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Posted by ブクログ
古代ローマ帝国興亡史でシーザーが死んだので、この本を読んでみた。最後に読んだのはずいぶん前で、細かいところは忘れてしまっていたので、新鮮に楽しめた。
アントニーとクレオパトラも読みたい。
2024年5月
この戯曲にはクレオパトラの影も形もないけれど、シーザーはこのとき、ローマの別宅にクレオパトラを住まわせて、子どもも二、三人いたんだよな…と思うと、前からひどいセリフだと思っていた、第一幕のシーザーのキャリパーニアに対する「石女」云々の台詞がより一層ひどく感じた。
ポーシャとブルータスのシーンで、ポーシャの太ももの傷が謎だったのでググってみた。
このセリフはポーシャの愛と強さの証明というのが伝統的な解釈だったけれど、自傷をする不安定な女性という現代的な解釈で演じられることもあるらしい。
キャルパーニアのシーザーに対する「あなたの分別は自信の強さに飲み込まれておいでです」というセリフが、自宅で暗殺の相談をする直前のブルータスの、シーザーといえども権力の座につくと人間が変わってしまうだろう、という内容のセリフを裏打ちしているように感じた。
「」p.47
第三幕第一場の「男も女も子供も、目をむき、声をあげ、駆け回りまるで最後の審判だ」というセリフで、当時の古代ローマで最後の審判が信じられていたのかが気になった。
第一回三頭政治が始まったのが紀元前60年。シーザーがブルートゥスら共和制支持者に暗殺されたのが紀元前44年だった。まだキリストも生まれていない頃だ。ユダヤ教徒はとっくにローマ帝国の一部だったけれど。
最後の審判の起源はゾロアスター教にあると言われているけれど、ゾロアスター教が成立するのは紀元前1200年から前700年ごろと言われている。
ユダヤ教成立は紀元前13世紀ごろと言われている。ユダヤ教の方がゾロアスター教より成立が早かったのか。
ゾロアスター教的な民間信仰はずっとあったけれど、ゾロアスターが誕生してゾロアスター教ができるのはユダヤ教成立より後だったということなのかな。
シーザーの時代のローマ人が「最後の審判の日」という言い回しを使ったかはわからないけれど、シェイクスピアの時代のイギリス人ならすぐに理解できただろうというのはわかる。
シーザーの市民への遺産の75ドラクマは、当時としてはどれくらいの価値があったんだろう?
シーザーやアントニーはポピュリズムの政治家だったのかな。でもどうして死後まで人気取りのようなことをしようとしたんだろう?クレオパトラとの間に生まれた子供が、王としてローマ人に受け入れられやすくするため?
王政だったころのローマすら、王は選挙で選んでいたのに、シーザーは自分の王朝を作ることを望んでいたのか?謎だ。
もしシーザーが暗殺されずにいたら、オクタヴィアヌスはどうなっていたんだろう。クレオパトラの子と権力争いの内乱を起こしてそう。
少なくともパックス・ロマーナも無かっただろうし、その後の世界の歴史が全く違ったものになっていただろうな。想像もつかない。
Posted by ブクログ
『ローマ人の物語』の該当巻を読んだ後でこれを読むと、シーザーやブルータスのイメージはこれに引っ張られてたんだなーということが、よくわかりますね。
ところで、「あの気高いおからだも悲しみにあふれる杯だ」というセリフがありますが、もしやもしや、高橋和巳『悲の器』はここから…??今更だけど。でもまだ誰も指摘してなかったら大発見かも⁈ ( たぶんそんなことはないね)