小神野真弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
太平洋戦争はアジアの人々の視点から見た際にどうだったのかをまとめた良書。
急ぎで読まなくてはならなかったため、また時間をかけ読み直したい。
インドネシア:教育等を与えなかったオランダに対し、日本軍はエリート育成に貢献。日本敗戦後も独立の為戦った日本兵がいた
フィリピン:アメリカから独立の約束を得ていたフィリピンにとって日本は邪魔な存在。ゲリラ戦で徹底抵抗
ミャンマー:鈴木大佐が育て上げたアウンサン等”30人の志士”が戦後独立の原動力に。日本の目論はスムーズにはいかず、イギリスに押されるに伴い、戦争後半にはビルマ人が日本軍攻撃することになったのは皮肉。
マレーシア•シンガポール: 陸側ジャングルからの奇襲により”世界最高の要塞”と言われたシンガポールは陥落。しかし日本軍は虐殺等を行い、現地の指示は得られず、敗戦と共に再度やってきたイギリスを歓迎。
インド: 日本軍のインド進出は惨敗も、そこで戦ったインド人がいたことが、戦後の独立へとつながった。
タイ: イギリスとフランスのバランスの間で独立を維持していたタイにとって、日本の進出は災難。最終的には日本への協力を強制されたものという整理にてアメリカと話をつけ、戦勝国に。
日本: アジア解放の理念は戦争以前よりもあったものの、アジア進出の目的は侵略(中国侵略を続ける為の、アメリカと講和に持ち込むための石油の確保)。 -
Posted by ブクログ
タイトルよくないな。安っぽいイメージを与える。
でも、内容は決して悪くない。南アフリカに抱いてたイメージはやっぱり感もあるけど、誤解もあったことが分かった。
でも、やっぱりわれわれ日本人にはとても想像できない世界だ。何度かひやひやしながら読むシーンが登場する。命の危険に遭遇しながら、よくぞこれだけのドキュメントを成し得たと感服する。
怖さ見たさも興味もあるし、行ってみたいけど、とてもやわな日本人には神経がもたないだろう。そんな世界をコーヒーカップ片手に見ることができた読書タイム。緊迫感となんとも言えないやるせなさにも包まれた読書だった。 -
Posted by ブクログ
以前、大日本帝国というのがあって開国後に現在の名前で言うところの、中国やロシアを戦争で破り、最後には太平洋戦争で負けてしまったことは知っていますが、そもそも現代史を勉強する事には授業時間数が足りなくて学校で何を習ったか恥ずかしながら記憶にありません。
そんな私にとってこの本は現代日本史を学習する良い機会となりました。太平洋戦争が終了する直前(玉音放送日の未明)にクーデターらしきものがあったというのは驚きでした。
今(2014.6)「M資金」という小説を読んでいて、その記述があり本当かどうか疑問に思っていたので良いタイミングでしたね。
また、陸軍が世界で唯一、潜水艦を製造していた(p186)、原爆が投下された浦上天主堂が残されなかった経緯(p205)等も興味あるものでした。
以下は気になったポイントです。
・朝鮮半島がロシアの植民地になればロシアは大規模な艦隊を容易に日本へ送れこめれるようになる、その前に朝鮮半島の安全を確保しなければ日本が侵略されるのは秒読みであった、たとえ勝算がなくとも戦わざるを得ない状態(p12)
・日露戦争前の10年間、日本は軍備拡張に国家予算の約半分を注ぎ続けた。ロシアの傍らには三国干渉にタッグを組んだフランスとドイツがいた。(p13)
・日英同盟は、日英どちらかが戦争したときに、その敵国に味方する国が現われた際には参戦するという取り決めがあった(p14)
・バルチック艦隊が旅順港の太平洋艦隊と合流すればロシア艦隊は日本の倍以上になる。太平洋艦隊を壊滅させるためには旅順要塞を落とす必要があった(p16)
・日露戦争はつい最近まで続いていた、1905年にモンテネグロ公国がロシア側にたって日本に宣戦布告していた、これが無視されたので講和条約に招かれず、法律上は戦争が続いていた。2006年に日本はモンテネグロに戦争終結文書を送り終結した。もし日本への宣戦布告が受諾されたらイギリスの参戦とともにドイツ、フランスが参戦する世界大戦になっていた可能性あり(p17)
・日清戦争前の日本と清の国力の差は子供と大人ほどの差があると思われていた、常備軍は150万人、北洋艦隊の主力戦艦「定遠」「鎮遠」は当時世界最大の30.5センチ砲を四門そなえていて世界最強、本土での防衛作戦も日本は準備した(p26)
・当時の清は私兵の集まりであり、近代的兵力は3-4万人程度、そこに24万人の兵力を送ったので勝って当然(p27)
・第一次世界大戦は、「あらゆる戦争を終わらせるための戦争」といわれるほどの大戦争で世界各地で行われ、その期間も4年4ヶ月、動因兵力は6500万人、日露戦争の双方80万人と比較して大きい(p30)
・大政奉還は倒幕後の内戦を防ぐための政治工作、西洋列強に付け入る隙を与えなかったのが日本が植民地にされなかった最大の理由の一つ(p54)
・廃藩置県によって藩が領内から徴収していた税はすべて政府が使う事になるが、一方で借金も肩代わりしたので好都合と受け止めるケースもあった、さらに中心となっていた、薩摩・長州・土佐が受け入れていた(p60)
・近代的な国家像にそぐわないとして、1872年に装飾用の刺青は非合法化された(p65)
・天皇の神格化が急速に強まり、現人神として扱われ始めたのは日中戦争が始まる2年前の1935年、つまり大日本帝国末期の10年間程度(p70)
・昭和天皇が自分の意志で政策を決定させたことは、1936年の2.26事件の鎮圧、太平洋戦争の降伏の2回のみ(p71)
・日本は明治においても強い輸出力をもっていたので貿易大国になれたし、西洋の植民地にされることはなかった。日本は太い糸を紡いだ厚手の綿布を生産、イギリスは薄手であり別の市場に向けて商売していた(p75、78)
・明治初期の徴兵制度では10人中一人しか合格でなかった、終戦間際の1945年は9割が兵隊となった(p84)
・終戦時の4大財閥(三菱、住友、三井、安田)の払込資本金は日本全体企業の半分を占めていた(p86)
・1898年の民法改正により、25歳未満の離婚は双方の親の承認が必要となり離婚率は減少した(p98)
・1900年に未成年者喫煙禁止法が施行されて20歳未満の喫煙が禁止になる、理由は学校での喫煙は秩序を乱すためであり健康に有害という理由でない(p116)
・新橋ー横浜間の最初の鉄道路線(29キロ)は3分の1が東京湾を埋め立ててつくった細長い土手の上を走っていた(p139)
・ゼロ戦は1941年までの中国戦線で敵機の撃墜・撃破は266機に対して、損失は対空砲火の2機、投入されたのは30機のみ(p146)
・堀越によって戦争末期に開発された、ゼロ戦の再来とよばれる「烈風」に搭載された、誉エンジンは馬力200の怪物であったが実戦配備できず(p149)
・明治時代まで人間が感じる味は、甘・酸・苦・塩の4つだけと考えられていたが、昆布や鰹節から出汁をとると料理の味に「コク」が加わる、これを「うまみ」とした(p154)
・パナマ運河は狭く33メートル以上の横幅をもつ戦艦は通れない、この制約からアメリカが太平洋に投入できる戦艦のスペックの限界を試算して、大和のスペックがそれを上回るように設定した(p163)
・ミッドウェー海戦に敗北していても、半年以上は戦場の主導権を握っていた(日6米3の空母)が、1943.6の時点で太平洋上の空母は6:11、その1年後には、6:21となり決定的となる(p180)
2014年6月28日作成 -
Posted by ブクログ
表紙の大きなパイプと凄まじいゴミの山はなんなのだろうと気になり、手に取った本。
一章はインドのスラムについてである。ムンバイという地域は"インディアンドリーム"の舞台である一方で、バラック小屋が立ち並ぶスラム街があることで有名で、ムンバイの約8割の人間がスラムに住んでいるのだという。
上層階級の人間からは毛嫌いされている彼らが、鉄やペットボトルを素材ごとに分けてリサイクルを行い生活の糧としている。そして街のゴミを片付ける事から「シティビューティフル」と呼ばれているという嫌になってしまう現実がそこにはあった。インドにおける子供の数は6歳以下で約1億6000万人もおり、その半数が栄養失調に陥っているのだという。
二章はフィリピンについてである。かつて「スモーキーマウンテン」と呼ばれる巨大なゴミ廃棄場が存在したそうだが、今は閉鎖され、新たな廃棄場「パヤタス・ダンプサイト」(なんと東京ドーム6.3個分の広さだそうだ)が生まれ、そこではスカベンジャーと呼ばれる人々が暮らしているという。
スカベンジャーの一日の平均収入は日本円で200円から300円。彼らから物を買い上げて、ジャンクショップを営む者は12000円を稼ぐという。自分の土地を得られない者が多く、高床式の住宅を海上に建てて暮らしているものが多いという。彼らの中には、生活のために臓器を売ったり、ギャングになる者もいるという。
三章はペルーのスラムについてである。元強盗でこのスラム(サン・クリストバルの丘)出身の青年と共に、筆者は歩いたと書かれている。
住人のほとんどが強盗か売人で、昼間は閑散としているスラム街の中で育った彼の子供の頃の夢は、「車を盗むこと、クレジットカードを盗んで暗証番号を聞き出すこと」だったという。
四章はグアテマラのスラムについてである。「インベーダー」と呼ばれる、戸籍を持たない彼らの収入源は、「鉱山」と呼ばれる「ゴミで形成された河原」から使えるゴミを売る事だという(一日の平均収入は日本円で約300円)。
ひどく淀んだ川なのだが、住人の一人は「怪我をしてもこの川に浸かっていれば傷が治る」と話している。日々の暮らしの中で適応したのだろうか。
五章はエジプトのスラムについてである。死者が眠る墓地が立ち並ぶ中、そこで一日の疲れを取るために眠りに付く者が2万人以上いるそうだ。
「なんて罰当たりな」と思ってしまったが、それは安全圏に住む者の意見であり、彼らの耳には届かない。また、イスラム圏ということもあり、幽霊の概念も無い。
六章はケニアのスラムについてである。キベラと呼ばれる、東アフリカ最大のスラムがあるそうで、護衛なしでは余所者はとても入っていけないという。救援に訪れたNGOやボランティアまでも強盗に遭うという。
2007年には電気が通るようになり、多少生活の質も改善したそうだが、盗電を図り、感電死するものも現れ始めたという。
七章はウガンダのスラムについてである。国民の平均年収が300ドル、約16%の児童が5歳までにエイズで死ぬという凄まじい環境の中で彼らは生きている。
少数民族出身のために他の言葉を知らず肉体労働すら出来ない、強盗対策のため鉄格子のある店、二箇所しか無い水汲み場など、「どうして生きて行けるのだろう」としか思えない場所で彼らは教も生きている。
この本を読んでいて気づくのは、どのスラムにも野良犬が多くおり、人間と生活を共にしていることだ。といっても、飼っているわけでも無いだろうが、人間と犬の共生はどの国でもあるのだなと、平和ボケした私の頭に残った。