「幸田文 木」この字面だけでもう、手に取らずにはいられませんでした。
幸田文さんの名前は知っていても、著書を読んだことはありませんでした。ある時ふとこの本を見かけ、この潔いタイトルだけで引き込まれてしまったのです。
「幸田文 木」。なんとも気持ちがいいこの字面。シンプルで強くはあるけれど、どこかあ
...続きを読むっけらかんとした軽妙さもある。これが「高橋和巳 石」とかだったらもう、たとえ文庫本でも函入のハードカバー本のような重厚さがあるでしょう(何を言っているんだ?)
様々な木との触れ合いを書き、木のあるがままの尊さや、木のある暮らしへの感動を書いたエッセイです。著者の、木への人並みならない想いが伝わります。
綺麗な文章なのにえらぶったところがなく、読んでいて気持ちのいい文体です。着物の襟はピシとして乱れはないけれど、けして肩がこるほど締め付けてはないといったような、芯のある優しさが文章から感じられます。
なにしろ文章が丁寧なんです。いやに丁寧すぎて細いことをちまちま長たらしく書くのでなくて、そこに無理のない丁寧さ。些細なことを誇張して膨らませたような無理な力や、てらいがありません。
「屋久杉を見に行った」はまだエッセイの題材として見せ所が沢山ありそうですが、「古紙回収に古新聞を出した」というだけのことでここまで丁寧かつ豊かな文を書けるのは、著者の感受性の豊かさによるところでしょう。自らの心の動きを丹念にすくい取り、言葉を紡いで、文章を編んでいます。読後の満足度はとても高くて、「いい本を読んだな」と素直に思えます。
とりわけ好きなエピソードは、著者が幼い娘と植木市に行った時の話です。
著者の父・幸田露伴が財布を著者に託して、孫である著者の娘にこれで好きな木や花を買ってあげなさいと言うのですが、高級な藤の鉢植えをほしがる娘をごまかし、二番目に欲しがった安い山椒の木を著者は買い与える。それを知った露伴が著者を叱りつける場面が描かれているのだけど、もう全文を引用したいくらいに、味わい深いワンシーンなのです。
さすがは文豪・幸田露伴、言葉巧みに理屈ぽく娘を問いつめます。淡々とした口調が活字だと余計に短調に感じられて、露伴の恐ろしさが際立っています。要は、金銭的な卑しさによって子どもの感性の芽を摘んでしまった浅はかな行為を厳しく咎めているのですが、その厳しさの裏に、おさな子の感性を育てることをここまで重要視しているのかという、孫への思いが見えるのです。なぜか読んでいる自分が露伴の孫になったような気分になり、露伴じいちゃんに可愛がられて嬉しいような、くすぐったいような気持ちになりました。
老木となったポプラの木が、立木としてのキャリアを終えてマッチの軸木になっていく様を工場に見に行った話も印象的でした。工場に響く機械音のリズムと、コンベアの上を整列して流れていく軸木を見て、阿波踊りを連想し愉快な気持ちになる著者の可愛らしいこと。高い感受性は自分の人生を楽しくする技能だと教えられたような気持ちです。