由民、奴隷から成り立っていた。
ナチスは、ニュルンベルク人種法によりドイツ人の血と命を守ることを目的とし、ユダヤ人と非ユダヤ人との結婚及び婚外の性交渉を禁止した。それはかつてのスパルタにおける身分間、スパルタ市民と外国人との結婚の禁止と似た側面を持っていた。またT4作戦により身体的、精神的な障害者を殺害した。古代のスパルタでも弱い子供の遺棄が普通に行われていた。
ナチスの政権下、発禁処分となったヴァインシュトックの『ポリス』。同書でスパルタに関して述べた箇所が、本著の要諦だろうか。引用する。
ー今日スパルタに関心を抱く人は以下の二点を明確に認識している必要がある。
第一に絶対的な軍事国家のために全体的な戦時体制化を望むなら、生を豊かにし、美しくするすべて、すべてのより充実した人間のあり方、すなわち文化、人間のより高い尊厳を断念せざるをえない。
第二に、スパルタ的な反動はおそらく文化的な生を圧殺した。しかしだからといって、国家を救わなかった。ドーリア人の国家は自らの教育体制にもかかわらず没落した。なぜなら学問的な運動を締め出す事は、最終的に所有欲と兵士の功名心と言う利己主義的な動機を、スパルタにおいて無制限に増長させたからである。
アテナイを夢見たナチスにおいても、豊かな生は否定され、更には生の多様性を否定した事で、思考の複雑系に対応できず、単に定量化可能な権威主義のスコアゲームに没頭し、組織の規律は保てど、組織の変化への柔軟さは失った。本著は、論文形式でその事を明らかにしたものである。
Posted by ブクログ
ドイツの古典古代研究者のナチズムに対する対応と、ナチズムにおけるスパルタ称賛言説の流れを追う研究。基本的な見取り図としては、19世紀以来、ギリシアとドイツの親縁性という枠組みのもとで、古代ギリシア文化を重視する人文主義がドイツの教育プログラムにおいて支配的になっていた状況において、ゲルマン人とスパルタ人の人種的親縁性という見方が第三帝国において支配的となり、またそれを補強するような研究が奨励され、さらにはスパルタ人の生活・行動様式を第三帝国において再現しようとする流れが生じていった、というものである。こうした流れに対して、「第三の人文主義」の旗手であるイェーガー、そしてその圏内にいたハルダーが、ナチズムに対する傍観・協力を選択していったこと(とはいえ、「第三の人文主義」の可能性はナチズムに対する無力・協力に尽きるわけではない)、ギリシアを「他者」として実証的な考察の対象にしていたフリッツの例外的なナチスへの忠誠拒否という対応、そして戦後の研究プログラムにこうした対応がどのように影響したのかという点まで、かなり詳しく論じられている。著者は20世紀ドイツの人文主義の思想的弱さも指摘しながら、同時代の政治や社会に適合していく柔軟さという、ある意味では長所とも捉えられる性質も指摘している。古典古代の議論を現代においてどう活かすかということを考える者にとって、非常に興味深い事例を提示してくれている。