ミステリファンのうるさいひとり言と思ってください。
ご不快になられたのならごめんなさい。まず謝っておきます。
まず、単純な事実誤認が多すぎます。
例えば、『興奮』の主人公は「コックニー訛り」ではなく「オーストラリア訛り」、『シャム双子の秘密』でクローズドサークルになった理由は「火山の噴火」ではなく
...続きを読む「山火事」(噴火だと『月光ゲーム』ですよ)、『砂の器』の真相部分に触れたところに大きな事実誤認、『魔女が笑う夜』に出てくる像の名前は「わらう後家」ではなく「ばくれん後家」(『わらう後家』はポケミス版のタイトル)、などなど。これではどこを信用していいのかわかりません。
つまらない面白いという評価が書いてあればいいほうで、あらすじしか書いていない、評価がなされていない作家・作品も多く目につきます。
「何が面白いのか説明してほしい」的な文章が散見されますが、どこがつまらなかったか、あるいは理解できなかったかを具体的に書いてもらわないと、読者はそれらを漠然と察するしかなく、説明をするにしても曖昧になってしまいます。
「クリスティーはストーリーテリングが下手」「連城三紀彦は小説が下手」「グレアム・グリーンは二流作家」「泡坂妻夫はバカミスの帝王」「横溝正史は乱歩の亜流の二流作家」「フィリップ・マーロウは『ワル』」など……「純文学作家」・「比較文学者」が読めばそうなのかもしれませんが、一般の評価とはかなり離れていて、独自の視点をお持ちなんだなと思いました。
あと一点、エラリー・クイーンの「読者への挑戦状」を批判していましたが、本作で触れられている『シャム双子の秘密』『日本樫鳥の秘密』『Yの悲劇』には「挑戦状」はついていません。シャムは国名シリーズで唯一「挑戦状」がついていない作品として有名なのでは? あえて「挑戦状」がついていない作品を選んだ可能性も考えました(著者は小説の知識が豊富ですし)。国名シリーズでも有名な、ギリシャ・オランダ・エジプトあたりを読まれていたら、本文で触れていてもおかしくないと思うのですが……。もしそれらを読まれていないのであれば(読んでいるとは思いますが)、学生向け雑誌の付録のみでクイーンの「挑戦状」を批判するのはフェアではないと思います。
『推理小説の美学』でエドマンド・ウィルスンの評論を読まれているなら、ドロシー・L・セイヤーズのミステリの歴史についての記述も読んでいるはずなのですが……。古典的寓話や神話、戯曲などにミステリ的要素があるのはその当時から指摘されていることで、ジュリアン・シモンズが『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』のなかで、推理小説がポーを始祖とするかとともに仔細に検討しています。その本を読んでおいてほしいとはつゆにも思いませんが、そのようなものに触れた人は大体思いつくことです。
ミステリというジャンルを嫌いな方がいらっしゃるのは当然のことですし、そのこと自体は全然かまいません。批判のないジャンルは衰退しますが、「文学者」が雑に読んで(「読み飛ばした」、映像のみ、などが頻出するので)、雑に論評するのは、ファンとしてはいい気分はしないな、と思いました。お金を払って居酒屋で知らない酔っ払いの戯れ言を聞かされている感覚です(お酒をたしなまれるかは存じ上げないですが)。
あと随所に「中学生レベル」といった感じの言葉が出てきますが、中学生もミステリファンもバカにしている印象を受け、なんだかなぁと思いました。
それと、直木賞や芥川賞、作者の最終学歴などにこだわりすぎる印象を持ちました。それぞれの作者紹介でこんなに最終学歴が掲載されているのを読んだのははじめてかもしれません。学歴には詳しくはなりましたが、作家としての素質と何か関係があるのだろうか? といぶかしんでしまいました。
ただ、意外にある程度ミステリについて納得できる点や、文学界の人間関係、作品に関するうんちく、ミステリ嫌いの人がどう考えているかなど、参考になる部分はあったので、読んで損とまではいかなかったです。
最後に。私小説的ミステリなら、ジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』を推薦します。悪人しか出てこないノワール小説なので、勧善懲悪が好みの著者の趣味とは離れているだろうとは思いますが。