別に邪馬台国の話を長々と語る小説ではない。
歴史にトンデモ仮説をぶつけて、それをあたかも真実の様に論理的証拠を列挙していく、歴史ミステリー小説というのが正しい。
読み終わる頃には、それぞれのトンデモ仮説の信者になっている。
「この作品がフィクションであるという保証はどこにもありません。」
① ブ
...続きを読むッダは悟りを開いておらず、妻の浮気で嫌になって出家しただけ
② 邪馬台国は岩手県にあった
③ 聖徳太子と蘇我馬子と推古天皇は同一人物
④ 本能寺の変は織田信長が仕組んだ大掛かりな自殺劇
⑤ 明治維新は勝海舟が催眠術を用いて起こした
⑥ キリストの復活はユダが身代わりになるトリックだった
① 悟りを開いたのはいつですか?
・仏教の信仰の対象は神ではなく人間。仏陀は神ではないので、哲学者に近い。
ので仏教徒は宗教というより哲学者の弟子。仏教の神々は梵天はヒンズー教の神だし、大日如来は仏陀の時代にはなかった概念。
・仏陀は悟りを開いたとされた後、三ヶ月も坐禅している。悟りを開いて解脱の境地に達したはずなのに。
・仏陀の説法は大体「如是我聞」から始まる。つまり、「聞いた話によると」という意味で、仏陀は愚か、弟子達が直々に聞いたものは無い。
・仏陀はシャーキヤ族の王子だったことも無い。商人の子だった。何故なら少年時代に学校に通っていたし、文字を習っていた(ガンダーラで石板が見つかっている)。当時の王族は文字を習わない。ソクラテスと同じで全て口頭暗記で済ませている。字を必要としたのは商売をする商人だけ。また、王族なら学校に通わせず、教師の方を宮殿に通わせる。また、仏陀の父親はシュッドーダナ(浄飯王)と言われており、わざわざ白米を名前に冠するのは、元々食べたかったが財を成してようやく食べれるようになったからと考えられる。
梵天が仏陀に送った言葉に「隊商の主よ、負債なき人よ」というのがあり、成り上がりの富豪だったことが推察される。
・仏陀は妻の浮気が原因で出家している。そもそも仏陀は性的不能者だと推察。
子供が小さい頃に妻子を捨てて出家している。子供の名前はラーフラ(悪魔という意味)であり、浮気相手との間の子どもと思われる。
仏陀は多くの女官達に囲まれて暮らしていたが、しどけない姿に幻滅して出家したとされる。これは、若い女性に反応しなかったと推察される。また、サンユッタ・ニカーヤによると、悪魔は少女から熟女までのあらゆる年齢層の女性四百人を仏陀に送って誘惑したが、仏陀は気にもとめなかったことからも、不能説を裏付けている。
・仏陀が悟った結果、「執着心を捨てろ」と悟ったとされるが、仏陀は晩年、生まれた村に帰っている。
・仏陀が何を悟ったのかは、経典によって内容が全然違う。十二縁起の法も、経典によって八縁起だったり四縁起だったり三縁起だったりする。
・仏陀は苦行を廃止し、中道を行くことを説いているが、これも単に苦行が苦しかっただけだと推測される。
②邪馬台国はどこですか?
・一般的には九州説と畿内説に割れている。そもそも邪馬台国の話は三國志の中に登場する魏志倭人伝しか無い。字数にして二千字程度。魏志倭人伝通りに移動ルートを辿ると太平洋上になるので、距離が間違ってるとする九州説と、方角が間違ってるとする畿内説となっている。
・古代、東北には人は住んでいなかった説もあるが、三内丸山遺跡が発掘されており、八戸市の風張遺跡から3000年前の米が出土している。また、古墳が無いという反論もあるが、古墳は都市開発をしなければ見つからないため、まだ眠っていると推測。
・おそらく巨大な卑弥呼の墓が九州や畿内でいくら探しても出てこないのは、どちらにもなかったと考えるのが合理的
・方角が間違ってる説の根拠は、十五世紀の朝鮮で作られた「混一郷里歴代国都之図」という地図で、日本列島が南北逆に書かれている。なので、魏志倭人伝に出てくる方角は南北逆に読み替える。ただし、伊都国までは魏の使節が実際に足を運んだ(至るではなく、到るという字を使ってることから推測)ので方角は読み替えない。つまり、魏の使節団の最終目的地は伊都国であったと推測。伊都国の次の奴国と次の不弥国は官と副官の名前が似ているが、次の南投馬国は水行二〇日と遠く、官や副官の名前も全く異なる。不弥国までは九州にあったが次の投馬国は富山にあったと推測。その後投馬国から南(つまり北)へ水行一〇日、陸行一月の位置は岩手県。何里というのは曖昧になりがちだが、何日だと間違いがない。
・ちなみに邪馬台国も本当は邪馬壱国だったのを誤字ったと推測。台のような良い字を別の国に使わない。(邪や馬や奴など、悪い字を普通は使うので。旧字体の中国語だと台と壱は似ている)
・また、魏志倭人伝に出てくる裸族や黒歯族はインディアンを指すと推測。
・初代天皇の神武(イワレヒコ)が魏志倭人伝に出てこない謎。そもそもヤマト政権は邪馬台国と伊都国の合併で生まれたと推測(ヤマタイ+イトでヤマト)伊都国の一大率という名前が出てくるが、これはイワレと読む人名と推測し、これが神武天皇と推測。岩手県周辺は元々イワレと呼ばれていたので、その辺りの豪族が国が合併して伊都国に行った。
・ちなみに、岩手県八幡平(ハチマンタイ)にあった。普通は日本平(ニホンダイラ)の様に読むのにここだけタイと読み、ヤマタイと読めるため。
ーーー衝撃的なストーリーが続くので、時間が出来たら他の話もまとめる。人に話したくなる・・・ーーー