スタンフォードの論文の中から、社会、サステナ、環境などに対して、ビジネスパーソンが学ぶことのできる要素を含んだものを10個ピックアップし、日本語訳として出したもの。
リーダーシップの重要性、パタゴニアなどのサステナをある種の企業ミッションに取り込んだ会社、逆に非営利団体は、グラミン銀行のようにスケールした会社もあるが多くは実際にスケールアップを達成した団体は少ない。問題解決というテーマに取り組みながら、そこからフルスケールと言われる1000万ドル以上の規模に成長するのは難しい。そして、What’s your endgame?というのが今こそ考えないといけない問いである。成長して大きくなることではなくて、一体何が社会課題に対して貢献できたことになるのか、企業もまたもう一度、それを問いなおすタイミングに来ている。経済的成長と、社会的意義の両立を謳った場合、一体何がそのアウトカムであるのか、心地よい響きだけで株価が上がる時代ではないのかもしれない。特に、スケールではなくて、インパクトで測っていくのは正しいと思う。オープンソース化、レプリケーション、行政に渡す、ビジネス化して、商業化してしまう。色々な方法がある。ちょっと思いつくのはNYを綺麗にしたいという思いだ。汚い道、匂い、ひどいものだが、それでもNYは人を惹きつけている。もっと、もっといい街にしようぜ、という考え方は、きっと誰もが思っているけれど、誰も立ち向かおうとしていない。綺麗にするには?クリーンにするには?実は、日本の東京の動き方が最も正しいだろうと思う。これを輸入して、参考にして、新たなNYを作ろうぜ、こんなのどうだろうか。ただ、本書の論点が、あまりにも小規模のこうした非営利団体をどうスケールするか、しないほうがいいのか、というところに固執している点は、ちょっと残念だ。あくまでも、スタートアップ企業のスケールと同じような文脈で、社会的意義のある活動のスケールを捉えている。これはスタンフォードの限界かもしれない。もし経済的なスケールを目指すのであれば、これは経済的活動しているサーキュラーエコノミー、脱炭素などのファンドに任せてインパクトファンドを組成して金を回せばいい。変に、活動している主体、つまりいいことをしている、そのアイデアがある人自体がスケールを目指さなくてもいいと思うんだ。それよりも、その情熱を支援する、お金があればいい。そしてそれはあるのではないかと感じている。レプリケーションも、スケールにおける一つのやり方だけど、ボランティアを横展開しても、あまり意味がない。ボランティアとしてのみ成り立つのであれば、それはそこまでだからだ。
逆に、5章で述べられているのは、インパクトをどうやって成しえるか。Teach for Amricaのようにある種の大成功を収めている非営利団体は、今やMBOのイグジット先としても人気が高いという。さて、こうした、講師派遣のニーズに応えることがどうしてこんなにインパクトがあるのか。例えば、日本では、包装紙の概念がサービスの一つ、特に顧客を大事にしている、ものを大切にしているという表現に使われている。それを無くしたらどんなインパクトがあるのか、そして誰がなくせるのか。アメリカではそもそも包装という概念が薄い、有料、しかもお店での包装はやってもくれない。だから、包装紙に包まれてくるプレゼントはほぼ特殊な誕生日などのケースを除いてない。包装紙というか、外装をよりエコに問いう考え方で、企業と組むNPOも出てきている。スケールのために、企業をレバにするのはありだろう。一方で、利益偏重主義に取り込まれないことがポイントだ。
では、Bコーポはどうか。非常に興味があったが、考えれば考えるほど、大企業には適合できない。つまり、複雑なディシジョンメイク、事業部やカンパニー制をもち、デリゲーションと地域や国、部門と部、グループに至るまで、複雑な組織構造を評価するメソッドはないからだ。これは遠いなと思う。一方で、カーブカットのように、車椅子でも動き回れる環境整備は、苦しんでいるのは誰かではなく、不公正を改善するための最善の方策は何か、という点にある。ここに集中すれば、物事はとてもシンプルで、公平性こそが国の発展の礎であることに気がつく。改めて、こうした本質的な定義、本質的な国の成り立ちを考えることが大事だ。アメリカは、そうやって発展してきたんだと思うし、日本もまた、社会というものを最も大切に、擬人化して一体になって進んできた国である。この擬人化した融合は、アメリカから見たらやや奇異の目で見られるだろう。物質主義でもあり、キリスト教的な宗教感が強い国だから、一方で、多様化と公平性で他国をのしてきただけに無視できないはずだ。
ティムブラウンは、デザイン系では著名な方だが、こうしたサステナビリティ分野へもかなり早い段階からビジネスチャンスに気がついていたと思う。デザインも、問題解決につながるという考え方。
Collective impactは大前氏も提唱している概念だが、知の巨人達が集まって、社会的課題に対して本気で議論したらどうかというものだ。おそらく、狭い範囲では不利益を被る団体もあるしそういう国もあるだろう。ただ、知の巨人達が出すベストアンサーは傾聴に値するはずで、それを試してみたら、問題解決に近づくのではないか。利益代表とならない人物達のコレクティブな発想を期待するというのも一つのやり方だ。ゼロサムのように、誰かのためにだけやるのではなくて、全体に導入する。子供を見るための中抜けタイムを全社員にというのが対談の中に出てくるが本当に日本的で、みんなが同じように働いていないといけないという前提に立っている。元々、そうでなければ、そんな問題さえない。子供のために、今日の朝は初登校に付き添う必要がある。だから、朝の会議は出られない。当たり前で、むしろ、そこで出た話題を後でキャッチアップする。中抜け制度を作る必要さえないアメリカとの差は大きい。変えないといけない日本のマインドセット。高い牙城だ。