戦えば負けることがあるのも当然で、戦わないと強くなれない。
試合に出て勝負している人はどれだけいるのだろうか?
直近の1時間を悔やむことは誰にでもある。
1年前の1時間を悔やむことはどれぐらいの人にあるだろうか?
1年前の1時間を悔やむ人は、
同じ悔やみをしないためにどれだけの改善をしてきたのだ
...続きを読むろうか?
それとも1年間、1時間を忘れるための努力をしてきたのだろうか?
どんなに頑張ってもいても、それ以上に頑張っている人もいる。
持って生まれたものや、時風もある。
俯瞰して見てみれば、現状は点でしかなく、
山を登ろうと思ったら、雨風強い日も、快晴の日も、
ゆっくりとでも一歩ずつ進むしかないということかなと感じました。
(以下抜粋)
○たくさんの対局を経験していくと、「手堅く安全に行こう」という気持ちが、どうしても自分の中で習慣化してしまいがちなので、それを戒める意味でも、あえて意欲的で挑戦的なことを言って、前向きな姿勢を示しているのである。(P.41)
○ミスはしない方が良いに決まっているが、よっぽど習熟した腕前でない限りは難しい。(P.44)
○もしもそこでミスをしてしまったら、どうすればいいのかーー。答えは二つある。
一つは、悔やんでも仕方がないので、それまでのことはすべて無にして、「自分の将棋は次の一手から新たに始まる」と思うことだ。
もう一つは、忘れることである。これが一番の策と言えるだろう。
○私は、どんなにひどいミスをしても、すぐに忘れるようにしてきた。おかげで最近は、努力しなくてもすぐ忘れられる。どうであれ、次の一日は、始まるのだ。
将棋に限らず日々の生活のなかでも、一つの選択によって極端にプラスになるわけでもないし、取り返しのつかないマイナスになるわけでもない。(P.51)
○地道にプラスになるような小さな選択を重ねることで、いつか大きなせいにいたるのではないかと思っている。(P.51)
○私は、挑戦する気持ちを妨げる大きな要因に、恐怖があるのではないかと思っている。(P.58)
○いちばん手ごわいのは、「漠然とした不安」だ。恐怖の対象が明確ならせりについて研究したり考えたりすればいいが、漠然としていると、どうすればいいのかわからない。(P.58)
○私は、「続けること・継続すること」は立派な才能だと思っている。
将棋の場合、対局中にパッと良い手が閃くとか、たくさん手が読めるとかいうことも一つの才能だと思うが、もっと根源的なものとして、「地道に、確実に、一歩一歩進み続けることができる」ということこそが、最も素晴らしい才能だと思うのだ。(P.77)
○「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(P.106)
○私はプロになってから公式戦だけで四百局以上負けてきた。
将棋は勝ち負けの偶発性が非常に少ないので、四百局負けたということは、私には少なくとも四百以上の改善点があることになる。(P.106)
○情報化社会を上手に生き抜いてゆく方法は、供給サイドに軸足を置くことだと思う。
自分自身は常に消費サイドにいて消費を続けているわけだから、自主的に、いや、半ば強制的にでも出力を上げていかないと、個人としても組織としても需給バランスを崩してしまうのではないかと考えている。(P.127)
○しかし、そうはいっても、得ることよりも捨てることの方が何倍も難しい。(P.177)