鎌倉幕府倒幕と室町幕府創設の立役者となった足利尊氏の生き様を描く歴史大作。
物語は尊氏の少年時代から病死までの一代記で、弟の直義と執事の高師直の視点で交互に描かれる。
第169回直木賞受賞作品。
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北条宗家の有力御家人である足利家。だがその庶子に過ぎない又太郎と次三郎は、
...続きを読む家中で誰にも期待されないし、自らも多くを望まないという日々を送っていた。足利家の執事を務める高家の次期当主である師直も、又太郎たち兄弟が日の目を見ることはないように思っていた。
実際、次三郎から見ても兄の又太郎は学問や武芸に励むでもなく日がな波打ち際で遊ぶことを好み、野心どころか前途を悲観する素振りさえ見せない極楽蜻蛉だった。
だが又太郎が元服し高氏と名乗るようになった頃、北条家の屋台骨が揺らぎだし、足利家当主の高齢と嫡男の若年が誰の目にも明らかになってきた。ここにおいて、一族および執事家の目は高氏に向き始めたのである。
望洋としていながら不思議に人徳のある高氏と、目鼻に抜ける頭脳のキレを見せる弟・高国のコンビはこうして足利家の希望となった。
そんなとき後醍醐天皇が京で倒幕の兵を挙げたと鎌倉に知らせが届く。
(第1章「庶子」) 全4章。
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これまでの 尊氏 − 直義 を始めとする太平記時代のレギュラー陣の印象がガラリと変わりました。
足利尊氏といえば、政治は苦手である代わりに戦の天才。直義は緻密さと篤実さを合わせ持つ内政向きの落ち着いた家老タイプ。高師直は足利という武家の存続を何より優先する合理性重視で冷徹無比な家宰。そんなイメージを持っていました。
でも本作での尊氏は、武将としては晩年まで凡庸でした。直義と袂を分かってから『孫子』を読んでいたようですが、もともと座学が苦手のため軍学を深く学んだわけではないし、武芸に打ち込みもしてきませんでした。
ただ将を束ねるのがうまいのと戦局を判断する勘が冴えているという漢の劉邦を、さらにお人好しにしたタイプとして描かれています。そこがとてもおもしろかった。
そんな尊氏を輔ける直義と師直。このコンビも魅力的に描かれていました。
直義は実直だけれど、融通が利かないところがあり、毛針を広げたヤマアラシのように、自身で動きを取れなくしてしまう硬直タイプ。
師直は計算ずくで賢く立ち回るようでいて、判断に困ると直義に下駄を預けようとするような優柔不断な一面もあります。
この主要人物3人の、なんと人間味溢れることか。それぞれ凡人のとても及ばぬ秀でたところがあるものの、凡人と変わらぬ愚かさもあって、つい共感してしまったりします。
まさに垣根涼介さんの人物設定の巧みさで、本作がただの英雄物語にならず、優れたヒューマンドラマにもなっています。
さらに赤松円心・楠木正成・新田義貞・足利直冬と、軍事に優れた武将たちにもひとりの人間としての息吹を与え、その活躍に胸踊り、その死を悼んでしまうほどの親しみを持たせてくれていました。かの強者たちに対する垣根さんの思い入れをひしひしと感じずにはいられませんでした。
どちらかと言えば理屈先行のように思えた『光秀の定理』や『信長の原理』と違って、新たな世を作った英雄たちが1人の人間として活き活きと描かれていたのは明らかです。
まったく直木賞に相応しい、優れた歴史ロマン大作だったと思いました。
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個人的には、北畠顕家推しの自分にとっては、顕家のためにもう少し紙面を割いていただけたなら言うことないのになあと贅沢なことを思ったりしています。