社会学に興味があり、入門書的に手に取った。
(これから社会学やジェンダー関連の読書が続きそう)
本書は、(通称)社会学者である古市典寿氏が12人の日本を代表する社会学者に、曖昧な学問とされがちな社会学に対して改めて存在意義を問いかける。
自分の知識が少なすぎて難解な部分が多くあったので、もう少し勉
...続きを読む強してから再読したい。
自分用メモ⇓
佐藤俊樹氏
「つまり、自分は外にポンと立てていると思った瞬間に、"イタい"社会学者になるんです。(中略)外部に立てているかのように語らずいかに頑張れるかが、社会学者として仕事をしていくうえでは重要になってきます」
「まず『こういう前提の下では、こういうことが言えます』という形で、前提を明らかにして話すことが大切です。もちろん、そうやって限定をつけて話すわけだから、大したことは言えません。でも、社会学者としての仕事は、むしろそのあとのやりとりにあるんです。インタビュアーが最初にする質問には、まだぼんやりとしているものがけっこうあるんです。それに対して、僕は受け答えをするなかで、『じつは、こういうことが気になっているんじゃないですか』というふうに返していきます」
「優秀なセラピストは、ある部分以外は絶対に揺れてはいけない。それに対して社会学者は、相手と共鳴しながらゆるやかに答えを生み出していきますから、セラピストにはもっとも向かない職業です。どちらかというとコンサルタントに近いけど、一般的なコンサルタントは『こうすれば赤字は二年で解消できる』というふうに、預言者になることを求められますよね。その点は社会学者と違います」
上野千鶴子氏
「私がゼミで一貫していってきたのは、社会学を含む社会科学は経験科学だから、答えの出ないといは立てないということです」
「(中略)手におえないといは立てないことです。簡単にいえば、風呂敷を畳めということです。手に負える問いでも、一年で出せる答えと、三年で出せる答え、五年で出せる答え、一生をかけないと出せない答えがある。そういう問いのスケール感を間違えてはいけません。」
仁平典宏氏
「それぞれの方法論には、社会とは何か、どう捉えるべきかに関する前提が組み込まれていて、いい研究と言われるものは、その部分への自覚や理解が深いように思います。比較的共通するエッセンスとして、少なくとも次の四つがあるかな。
1つは、『男は戦う生き物』みたいな本質主義はとらず、物事は言語的。意味的に構成されているという見方。第二に、物事の意味は関係性の網の目のなかで決まり、その布置は時代や集団によって変わるという見方。三つめは、個人の行為は社会的な要因によって影響を受けると同時に、その行為によって社会は差異を孕みながら再生産されていくという見方。そして最後に、研究者も社会の外部に立てず、研究や発言はその再帰的なプロセスに組み込まれていることへの自覚」
「大学に所属して一生を終えるルートというのは、それこそ専業主婦や正社員と同じように、特殊な時代だからありえたものだと思うんです。社会学を勉強した人間からすると、そこに乗っかればいいとは素直に信じられません」
大澤真幸氏
「人間は全員、生ける社会学者みたいなところがあるんです。たとえば物理学の素粒子論は、専門家にならなければ興味を持ちません。ところが社会学は、他者と一緒に生きていくという現実そのものに対する反省ですから、誰だって多かれ少なかれ、日常的にやっていることです。つまり、全員がフォーク・ソシオロジストだという側面があって、その中から、洗練された、狭い意味での社会学者が出てくるという風に考えた方がいいんです。」
「まず自分が楽しいかどうかが決定的に重要なんですよ。つまり自分がワクワクするようなことでなければ、他人がワクワクすることは絶対ありませんから。自分が面白いと思ったけど、他人が面白く思ってくれないことはたくさんあります。でも、自分はつまらないけど、他人が見たら面白いということは、まずないんです。だから、自分もそれを知ったことによって、本当に驚いたり、納得したりとか、そういく気持ちで研究しているかどうか。そういう気持ちがなければ、人を深く納得させる発信なんてできないんです。」
「人間っていろいろな生き方が当然あるわけだから、好きなようにすればいいわけですけど、僕自身は、自分が生きていくうえでぶつかっている問題を、社会学でやることである程度乗り越えていくというか、対応できている感じがするんです。その意味では、僕のような不器用な人にとっては、とてもいい学問なんです」
「役立つというか、それを考えることによって解放される感覚です。『この理論は人生のこういう場面で使える』といより、考え続けることで自由になっていく。この社会でなぜこういうことが起きているのかということを、いちばん底の底まで考えていったときに、精神の自由というものがあるんですね。」
「社会学という学問は、どうしてもアイデンティティが拡散しやすい学問です。でも、そこが社会学のいいところでもある。だから、『それは社会学じゃない』とかいろいろ言われますが、そんなことは気にする必要はありません。説得力があればいいだけですからね」
山田昌弘氏
「一見、個人的に見える問題でも、その裏には社会的な構造や、その変化がある。そこをつないで分析するのが社会学なんだ、と」
「私は学生たちに、ユングの言葉をもじって『社会学というのは、社会をあり得ない幸せな状態にするのが目的ではなくて、辛さに耐える力をつけることが目的です』と話すんです。どんな社会になっても、辛いものがなくなるわけじゃないと思うんですよ。社会学的な認識というのは、そういう辛い状態に耐える力になり得ると思うし、人々が辛い状態に耐え得る制度をつくる必要はあるように感じます。少しでも人々が生きやすい社会、生きにくくなったとしても、そこから立ち直りやすい社会にはしたいと思います」
鈴木謙介氏
「たとえば、経済学の処方箋の出し方って、『デフレから脱却したいならリフレです』みたいに、『もし~したいならば、~せよ』という条件付きの処方箋だよね。でも、その手前にある、人々がどうしたいのかという話は、解釈学的に踏み込まないと見えてこない。だから、社会学にしか手当てできたない不安とか、あるいは社会問題があって、その知識をもっと市井の人々に受け渡していく仕事をする人が必要だろうというのは、切実に感じることですね」
橋爪大三郎氏
「(社会学以外の勉強をするときに、どういう基準で本を選べばいいか)天才だと思う人の本を読む。」
「レヴィ=ストロースの戦いを見て、彼がやり残した課題を受け取るということ。レヴィ=ストロースが勝った部分はもちろんすばらしい。だけど、負けているところがあったら、それを課題として受け取ることが大事なんです」
吉田徹氏
「僕は司馬遼太郎がけっこう好きなんです。司馬が書くような史実に基づいて歴史小説と、戦国時代を舞台に人間模様を面白く描くような時代小説とは違う。さらに、単に史実を調べるのが好きなだけなら、たしかな史実の専門書を読めばいい。僕にとっては、たしかな史実に則して歴史小説を書くスタンスが面白く感じられて、社会学でもそういうことができないだろうかという思いはあります。つまり、あえて無機質なデータとして拾った人々の意識を、アウトプットして出すときには、社会的なリアリティの形に戻して出したいという感じです」
「昔と比べて違うのは、みんなが社会的なアイデンティティに敏感になっているということです。七〇年代、八〇年代の日本人は、『俺たちはイケてる国の国民』とい思っていた。要するに、『イケてる国の真ん中らへんで、その真ん中らへんは世界で上のほう』という共通の意識があったんですよ。これはどういうことかというと、戦後の日本社会はずっと坂を上ってきたので、社会の形についても、自分の位置づけについても、大雑把な捉え方しかできない状況だったんですね。でも、バブルが弾けて社会が停滞期に入ると、安定した仕事についているかどうかとか、学歴が大卒か非大卒かとか、いろいろな指標で自分を位置づけられるようになってきました。そういう意味では、私が使っている言葉でいうろ、日本人の格差、階級、回想についてのリテラシーが高まってきている。つまり、アイデンティティを考えるときに、一つだけの基準で決めているんじゃなくて、『こういう観点で見たとき、俺、他のやつと比べてイケてるかな』みたいなことを、複眼的に見るリテラシーが身についてきたわけです。だから、社会意識と社会の仕組みのつながり方は上質化したと思っています。別の言い方をすれば、自分の位置づけをリアルに知って対峙しなければいけないから、辛いわけだけど、リテラシーが高まると辛くなるのは当たり前なんです。」