エッセーみたいな語り口なので、スラスラ読むことができます。
特に印象的だったのは、P179の「教育をビジネスで語るな」という内容です。
自分達の言葉遣いには、時代の影響が色濃く反映されています。
最近だとコスパという言葉が、時代を象徴していると感じます。
コスパは、コストパフォーマンスの略語ですが、
...続きを読む今、社会のいたる所で、
この表現を見聞きします。
コスパは、ある商品が、その価格に見合うだけの価値が「自分にとって」あるORないかという判断基準のことです。
自分にとって、価値があるのか、ないのかをシビアに判断することが、当たり前になりました。
教育の世界にも、
投資、リターン、効率といった言葉が氾濫するようになりました。
母親の学歴が相対的に高く、
そして、一家の年収が高く、子供へ投資できる教育費が多ければ、多いほど、
子どもの学歴は高くなり、年収も高くなる。こういった知識を、
誰もが知るようになりました。
良いか悪いかは、別として、なぜ、そういった言葉が氾濫するようになったのか、
平川氏は、こう語っています。
教育の問題を経営の問題として、語っている。
(以下引用)
経営の問題、すなわち、ビジネス上の問題とは、利潤の確保という現実的、
即物的な目標達成のための処方箋を書き、それをひとつひとつ着実に実行してゆくことで解決されるべき問題である。
例えば、ある生徒の、数学のテストが悪い。テストの点数を30点上げるためには、どうすればいいか。
①毎日、問題集をやる、②わからない問題を先生に聞く、③間違った問題を繰り返し行う。
①~③を継続すれば、高い確率でテストの点数が上がります。
日本では、今、これを「教育」といっています。果たして、これが教育なのか?
私は、ビジネスの論理として、問題を考えることは、非常に大切なことだと思いますが、
それをやってはいけないという領域は、やはりあると思います。
教育にビジネス用語が氾濫しているということは、自分達を、商品として考えるということです。
つまり需給バランスで商品価格が決まる。それは、学歴、年齢、経験、知識、所属先を考慮して、
労働市場が個人に値札をつけている社会です。ここ20年で、日本社会は、人を見る基準が、かなり商品化していると思います。
つまり年収300万円の人は、年収600万円の人よりも、価値が劣るということです。
今の日本社会がまさにそうなっている感じがします。
ここ20年で、かなり、日本社会は階級的になったと感じます。
平川氏は、さまざまな著作で、警告していますが、
あまり効果は上がっていません。
多くの人が、今の社会に違和感を持っていると思いますが、
どうにも、ならないというのが、今の現状です。