寺山修司さんの戯曲。
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫の引用から興味を持って。
≪さらば、映画よ≫
「映画なら上手も下手もないですよ」
「映画もつまんない。ハンフリー・ボガートが死んでしまったもの」
「そうね、俳優がほんとに死んじゃっちゃいけないなあ。俳優は映画の中で死ぬべきですよ。スト
...続きを読むーリーの中で死ねばいいんだ。そしてまたべつの映画の中で生きかえる。歴史の反復性……輪廻。それなのにハンフリー・ボガートは映画の外で死んでしまった。何てわがままな人だろう」
「『誰も私に話しかけてくれない』って遺書を残して死んだソビエットの養老院の老人の記事を読んで、母は薄笑いをうかべて『自分で自分に話しかければいいのに』って言ってました。むろん、私もそう思っていた……」
「『吃り対人赤面恐怖は治る』って研究所へ入ってたでしょ?」
「ああ、あそこ。あそこにだって、『他人』なんかいやしませんでしたよ。あそこはまるで納豆の糸のひきあいみたいなもんだ……『万有引力とは引きあう孤独の力である』ですよ。あそこにいるのは、みんな私だ。他人なんかいやしないんだ」
「どこへ行っても私がいる。どこへ行っても他人がいない。畜生。ハンフリー・ボガートめは、うまいことしやがった。あの人は映画の中でも死ぬことが出来た。映画の外でも死ぬことが出来た。地球を二つに割って、その片方に腰かけて、もう一つの片割れがスクリーンの中をゆっくりと浮游するのを見ながら自分で自分の他人になることが出来たんだ……。だが、私は私自身の他人にはなれない。私にはスクリーンがない。私が映画の中で死ねると思いますか?」
「何もかも……何もかも、ありとあらゆる問題は、すべて『代理人』のせいなんです」
(いささか白んで)「だれです? その『代理人』ってのは?」
「それを……(と考えて)私も知りたいんです」
「だが、ある日私はふと考えた。どいつもこいつも『代理人』の世の中だ……私もきっと誰かの『代理人』なのではないだろうか? だとすると、
私は一体、誰の代理人なんだろう。
どこかの町の片隅に、私を『代理人』にえらんださみしい中年男がいて、私は、その男のさみしさを、代りに味わっているのじゃないだろうか?」
≪アダムとイヴ、私の犯罪学≫
「ああ!と俺は思った……俺は自分の幸運を食っちまったんだ。それからというもの、俺は林檎を食わない……林檎なんか見るのも嫌だ。本当のことを言うと、林檎がこわくなってしまったのさ」
≪毛皮のマリー≫
「どうして、殺したの?」
「これ以上長生きさせると翅がボロボロになって、きたなくなるだけだから」
「ジーン・ハーロウの映画、観たことある? ジーン・ハーロウはとてもいい女でしたよ。百万人に愛されて、映画の中でも何度も死んだ、そう、何度も死んだ。おまけに映画の外までも酔っぱらって、自動車事故で死にました。死に方はぜんぶまちまちで、それぞれべつの名前がついていた――すてきね、何度も死ねる人は、何度も生きられるんですもの」
「詩人は、ことばで人を酔わせる酒みたいなもんです。ときには、ことばで人を傷つけたりすることもできる。ようくみがいたことばで、相手の心臓をぐさり、とやる」
「場合によっては、ことばで人を殺すことだってできますが、」
「雨だけは、だめです。あいつばかりにゃ、ことばは勝てぬ」
≪血は立ったまま眠っている≫
≪星の王子さま≫
かの有名なサン=テグジュペリの≪星の王子さま≫について、つとつとと。
≪毛皮のマリー≫は、美輪明宏さんが、舞台で演じたこともあるから、知っている人は、知っているでしょう……。
以前、寺山修司のなんだのといった、ちいちゃな個展みたいなものがね、ありましてね、ポスターだの、なんだのが、ざあと置いてあったのです。
わたしは、≪カリガリ博士≫の文字に惹かれて、見に行ったわけですが……
あのとき、わたしは、≪毛皮のマリー≫の存在も、知っていた……
このたび、アニメ≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫で寺山修司をまた見ることになった……
嗚呼、なんの因果か……
サン=テグジュペリも、そう……
≪星の王子さま≫を知らない人は、殆ど、いない……
わたしは、箱根にある、≪星の王子さまミュージアム≫にも行ったことがある……
重すぎて持っていけない……
嗚呼、嗚呼、巡り巡ってふたたび……
同性愛が、そこかしこ。
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫の槙島聖護は、そうさね……
ひとりぼっちの、淋しい……
全編通して……
…………。