本書が単行本で出たときに買ったのだが、積ん読になったまま幾星霜。
宇宙を航行している大船団がある。その一宇宙船に船団司令部より指令が下る。使命は惑星クォール全居住民の殲滅。
鼬族の人口爆発により彼らによる犯罪が頻発。特に凶悪な鼬族約千名を3度にわたり惑星クォールに流刑にして約千年。鼬族は惑星ク
...続きを読むォールで文明を再び発展させ、刑紀九九九年に到り、「大空からの殺戮者」が襲来する。
そういう話なのだが……
なのだが……
まずコンパスが登場する。なぜなら、指令が下る船というが文具船だからである。船長は赤鉛筆で、副船長がメモ用紙、繊維じゃなくて船医は紙の楮(こうぞ)先生だったりする。文房具は生きているのか。生きているらしい。コンパスなら例の尖端に針のある両脚があると同時に、人間のような身体器官がある描写が何の説明もなく併存している。量子論で量子が波であると同時に粒子であるかのように、文房具たちは文具としての身体を持つと同時に人間の身体を持っているようなのだ。そしてそのことについては何ら説明がない。
第1章「文房具」はこの文具船の乗組員たちを次々に紹介していくのだが、みな狂っているか、狂う寸前なのである。一見正常そうな者は、実は妄想を持つがゆえに正常な行動をとっているなどというややこしいことも起こっている。ただし狂っているといってもおおむねそれは性格が極端に偏っているとか著しいこだわりを持っているとかいうだけのことに過ぎず、われわれの周囲にいる人々を少し極端にしただけともいえ、いわば「普通の人々」の戯画なのだ。文房具とは人間が人間自身の機能を拡張するために生み出したものであり、極めて人間的なものともいえる。
指令はクォールの居住民である鼬族二十四億の殲滅。しかも艦隊への復帰の指令はない。だいたいもう狂っているのだが船員たちは狂ったようになる。戦闘で死ぬかも知れない。二十四億の住民を皆殺しにするなどいつまでかかるかわからない。俺たちは捨て駒だ。
第2章「鼬族十種」はクォール一千年の歴史である。記述法は歴史書か歴史の教科書かといったもので、おおむね淡々と書かれている。歴史の教科書を読まされるのはうんざりだなあと思うが読んでみるとこれが面白い。つまり内容は淡々としてはおらず、さまざまな王朝が起こっては戦争し虐殺しといったもので、人類の歴史の戯画なのである。最後は二大国の対立と核戦争の危機というところにいたる。鼬だけに前王を喰ってしまったり、最後っ屁をかましたりするが、人間だって似たようなものだ。実は第3章でこのクォール史は文具船のある船員によって数十年の調査執筆によってなったものであることが明らかにされるのだが、千年の歴史の重みを描いた上でその歴史を破壊する文具船がやってくることで否が応でも黙示録的な雰囲気が高まるという仕掛けになっている。黙示録とは歴史の終焉だからである。
顕微鏡的に人間的なものをデフォルメした第1章に、望遠鏡的に俯瞰した人類史のパロディの第2章が激突すると、歴史の終焉のあとにあるのは第3章「神話」である。文具船侵攻直後やらその天空からの殺戮者の存在がもはや事実かどうかもわからなくなった未来までさまざまな時点の記述が文房具側も鼬側も次々に視点を変えて列挙され全貌はその断片から伺い知るしかなくなる。しかも、そこに雑音がはいってくる。作者の実生活の話題や、執筆中に聞こえてきたと思しき選挙カーの絶叫。
矮小ながら徹底的に細部をえぐっていく人物描写と長大ながらも殺伐とした歴史、いずれも内容は矮小なのにその叙述の形式によって壮大な黙示録的世界を生み出す。つまりカオスとしての神話がここに実現されるのだ、しかも人間的なあまりに人間的な。