場が自分に合わないのであれば合う場所を探せばいい、とよく言われます。ただ同時に、自分の問題を解決しないと合う場所は見つからないというのも聞く気がします。
前者は、問題は場にあって自分の形がハマる場はどこかにあるんだという発想。後者は、問題は自分にあるので、自分の形を変えないとハマる場はどこにもない
...続きを読むという発想なんだと思うんですが、そのまま受け取るとこの2つの説は、責任の所在は反対であるものの、場と人というのはパズルのピースがハマるように合うものと、合わないものがあるという誤解を招くような気がしています。
場と人の合う合わないはパズルのピースのようにきっちりハマるものではなく、どっちかというと闇鍋みたいな感じで、鍋にどんな具が入っているかで、あなたが持ってきた具が美味しく頂けたり、いただけなかったり、普通だったりするんじゃないでしょうか。(しかも実際の闇鍋とは違って時間によって具は入れ替わるし、そもそも、具自体も時間経過で味や風味変わってくるという不思議な闇鍋なんじゃないかと思ったりします。)
闇鍋だからと言ってショートケーキを持ってくるはほとんどいないように、場に合ってないと思っている多くの人はシイタケとかゴボウとか春菊とか鍋によっては光るけど、今の場では残念ながら美味しく頂けない具を持ってきているという状況なんじゃないかと思います。
自戒も込めていいますが、何度も同じような問題に突き当たる場合は闇鍋にショートケーキを持ってきていないか考えてみた方がいいでしょうね。もちろん世界のどこかにはショートケーキに合う、スイーツな感じの鍋があるかもしれないですが、少なくとも多くの人の頭にはない発想なので大抵不味くなってしまいます。
私としては、闇鍋に参加する場合最初の3回ぐらいは自分が思う具材を持って行って合わなければ河岸を変えてもいいと思うんですよね。ただ、3回どこに行っても同じような不味さになってしまうのであれば、持っていくものを考え直すというのが良いのではないかと思います。
ただ、これが難しいのは3回と言っても、その全部が魚介系みたいな感じで同じ方向に調整された鍋だったらあんまり意味ないと思うんですよね。もしも自分にあった鍋を探すのであれば、魚介系の後には、鶏出汁、それでも合わない場合は、変わり種のカレー味とかに行ってみるってのが良いと思います。
新卒で入った会社が合わなくて辞めようと思ったら上司から「うちで通用しないならどこでも通用しない」とか言われるって話聞きますけど、そもそも1社でうまいこと自分の特性が活かせることなんてまれですからね、さらに、一人の人が見られる場の数なんて限られているので上司の言葉も当てにならないです。
場と人について考えるときに、どちらが悪いのかという発想は的外れで、相性がいい悪いというはありますが、それも時間や状況によって大きく変わります。
また、場自体を意図して変えることはできないですが、自身が場を移ることはできます。自分自身を根本から変えることはできないですが、反省してちょっとした行動を変えることはできます。
私が好きな言葉に「ニーバーの祈り」というものがあります、それは以下のような内容です。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
自分が変えられるものだけに注力することが生きることを楽にするのではないかと思ったりしました。