たぶん、『こころの声を聴く―河合隼雄対話集』の中で取り上げられていて、読みたくなった本だったはず。
河合隼雄の本でよく言われている、欧米に行った時の、日本人としての葛藤を、そのままこの本に出てくる大津が代弁してくれてるんだなと思いながら読んだ。
「ヨーロッパの考え方はあまりに明晰で論理的だと、感服
...続きを読むせざるをえませんでしたが、そのあまりに明晰で、あまりに論理的なために、東洋人のぼくには何かが見落とされているように思え、従いていけなかったのです。…ヨーロッパ人たちの信仰は意識的で理性的で、そして理性や意識でわりきれぬものを、この人たちは受けつけません」(P197〜大津から美津子への返事)
大津が好きという、マハートマ・ガンジーの言葉「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」(P326)は、私もいいなと思えた。
木口の「私が考えたのは……仏教でいう善悪不二でして、人間のやる所業には絶対に正しいと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種がひそんでいる。何ごとも善と悪とが背中あわせになっていて、それを刀で割ったように分けてはならぬ。分別してはならぬ」(P342)という言葉にすごく共感を覚えた私は、やっぱり日本文化の中で育った人間なんだなと感じさせられた。
そして、全然別の話だが、数年前にガンジス川に行った時、現地の人に、「あれは日本人観光客がみんな写真撮って帰るから、あんたも撮っておいたら?」と勧められて、私も撮ったところがある。この本に出てくる「クミコ・ハウス」ってなんか聞き覚えあるなと思って、当時の写真を見返していると、あった、「久美子の家」って書かれた壁。例のインド人が撮影を勧めてくれた場所だった。
なんと、こんな形で再会するなんて。というか、クミコ・ハウスが実在するなんて…か?
この本を読みながら、インドの風景を細かに思い出して懐かしくなった。
また行きたいな。そしてこの本もまたじっくり読み直したい。
※ 後から『こころの声を聴く』を読み直したら、そこではどうやら『深い河』は紹介されてなかった模様。さて、こんなに好き!と思えた本なのに、読もうとしたきっかけが何だったか思い出せなくてモヤモヤする。